スーフィー・ナイトへようこそ

 こんな楽しくてブッ飛べる世界があるなんて知らなかった。毎週木曜夜、パキスタンはラホール、ババ・シャー・ジャマル廟でそのスーフィー・ナイトなるすんごい場が体験できる。

 といっても狂乱の宴ではない。神聖なイスラム教の音楽儀礼である。その夜も、スーフィー(イスラム神秘主義者)とともに神と合一しようと、数百人の信者が狭く蒸し暑い聖者の墓所に集まった。なにかが起こりそうな異様な空気が張り詰めた。

 夜10時半、突如、撥(ばち)が太鼓の面を激しく叩く。兄弟の太鼓奏者が雨あられのように太鼓を鳴らし始める。サイーン兄弟の兄ゴンガは生まれながらの聾唖者だが、一種の天才である。叩き始めた瞬間、天才だとわかった。

そのとき、数人の男たちが中央になだれ込み、激しく踊り始めた。スーフィーたちだ。踊り方といったら、尋常ではない。まずなんたってびっくりするのは、首を人間わざとは思えない速度で猛烈に横振りすることだ。たてに振ることに慣れている私たちにはむつかしいが、ためしにやってみよう。集まった信者もみな坐ったまま激しく首を横振りしはじめた。そうだ、脳細胞がぐちゃぐちゃになるほど振って、神と合一しよう!

ある人はくるくると回りだした。有名なトルコのメヴラーナ教団の「回るダービッシュ」と同様、何十分間も回り続けて陶酔し、やはり神と合一するのである。

 夜1時、太鼓奏者が替わると、安岡力也そっくりのものすごく恐い顔をした男が踊り始めた。歳のせいか、からだは硬直したように動かないが、首の横振りはダントツに速かった。くるくる回っていた誰かの手が力也の胸に当たると、次の瞬間力也は強烈なパンチを食らわせた。そのスーフィーらしからぬ態度、容貌が私はおおいに気に入ったのだった。

[付記]
 このコラムを書いた時点では、じつはこの廟の主であるババ・シャー・ジャマルについての情報をまったく持っていなかった。最近になってウィキペディアに項が立っていた。それによるとババ・シャー・ジャマル(1588−1671)はカシミールの有名な家族カズィ・ジャマルッディン・バドシャヒに生まれ、1617年にラホールに来たという。父親のアブドゥル・ワヒドは著名な宗教学者だった。スーフィーの宗派としてはカディリッヤ派とスフラワルディッヤ派の両方に属していた。インド亜大陸のスーフィズムに関する決定版『History of Sufism in India』にもその名が見えないのはなぜかわからない。(マイナーな存在なのか?)
 また、だれがスーフィーでだれがスーフィーでないのかも、あまりはっきりしない。演奏がはじまる寸前、インドであればサドゥーと見まがいかねない修行者風のダービッシュが笛を吹きながら入ってきた。彼はスーフィーといって差しつかえないだろう。この風体ながら激しく踊り始めたときにはびっくりした。
 このスーフィー聖者廟およびその活動を支えているのがスーフィー教団であるのはまちがいない。しかし参加者全員をスーフィーと呼べるのか、踊る人々をスーフィーと呼んでいいのか、いまだ私は躊躇している。
 なおババ・シャー・ジャマルの時代、ラホールを含むパンジャブでは、ヒンドゥー教の影響を強く受け、独自のスーフィズムを発展させている。機会があればそれについてまとめてみたい。(参考 S. R. Sharda "Sufi Thought")