1章 ジョーティシュの起源 

永遠の信仰 

 ヴェーダは何千年も前に、すでに今とほとんど変わらない完成された形で存在した。それから現在まで、さほど大きな変化はなかった。むしろその時点よりもさらに古い文化を代表していた。その時点の何世紀も前に、大きな変革が起こっていたと考えられる。

時をへて、人は次第にヴェーダの賛歌がわかりにくくなってきた。いわば人と賛歌の関係が壊れてきたのだ。新しい種類の聖なる知識がヴェーダの根本部分からほとばしり出るようになった。哲学的、宗教的な理想が、ヴェーダを通してインド文化にもたらされるようになった。インド文化は土着の文化、あるいは外から入ってきた文化の両方を取り入れて豊かで多様な文化になったのだ。こうしてヴェーダから生まれた精神的、倫理的、宗教的な複合的文化は、ヒンドゥー教と呼ばれるようになり、人気を集めた。

 ジョーティシュはときにヒンドゥー占星術と呼ばれることがある。しかしこれは誤った表現である。なぜなら仏教徒やシーク教徒、ジャイナ教徒、イスラム教徒、キリスト教徒のみなが、インドだけでなく、多数の国においても実践されてきたからだ。ジョーティシュがヒンドゥー占星術と呼べるとすれば、それがヒンドゥー教から派生したものであることは間違いない。

それはしばしばサナタナ・ダルマ、永遠の信仰と呼ばれる。サナタナ・ダルマは永遠である。なぜなら霊感を受けた創始者である聖人、またはリシ(先見者)のだれかが、「唯一絶対の現実」から新しいインスピレーションを受け取り、活気ある新しい成長がはじまるからだ。永遠の信仰は千年以上にわたって成長し、宗教的ふるまい、哲学、宗派、神々、儀礼、至高の存在の概念といった大きな連続体となった。それらに共通するのはただひとつのことだった。それはリアリティの究極の一(いつ)なるものである。ジョーティシュのリシ(先見者)はジョーティル・ヴィディヤーによって鼓舞され、さまざまな同様の方法を発展させてきた。それによってリアリティを試し、描く。ジョーティシュは霊感によって作られたものの集合体だった。

 宗教の構造は霊感で得た知識を体系化したものである。そしてその創始者はリアリティを失わないために、構造物は残されるべきだと考える。インドの歴史において、たくさんの宗派や政治宗教的な運動が、彼らだけが「真の伝統」を保っているとか、「新しい啓示」を受けたなどと主張した。このような動きは、永遠の信仰の活力を増すのには寄与している。彼らが他者の信仰を貶めようとしたり、抑圧しようとしたりすると、彼らは永遠の信仰のもっとも価値がある属性の視覚の広さを失ってしまう。ジョーティシュは、ジョーティル・ヴィディヤーに鼓舞されたジョーティシよって高められてきた。そして解釈の新しい原理を体系化してきた。しかしながら自分たちのスタイルだけが今日、あるいは時代にあっていると主張するジョーティシは、皮肉なことに、彼らを鼓舞するはずのジョーティル・ヴィディヤーを避けようとした。結局ジョーティル・ヴィディヤーは自身の甘い意志によって花開くことになった。