チベットの英雄叙事詩

ケサル王物語

 リン国の大集会。英雄誕生を待つ 


 総監ロンツァ・タゲンの使者が到着する前、地元の村にいた大臣ギャルワ・ルンドゥプは夢を見た。夢の中で、螺鈿と金の甲冑を着て、黄色の馬に乗った人が彼に、「リン国六部落は共同で大きな事業に取り組むだろう。成功・不成功の鍵はおまえが握っている。早く準備をするがいい」と言って立ち去っていった。

 ギャルワ・ルンドゥプは目覚め、奇異な夢だと思ったので、占いをやってみた。するとすべて大吉と出た。そのとき侍者が入ってきて、使者が来たことを告げた。彼は夢に見たことだとわかったので、すぐ使者を迎え入れた。使者は門から入り、老総監の書信と贈り物を差し出した。そしてリン国に吉兆のしるしが現れたこと、ギャルワ・ルンドゥプに大集会の参加を要望していることなどを伝えた。

 ギャルワ・ルンドゥプは考え込みながらつぶやいた。

「ことわざに言う大人(高官)や大山、大海、これらは動かないもののたとえだ。もし政治が大混乱に陥ったら、高官といえども流浪して僻地に流れていくかもしれない。もし須弥山が揺れたら、すべての家が倒壊するだろう。もし大海に大波が起きたら、大地は洪水に覆われてしまうだろう。昨夜見た夢と総監の書信とが符合している。総監のことばは軽々しく出てくるものではない。どういうことであるにしろ、なにか重要なことにちがいない。私は行くべきなのだ」

 ギャルワ・ルンドゥプはいい終えると、「千里を照らす灯」という頭の白い馬に乗り、8人の従者をつれてリン国へ向かった。

 これと同時に、大天幕で寝ていた英雄のひとりで富豪のキャロ・トゥンパ・ギェルツェンも夢を見た。夢の中に白衣を着て、絹の頭巾をかぶり、チョチェン・トゥンラプと名乗る修行者があらわれた。手には如意金盆を持ち、雪山の獅子という名の神牛に乗っていた。修行者は言った。

「富に恵まれたキャロ・トゥンパ・ギェルツェンよ、寝ている場合ではない。外に出て見るがいい。リン国の吉兆が見えるだろう。何をすべきかは自明の理だ」

 キャロ・トゥンパ・ギェルツェンは起き上がるとすぐ外に出た。門の前にリン国の使者が待っていた。使者は挨拶の辞を述べたあと、総監が得た予言のことや状況などを詳しく伝えた。

 キャロ・トゥンパ・ギェルツェンは書信を読み、使者の説明を聞き、すぐさま「九百の角」と呼ばれる馬に乗り、ふたりの従者をつれてリン国へ向かった。


 十三日、4人の高貴な人が一堂に会した。四人とは、仏の加護を得た大師タントン・ギャルポ、法力のある大臣ギャルワ・ルンドゥプ、富に恵まれた英雄キャロ・トゥンパ・ギェルツェン、それに智慧のある総監ロンツァ・タゲンである。老総監は「白天平安」「吉祥竜花」「千枚蓮華」と書かれたカタを三人の師に贈った。また竜花の柄の施された金碗、布施の食品、三疋の金竜緞子を三人の師に渡した。豪華な宴席では、金盆に盛ったバターやチーズ、三種の甘味、三種の肉、三種のケーキなどが出された。総監ロンツァ・タゲンは力強く宣した。

「今宵天上の星座は吉兆をあらわし、八輻(や)の車輪の宝蓋を支えている。このことは地座(地上の座)が吉祥であり、地上は八枚の花弁の蓮華に覆われているということを表している。このことはまた、事業が輝かしい成功を収め、吉祥八宝の星座が夜空にかかったことを表している。八日の朝、東の空が白々と明ける頃、私は天と地の区別がつかないような予言夢を見た。もしそれをことばにするなら、春の夢のなかにすべてが出現するような、夏の草原にすべてが生長するようなものということになるだろう。そのことをだまし隠したなら、私は天上の神々に罰せられ、六族のリン国も災難を受けることになるだろう。それゆえ全知全能の大師に卜占をお願いしたい。また福分のある人に教えを請いたい」と言い終わると、ロンツァ・タゲンは八日に見た夢を師らにつまびらかにした。

 大成就者タントン・ギャルポは微笑みながら歌った。


オーム、法界は本来無生にあらず。

アー、あわれなる不滅の衆生よ。

フーム、この奇異な夢を解釈してみよう。

老総監がつまびらかにしてくれた。

そなたは光明神の後裔。

修行成就の法統。

無限の叡智を持ち

よって錯乱の夢ではない。

マポム山から太陽は出て

白いリンの国を照らし出す

この聖なる慈悲の光明は

リン国の百業の振興を象徴する。

飛来した金色の金剛杵

キギャル山の頂に落ちる。

それは天から英雄が降下したことを象徴する。

総監の所領に降下する。

地方神が集まり

チベットを救う英雄を迎える。

マンラン山に見る月、

これは憤怒金剛の化身を象徴する。

金山の頂上に星々が集まりきらめく

これはテンマ氏が事業を行うことの象徴。

ゲジョ山に長い虹がかかる、

祖先神ないし諸神が生まれることの象徴。

マパムユムツォ湖の上を光が覆う、

大海竜宮に母が生まれることの象徴。

センロンが(帝王の)絹傘を持つ、

これは人間の父がセンロンであることの象徴。

傘の頂の白色は善の行いの象徴。

傘の赤色は覇権の三界の象徴。

縁取りの緑色は勇猛なる行いの象徴。

黄色の房は十方に栄えることの象徴。

傘の柄が黄金でできているのは

修行の行いが黄金のごとくであることの象徴。

絹傘は四方を覆う。

これは四方を鎮撫することの象徴。

神族が住む白いリン国では、

十八部落がみな平等である。

時期を誤ることなく

リン国の集会を行え。

今日から今後を見るに

願いは法が成るごとし。



 タントン・ギャルポの歌によって、すべてのことが明らかになった。ギャルワ・ルンドゥプの心も慰められ、安心し、喜んだ。

「今日のことは、まさにことわざの言うとおりである。信仰がなければ、加持を得るのはむつかしい。福がなければ、財宝を得るのはむつかしい。農作業をしなければ、収穫を得るのはむつかしい。努力しなければ、成功するのはむつかしい。われらは今、すばやく六部落を召集し、大集会を開き、マガリラで戦神を祀り、盛大な祝賀儀式を行う準備をしなければならない」

 会場の準備は整った。白いテントが草原に咲いた花のように散らばった。あちらこちらから煙の柱が立ち、天に向かって競っていた。人々ははなやかに盛装し、百の花が咲き乱れていた。馬の足どりもそろい、刈り入れ時の成熟した五穀を思わせた。宿営地の中央には巨大なテントがあり、大きな雪山のようだった。その頂は金色に輝き、朝日を連想させた。テントの中には金座、銀座があり、それぞれ虎の皮、豹の皮が敷かれていた。テントの内側の壁には五色の鮮やかな綾絹が掛けられていた。

 集会の合図の法螺貝が吹かれた。タクロン・シペンを長とする(長系、中系、幼系の家系のうちの)「長系」の人々は、猛虎が山から出てきたかのようだった。
 セルギ・アガを長とする「中系」の人々は、蛟(みずち)が海から出てきたかのようだった。
 ブムパ・シェルカルボを首とする「幼系」の人々は、矢が行きかうかのようだった。
 最上席の金座にはタントン・ギャルポが座った。右の銀座にはロンツァ・タゲンが坐った。左の螺鈿席にはギャルワ・ルンドゥプが坐った。栴檀座にはセルギ・アガが坐った。まだらの虎皮の軟座には、タクロン・シペンが坐った。まだらの豹皮の軟座には、マシ・グンギャルが坐った。月円形の軟座にはラブゼ・シェチュが坐った。右の緞子座にはホルギャル・ヤデダパが坐った。左の緞子座にはチンロン・センチャンが坐った。中間の緞子座にはユルエ・ゴンポ・ドンドゥプが坐った。そのほか畳にはドンツェ・ダパン・アジェが坐った。青年勇者の右にはベセ・ラシェ・ガポ、左にはセルパ・ペンギ・キョンニベンが坐った。ガジョ富者の上席にはガデ・チュヒ・ベナとキャロ・トゥンパ・ギェルツェンが、デンマ万戸の上席にはツァシャン・ジャンチャが、白黒ドンク族の上席にはベガ・タバ・ギェルツェンが坐った。このほかの勇者、十戸、百戸、千戸、万戸部落の徳の高い者から坐った。年少者ほど後ろに坐った。人には頭、首、肩の三部が、牛には角、背、尾の三部が、地には山、川、谷の三部があった。順列があるのは寺院の法則だった。違反をした場合、王法の懲罰を受ける。

 すべての人々が、尊卑、長幼によって着席すると、ロンツァ・タゲンが前に出て、自身の夢の吉兆とタントン・ギャルポの予言について話をした。するとワアっという歓声が湧き起こり、喧々諤々の議論がはじまった。リン国に神人が降りてくるのではないか、どのように神人の誕生を迎えるべきなのか、意見が噴出した。そこにギェルワ・ルンドゥプが出て歌った。


富のあるキャロ・トゥンパ・ギェルツェンは

福分最大の施主。

あなたが祝賀会をひらかなければならない。

ミチェン、セルポン、ダパの三人、

ロンツァ・タゲン、チョジェ、センチャンら六人、

百戸、ツァジェ、ユルイェら九人、

ドンツェ、マギェ、ダポン、ニマ・ギェルツェンら十三人は

リン国三部に所属する人馬を集めなければならない。

食料、香、供物、

戦旗、彩色の矢、山神のお供え、

甲冑、献物、放生の家畜を集めなければならない。

ガ妃、漢妃、ロン妃ら三人、

ル妃、チ妃、ラブ妃ら三人、

ダツォ、チュチン、ソナムマン、

パンツォン、デギ、ヤンサンら十三人の尊敬される婦人は

みな踊って歌わなければならない。

リン国にはたくさんの英雄がいる。

それぞれが責任を果たさなければならない。

十五日の月が明るくなる夜まで待とう。

菩薩がその日に神の子を降下させるだろう。



人々は着々と準備を進め、リン国に英雄が誕生するその瞬間を待った。


⇒ つぎ 






最長老で、リーダー格の総監ロンツァ・タゲン。正義感が強く、私欲にとららわれず、つねに全体のことを考えている。

総監ロンツァ・タゲン 
sPyi dpon Rong tsha khra rgan)
大成就者クックリパの化身とされる。クックリパは古代インド・カピラヴァストゥのバラモン出身の修行者で、ルンビニの洞窟で修行を積み、覚醒を得た。犬の愛好者として知られるが、その雌犬は智慧のダーキニーの化身であった。

 ケサルの父センロンや叔父トトンはロンツァ・タゲンの弟とされることが多い。甥とするバージョンもある。その場合、センロンやトトンより一世代上ということになる。

 ロンツァ・タゲンはリン国の三十人の英雄のひとりであり、そのなかのリーダー。軍の総帥。リン国は、「長・中・幼」の3つの系統(家系)の諸部落に支えられているが、そのトップ(総監)の地位にある。

 リン国はそもそも部落連合である。タクロン十八大部落やテンマ十二万戸部落、ロンパ十八大部落など、それぞれが小国なみの力を持っていた。もともと独立した勢力だったが、リン国に吸収されたのである。ケサルが国王になってからは、さらに周囲の大小の国々を傘下に収め、大国となり、ケサルは世界王となる。

 ホルとの戦いのとき、ロンツァ・タゲンはすでに70歳だったが、武勲を挙げるほど強かった。そのときのいでたちがすごい。

 「命知らずの要塞」という甲冑を着て、「宝の鋳型」という兜(かぶと)をかぶり、「大明光照」という剣を腰に差し、「梵天」という弓を背負った。

 そして、(武器として上から落とす)石のごとく空中から降り立つと、ホル兵をばったばったと斬り倒し、60の鉄の矢を射ると、60人を射(い)殺した。

 いわばスーパーおじいちゃんだったのである。

 ロンツァ・タゲンはケサルが地上に生まれる前から重要な役割を担っていた。ケサルが降臨するという予言を天神から受け取っていたのである。総監は諸部落の首領を集め、そのことを伝達し、準備を整えるようにと告げる。

 競馬会が開催されたときは、追放されていたジョル(ケサル)と母親の身を案じ、呼び戻そうと画策する。天の予言によれば、ジョル(ケサル)が競馬に勝ち、王位に就くはずだが、ジョルが参加しなければ、予言が間違った予言ということになってしまうのだ。ドゥクモを、ジョル招集の係に指名したのは、「賜杯」であるドゥクモを行かせることが、時間引き延ばしになったからでもあった。




これもタントン・ギャルポ像