チベットの英雄叙事詩

ケサル王物語

13 神馬キャンゴ・ペルポを探して 

 ドゥクモはジョルのために神馬を探し、捉えるという決意をかためた。しかしどうしてジョルは自分で神馬を捉えに行かないのだろうか。

 ジョルは、彼の母ゴクモとドゥクモ以外、だれも神馬を捉えることはできないと語っていた。つまり、ジョル自身は神馬を捉えることはできないというのだ。

 もしこの馬が彼の言うように競馬で勝利を収めることができる唯一の馬であるなら、凡庸な馬であるはずがない。ただ速いとか、強いだけの馬ではない。

「普通の馬でないなら、不思議な力を持つジョルでさえ捉えがたいのだろうけど、弱い女にすぎないわたしや母のゴクモなら、どうして捉えられるのだろうか。ジョルが言うには、この馬は百頭の群れのなかにいてもすぐ目に付くほどの良馬とのこと。でも、もし捉えることができなかったら、どういう事態が待っているのだろうか」

 ドゥクモは考えても、考えても、わからず、夜も眠ることができなかった。

 翌日の早朝、ゴクモは寝ていたドゥクモを起こし、「神馬を探しに行きましょう」と言った。ドゥクモは困難を感じながら答えた。

「お母さま、ジョルにもう一度たずねてみましょう。私たちはふたりともその馬の特徴も見かけも知りません。もし間違ったら大変なことです」

 ゴクモはドゥクモの心境を察知し、うなずき、ジョルを探しに行くことにした。ドゥクモはしかし依然として思索をめぐらしていた。山の上に主人のいない牛はない、山の下に主人のいない馬はない。野牛は家畜にすることができず、野馬は乗ることができない。ジョルが欲しているのは野山に属さない野生の馬。聞くのも難しく、尋ねればもっと難しい。

 ドゥクモがいろいろと考えているとき、ゴクモがジョルといっしょに戻ってきた。ドゥクモが眉をしかめているのを見て、ジョルは心を和らげることを考えた。

「ドゥクモさんは出発の準備ができているようですが、私が送ってあげましょうか?」

「ジョル、からかわないで。すぐにでも神馬を探しに行くべきだけど、競馬会には間に合わないかもしれません。総監のトドン叔父さんやギャツァ兄さんは我々の帰りを待ちわびているのです」

「するとあなたはぼくを探していた……」

「ことわざにも言います。人を探すなら名を知るべし、牛を探すなら毛の色や特徴を知るべし、と。どんな川にも水源はあります。荒野や平原にも特徴があります。主人のいない天馬はどんな色をしているのですか。我々が神馬を探しに行くにしても、その特徴を知りません。詳しく教えてください。そしたら探しに行きましょう」

 ジョルはドゥクモのことばを丁寧に聞き、本心はしまっておくことにした。心の中で考えた。
「お母さんは神馬を識別できるかもしれないが、それを捉えるのはむつかしいだろう。しかしドゥクモならそれも可能だろう。それが天意というものだ。この馬の竜脈についてはっきりと言わないと、ドゥクモは疑念を消し去ることはできないだろう。馬を捉えることもむつかしいにちがいない」
 こう考えてジョルはドゥクモと母ゴクモに語りかけた。

「この馬は普通の馬と違います。この馬はぼく、ジョルの運命を決定付けるものがあるのです。この馬があれば、競馬で勝つことができ、王位につき、リン・カルポの人々のさらに多くの願いをかなうこともできましょう。そして」とジョルはドゥクモの目を見た。「この世でもっとも美しい娘を娶ることができるでしょう」

 ドゥクモは頬を赤く染めた。聡明な娘はジョルが出まかせを言っているのではないことを知っていた。彼女はうつむいたが、顔をあげ、ジョルをじっと見た。

「神馬はぼくとおなじく、人間界に降臨してきました。いますでに12個の歯が生えています。父は白天馬、母は白地馬なのです。人間界に降臨し、ぼくジョルと縁を結ぶため、野馬の群れのなかの母馬に投胎されたのです。その毛の色は赤、頭は長く、また正方形です。喉には肉の鈴が下がり、脚は丸く、流線型です」

 ジョルがドゥクモを見ると、それほどよくわかっていないようだったが、続けた。

「神馬を識別するには、まずこの馬とほかの馬がまったく違うことを知る必要があります。その特徴は9つあります。詳しく言いましょう。
 一、鳥魔ハイタカのような頭。二、鼠魔黄鼠狼のような首、三、山羊のような顔、四、山兎のような喉、五、老いた青蛙のような目の周り、六、青蛇が怒ったような目、七、ノロのような鼻、八、網袋のような鼻の肉、九、これはもっとも目に付き、重要なのだが、鋭敏な耳。それにはわずかな鷲の羽毛がついています」

「よくわかりました。ではお母さんといっしょに神馬を探しにいってきます」

 ドゥクモが身を起こし、歩き始めたところでまたジョルが呼び止めた。

「神馬は人のことばを理解するだけでなく、しゃべることもできます。空を駈けながら、身は神を呼び、尾は竜を呼ぶでしょう。ドゥクモよ、事業を成し遂げるためにも、この馬を……」

 傍らで聞いていた母のゴクモは、ジョルの話に割って入った。

「ジョル、多言を費やす必要はありません。ドゥクモも私もよくわかっているのだから。田んぼの土、種子、温度、この三つがそろって、熟れた五穀を借り入れることができるのです。弓、矢、狩人、この三つがそろって獲物を獲ることができるのです。ジョル、母の私、ドゥクモ、この三人が心を同じくすれば神馬を捉えることができるでしょう。いい方法がもとからどこかにあるわけではありません。心が天に昇るにも道はあるのです」

「そうです、お母さん。それでは私がふたりを送っていきましょう」
 ジョルは母親と心が通じ合っていると確信した。そしてドゥクモをじっと見るその目には深い愛情があふれていた。神馬が捉えられるかどうかは、ゴクモとドゥクモのふたりにかかっていた。

 ドゥクモとゴクモはパンネ山に登り、野生の馬の群れを見つけた。山野を駆け巡る野生馬のなかに、ゴクモはすぐ神馬を認めたが、すぐに口には出さなかった。彼女はドゥクモがはっきりと聞き取れたかどうかその顔を見て、ジョルのことばを思い出した。ドゥクモもまたゴクモに尋ねることはなく、ただその目を野生馬の群れに向け、千数百匹の馬の群れからどうやって見つけ出すのだろうかと思っていた。そんなに簡単なことではないはずなのに、ドゥクモもまた神馬を見つけることができた。

 神馬を見ると、そのたてがみと尾はトルコ石のような青緑色で、身体の毛はルビーのように輝く赤色だった。丸い脚はきびきびとしていて、はじえそうだった。前から見ると勇ましく、神々しく、後ろから見ると壮健でたくましかった。ドゥクモは自分で認識できたことが嬉しく、思わず声を荒げた。

「お母様、あれを見て。ジョルがおっしゃった神馬はあの馬にちがいありません。早く、あの馬を捕まえましょう!」

「ドゥクモ、あわてないで。ジョルが太鼓判を押したわけではないわ。神馬は人のことばを解し、話すこともできるといいます。それなら試してみましょう。私たちのことばがわかるなら、捕まえる必要もないでしょう。馬のほうからこちらに駆け寄ってくるにちがいありません」

 ゴクモはルビーを載せたような駿馬に向かって歌った。


千里を駆ける神馬よ

私の話を聞いておくれ

射手の金の尾の矢を

英雄の矢筒に挿したところで

もし敵を倒せないなら

主人にとってそれは無用の長物

矢先が鋭利だとしても何の益がある?


かわいくて勇敢なわが子

人の世界で英雄として名を馳せたところで

もし敵を倒せないなら

一族を守れないなら

ほかの一般の子と何ら変わらない!


五穀の穂が田畑を彩り

風に揺れるも

もし収穫をしないなら

貧しいのと何ら変わらない!


神馬は駿馬だという

それは英雄ということだけれど

もし山野で漫然とすごすなら

神のように速くでもそれが何だろう?


ジョルの神馬よ

ゴクモの家に降臨せよ

第一に、ジョルが玉座に登るため

第二に、神馬が孤独に隠居しないため

第三に、すべての民が幸福になるために

第四に、妖魔と強敵を調伏するために

世界が安定し、幸福を享受する

それが衆生の願いです


非凡で聖なる駿馬よ

先見の明がある神馬よ

もし私の話がわかるなら

一時も遅れることなく降臨してほしい


 ゴクモは歌い終わると、野性の馬の群れを脅して追い散らした。しかしルビーのような神馬だけが逃げず、逆にゆっくりとゴクモのほうに近づいてきた。ドゥクモはそれを見て拍手喝采したくなった。

「お母様、ご覧になって。神馬よ。こっちにやってきますよ」

「そうですね。こっちへやってくるようですね」

 ゴクモは喜びの涙を流しながらそう言った。

 その馬は彼らから二十数歩のところで止まり、ドゥクモとゴクモに語りかけた。

「私が神馬、キャンゴ・ペルポ(rKyang rgod pher po)です。この世に生を受けて十二年、かつてナマ平原、グル石山、ユツェ草原、パンネ山で三年ずつ過ごしました。夏は風雨をさえぎる家屋がなく、冬は寒風をしのぐ毛衣がなく、春は腹を満たす青草がなく、秋は天候がよかったのですが、すぐに過ぎ去ってしまいました。いたずらに十二年の月日が流れ、何も願いがかなわず、ゴクモはやって来ず、ジョルの居場所もわかりませんでした。

 いま私は年老いて衰え、英雄にはもはやなれません。四角い口は丸い鉄環をくわえることができません。六角形の体は鞍を載せることができません。もし競馬会に参加するなら、どうかドゥクモ家に行って馬を探してください。下界はもういいです、私は天にもどりたいのです。この歌を覚えてください」


三度、春に種を蒔かなければ

三度、秋に収穫は実らない。

三度、冬に乳牛を養わなければ

三度、春にミルクは得られない。

常日頃、駿馬を調教しなければ

戦火で力を発揮できない。


「私の話はこれまでです。ゴクモさん、ジョルに伝えていただきたい。私は天界に戻りたがっていると」

 この様子を見て、ドゥクモは泣き始めた。彼女は大泣きしながら神馬をとどめようと思って近づいたが、足もとの石ころに気づかず、つまずいて転んでしまった。彼女は転びながらも、地面をはいつくばって近づき、叫んだ。

「神馬さん、行かないで。ジョルはあなたを必要としています。リンはあなたを必要としています。私、ドゥクモもあなたを必要としています。ああ、神馬さん、行かないで!」

 母ゴクモはドゥクモほどにはあせっているように見えなかった。彼女は神馬が天に戻ろうとするのを見ると、身を屈めて天神に助けを求めた。

 すると天空の白雲から天神、竜王、さまざまな神が現れ、またジョルを取り囲んで天界の兄ドンキョン・カルポ、弟ルチュブ・ウェチョン、妹タンレ・ウーカルらも姿を見せた。兄ドンキョン・カルポは色白で、風の頭を持ち、三十三天界からやって来て喜びの笑顔を見せていた。弟ルチュブ・ウェチョンは若く、美しく、竜の頭を持ち、地下の竜宮からやって来て満面に笑みを浮かべていた。虚空のツェン神の領域からやって来た妹タンレ・ウーカルは、鵞鳥の羽衣を着て、瞳はいきいきとして、麗しく、からだはしなやかに美しかった。

 彼ら三人兄妹はすでにトゥパ・ガワ(ジョル)のことを聞いていた。そして今また、ゴクモに召喚され、ゴクモとドゥクモが神馬を手なずけるのを助けることになったのだった。兄ドンキョン・カルポは、神の縄の端を神馬に結わえた。ドンキョン・カルポは神の縄をゴクモに渡し、妹タンレ・ウーカルや神女らにたくさんの花を投げかけた。神馬はようやく馴らされ、ゴクモに従った。するとその瞬間たくさんの神々はどこかへ消え去った。

 この様子をすべて目撃したドゥクモは起き上がると、猛然とゴクモに飛びかかり、神の縄を奪おうとした。が、それがかえって神馬をおびえさせることになった。神馬はふたたび天に向かって飛び上がったが、ゴクモもいっしょに空中に舞い上がった。ドゥクモはただあきれて立ち尽くすばかりだった。

 神馬はゴクモを連れて空中を突き進み、より高く、より遠くへ飛んでいった。ゴクモの耳には風の音だけが聞こえた。あえて目は開けなかった。口を開いたのは神馬のほうだった。

「ゴクモ、怖がらないで。目を開けてごらん。すばらしい世界が見えるから」

 ゴクモはゆっくりと目を開いた。眼下には、インド、ペルシア、モンゴル、ジャン、中国、北の魔国などが見えた。しかしゴクモは暗澹たる気持ちでいっぱいだった。神馬を捉えるつもりだったのに、かえって捉えられ、空高く舞い上がっているのだから。地上に降り立つのでもない。ジョルはいまどこにいるのだろうか。ドゥクモはまた泣き喚いているのだろうか。

 神馬はゴクモが何も話さないので、また語りかけた。

「ゴクモよ、見るがいい。こんな世界、見たことがないだろう。いつか行くことになる世界だ。どうしてそんなに不機嫌なのだ?」

「どうして喜ぶことができましょうか? ジョルの事業はいまだ未完成です。リンの人々は苦しんでいます。ドゥクモは泣いています。どのような気持ちでその風景を見ることができるでしょうか。あなたはジョルの事業を助けることができるはずですし、人々を助けることもできるはずです。あなたに暇な時間などないはずです。私をこんな空中に連れてきて、いったい何をしたいのですか?」

 ゴクモのことばには悲哀と憤懣がこもっていた。希望に満ちていたのに、いままた不満のほうがまさっている。

 神馬はゴクモに責められても怒るどころか、かえって高笑いするのだった。

「ゴクモ、そんなにあせらないで。怒らないで。私は途中で天界に戻ることはしません。ジョルの事業が成し遂げられるまでは、戻りません。今日まで待ったのですから、ジョルの手助けだって十分できます。人々が幸福に暮らせるよう助けることもできます」

「ということは……」

「ゴクモよ、空を飛んでここに来たのは、ふたつ、示したいものがあったからです。ひとつは、ジョルの冗談! もうひとつは、未来の世界です。もう何も聞かないで。私が説明しますから。さあ、ご覧になってください!」

 神馬の口調は誠実そのもので、意味深そうだった。

 ゴクモは神馬の意図がよくわかったので、何も言わなかった。彼女は神馬の首に触れ、その言うことをしっかり聞こうとした。また下の世界をしっかりと見ようと考えた。

「ゴクモ、あのハゲワシが降りたような山頂、あれはインドの霊鷲山(りょうじゅせん)です。あの象が横になったような山、あれは中国の峨眉山。あの五本の指が開いたような峰、あれは五台山。あの水晶の瓶のような峰、あれはチベットのカイラス山。ゴクモ、忘れないで。これが南贍部(なんせんぶ)洲の四大聖地です」

 ゴクモはうなずき、記憶に留めた。

「ゴクモ、今度はチベットの四大聖山を見ましょう。あの法衣を着たような山、あれはヤラシャンポ。あの白い緞子のカーテンを掛けたような山、あれはニェンチェン・タンラです。あの白い獅子が蹲っているような山、あれはグンラ・リジェ。あの子どもを抱いた斑の虎のような山、あれはオデ・グンギェルです」

「なんて美しい山々でしょう!」

もともとゴクモは竜宮の竜女メトクナツェなのだった。竜宮からリンにやってきて外に出る機会もなかった。のちジョルとともに各地を放浪するようになったけれども、こんな美しい風景を見たことはなかった。

「さあ、もっと見ましょう。これは魔の国です。あの立ち込める雲や霧をごらんください。昼間も夜のように真っ暗です。これが北方のチュジュラカ。あの黒い人がお下げを垂らしているような山がジョウォナンリ山。あの鉄の楔を打ったような所が魔国のシャルナンゾン。北方の人はそれをパンカナロゴジョと呼んでいます。これらはみなジョルが妖魔を倒す場所なのです。それはまた私キャンゴ・ペルポが人々のために身を粉にして働いた場所なのです。

 あのトルマ(土偶)のような場所、あれはホル王のロツギェ地方です。これはドゥクモがさらわれて留まる所です。ジョルがその計略によって救い出します。

 あれは南方のモン地方のカシャドゥク山。山は黒い衣を着たように見えますが、黒い妖魔の宮城なのです。ここもまたジョルが制圧します。この地を得ることによって弓矢の原料を確保することができるようになるのです。

 あちらに毒が湧き出る黒い湖が見えます。あれはペリ・ドゥツォ湖。ジャン国のサタム王の領地です。この湖は魚がたくさん捕れます。ジョルが敵を倒すと、黒い湖も福の湖に変じます。妖魔の山も宝の山に変じるのです。

 ゴクモ、いま私が言ったことを記憶にとどめてください」

「私ゴクモは、聞いた神馬の話のひとつひとつを心にとどめました。もし話がこれで終わりなら、どうか家まで送り届けてください」

 ゴクモはジョルとドゥクモのことが気にかかり、神馬がすぐに家にもどってくれないことを少し恨めしく思った。

「ゴクモ、落ち着いて。最後にひとつ小さな要求をいたします。つまり私、神馬への賛歌をうたってほしいのです。神馬のよいところを知っているのは、ドゥクモをおいてほかにいません。ゴクモには、ドゥクモに神馬の賛歌をうたってもらうよう尽力してもらいたいのです。そうしていただければ、お家に送ってさしあげましょう。できないとおっしゃるなら、私は天界に戻ることになります」

「それなら簡単なことです。ドゥクモにそのことを話せば、賛歌をうたってくれるのですね」

 ゴクモは神馬が天界に帰ってしまうのをおそれ、即座にそう返答したのだった。

 ゴクモが色よい返事をしたのにこたえて、神馬キャンゴ・ペルポは下降し、中国の五台山に舞い降りた。あたかも神馬が降りてくるのを知っていたかのように、ジョルはすでにここで待っていた。神馬と母ゴクモがやってくるのを見ると、ジョルは何も言わず軽く三度手を叩いた。すると魔法にでもかかったかのようにつぎの瞬間、ゴクモとジョルはパンネ山に戻っていた。

その頃ドゥクモは空を見上げて、泣くこともわめくこともなく、ただ呆然として、待ちわびていた。突然ゴクモとジョルが神馬に乗ってやってくるのを見て、驚き、また喜んだ。何と言っていいかわからなかった。

 ゴクモは待っているドゥクモの姿を見て、神馬が最後に言ったことばを思い出し、彼女に呼びかけた。

「ドゥクモさん、この神馬を見て。この馬が上等、中等、下等のどれに属するかおっしゃって。そして美しい賛歌をうたってあげて」 

 富裕な家の出身で九つの駿馬の群れを所有するセンチャン・ドゥクモであれば、馬のよしあしを見極めるのはお手の物だった。


幼い頃、父親が言っていたことを覚えています。ドゥワ種の馬は長くてよい。パドゥ種の馬はすこやかで高い。ムゴン種の馬は荒々しくたくましい。チリン種の馬は大きくて美しい。

 大人になる前、老人たちが話すのを聞いていました。ドゥワ種の上等なのは、乗るに朝日のごとく輝かしく、慈雨のごとく清らか。ドゥワ種の下等なのは、皮膚が薄く、腰が細く、鉄の笛のごとし。ドゥワ種の中等なのは、糸のような栗毛の駿馬。外から見るとゆったりとしているが、じつは敏捷。

 家の馬飼いが言っていました。まず馬の顔を見なさい、と。鳳凰の顔がもっともよいとされます。ヤギの顔は力が足りません。鹿の顔は見込みがありません。

 つぎに脚と腹を見てください。牛の腿のようであれば上等、大鹿の腿のようであれば中等、ヤギの腿のようであれば下等とみなします。

 つぎに歯を見てください。歯茎が深いのは上等の馬。浅いのは中等の馬。虎歯、ブタ歯、ラクダ歯を持つ馬は下等の馬。

 つぎに毛色を見てください。鹿の毛、虎の毛を最上とします。狐の毛、熊の毛が下。柔らかくも硬くもないロバの毛は中等。

 つぎに蹄を見てください。はねあがり、内側が少し縮んだものがいい。平らで踵がないものは走りにくい。四つの湾曲と三つの直線のあるものは中等」

 ドゥクモは成長しながら自分の目で馬を見てきた。千頭の良馬を見たけれども、神馬と呼べるのはこのキャンゴ・ペルボだけだった。その頭は高く美しく、体つきは均衡が取れ、たてがみは厚く長く、目は丸く明るく、善悪の見分けが鋭敏で、妖魔はその姿を見ただけで震え慄いた。この神馬は畜生ではあるが、たいへんな智慧を有していた。

 このような千里駒は、見ただけでも福が招来されそうだった。ゴクモやジョルが求めなくても、この馬を見ただけでドゥクモは賛歌を歌っていた。

 

ああ、なんとすばらしいことか。

神馬よ、なんと類まれなことか。

リンの三十頭の駿馬のなかで

そなたを上回る馬はいない。

トンツェンの玉のように美しく鉄のように青い、

ツァシャン・テンマのように銀色に光り、神々しいお姿。

センダの白い雪豹だって

キャツァ・シェカルの背が白い鉄のような駒だって

そなたとは比べ物にならない。


そなたは真正の神馬。

野牛の額を持ち

青蛙の目を持ち

花蛇の瞳を持ち

白獅子の鼻を持ち

赤い虎の口を持ち

大鹿のあごを持ち

鵞鳥の毛を持つ。

七種の動物の優れた点を合わせ持った馬と

リンの平凡な馬を比べられようか?

 

天を翔るための二つの翼を持ち

大地を駈けるための四つの蹄を持ち

八方の音を聞く二つの耳を持ち

千里先を嗅ぐ神の鼻を持ち

人語をしゃべり、人の話を聞き

嘘とまことを聞き分ける。

今日ジョルのものになったなら

競馬での勝利は間違いなし。

すぐさまジョルとお行きなさい。

事業を成し遂げることになるでしょう。


神馬よ、

ドゥクモの賛歌は偽りなし

リンがそなたを必要としている。

ドゥクモは一生そなたを信じます。


 神馬はドゥクモの賛歌を聞き、落ち着いた気分になった。ジョルの近くに立ち、主人が騎乗するのを待った。ジョルが競馬で勝利することを神馬は確信した。



⇒ つぎ 









競馬で勝つためには、キャンゴ・ペルポ(ここではキャンゴ・ペルワ)が必要不可欠だった。空を飛ぶことができ、人語を解する神馬だった。



神馬をとらえるには非凡な能力が必要だった 


神馬キャンゴ・ペルポ 
 キャンゴ・ペルポは空を飛び、人語を解する神馬(lha rta)とみなされる。主人となるケサルと同時に生まれたとされるが、これはあきらかにブッダと愛馬カンタカのエピソードのパクリである。

 キャンゴ・ペルポは赤い馬だが、馬の神であるハヤグリーヴァ(馬頭明王。チベット語でタムディン)とおなじ色なのだろう。実際は赤栗毛色。

 また「赤い兔」は誤訳。最初の漢訳者がなじみのない名前のかわりに、三国志演義でおなじみの赤兎馬という名を与え、そこから「赤兎」が生まれたのだろう。そもそも赤兎馬は赤菟馬であり、菟は虎を意味していた。(⇒ ケサルの愛馬と関羽の赤兎馬

 キャンゴは超常的な力のある(ゴ)キャン(野生のロバ)という意味。ゴはワシという意味もある。キャンはチベット高原に分布するロバと馬の中間くらいの大きさの野生動物。首のラインは鹿のように柔らかく、なぜ神馬の名前に使われるのかはわからない。臆病ではないが、用心深く、その集団に50mくらいのところまでは近づけるが、それ以上寄ると、じりじりと離れていく。




参考 『絵本通俗三国志』の挿絵 「関羽、華雄を殺す」 葛飾戴斗画 
「名馬あり、一日に千里を走る、水を渡り山を超ゆること平地を行くがごとし。名づけて赤兎と称す」
*本文をよく読むと、華雄を殺したときに関羽が乗っていた馬は、赤兎馬ではない。この時点で赤兎馬に乗っていたのは呂布。史書の『三国志』には、呂布の馬のことが記されているが、赤兎馬という名は見えない。