1 神授型 

 チベット語でバプ・ドゥン(’bab sgrung)。ドゥンは物語やお話といった意味。ここでは叙事詩ケサル王物語のことを指す。バプは落下、降下の意味。直訳すれば降下した物語となる。つまりこのタイプのケサル詩人のケサル王物語は天から降ってきたもの、ということだ。

 神授型ケサル詩人の多くは小さい頃に不思議な夢を見て、夢から醒めたあと学んでもいないのに叙事詩を語り始めたという経験をもつ。彼らが説唱する物語は多いものも少ないものもあるが、こうしてひとりの語りの名人となっていくのだ。彼らが見る夢は、ケサル王物語のプロットとなり、神となり、英雄となる。彼らは一生説唱しつづけるよう命じられ、ある種の使命感をもち、目覚めたあとはケサル王物語のすばらしさを喧伝することになるのだ。

 彼らは文化的な環境になく、そのため夢を見ることや夢が複雑な生理現象であることを理解するのはむつかしく、伝統的な観念にしたがって、そういった物語を神仏から賜ったものとみなすのである。神仏に説唱することを命じられたので、彼らは神授型のケサル詩人と自認するのだ。

 調査によると、中国内のチベット人地区にこの神授型は26人いる。そのなかで最長老だったダクパ老人(1986年に81歳で逝去)やナクチュのアルダ(1990年に90歳で逝去)を除いても、なお70歳の丁青県のサンドゥ、68歳の玉珠や最年少の22歳のツェリン・ジャンドゥらがいる。彼らの大部分はチベット自治区のナチュ地区やチャムド地区に居住している。

 彼らには以下のような際立った特徴がある。


(1)抜群の記憶力 

 彼らのほとんどが文字を読むことができない。自分の名さえ書くことができない。チベット文字の一字すら認識できないという。しかしこれとは対象的に彼らの記憶力は並外れ ている。彼らは少なくともケサル王物語を10巻から20巻、多い場合は何十巻も記憶しているのだ。各巻あたり5千行という統計がある。もし20巻ほど歌うとするなら、10万行ということになる。これだけの分量の詩が彼らの頭の中に貯蔵されているのである。もし聴衆が聞きたいという巻があれば、それを貯蔵庫のなかから、あるいはコンピューターから取り出して、歌って聞かせるのだ。このことはおよそ理解しがたいが、事実なのである。

 ケサル詩人ダクパ(Grags-pa)もまたチベット文字をまったく読めなかった。それなのに42巻も説唱することができた。1986年に亡くなるまでそのうち26巻を録音することができた。合計すると60分テープ998本にもなった。今年33歳のナチュ地方ソグ県の女性ケサル詩人ユメも74巻も説唱できるという。彼女はそのうち25巻を収録した。テープ約900本である。丁青県のサンドゥプは41巻、テープ約2000本。聖金になって発見されたのはタングラの詩人ツェラン・ワンドゥ。説唱は148部にも達し、収録されたのは4部、それぞれテープ47、48、48、104本の合計247本。(*以上は90年代時点の統計)

 これらの数字は魯迅がいう「字を知らない作家」の称号にふさわしい民間芸能者だろう。このこと以外に、彼らは非凡な弁舌の才能を持っている。豊富な語彙を巧みに用い、叙事詩ケサル王物語を活き活きとしたものにし、まるで眼前でそれらが実際に展開しているかのように思わせる。聴衆はそれによって教育され、陶冶され、美を享受することになるのだ。彼らが伝えるのは叙事詩であり、それは知識の宝庫である。もし彼らに聡明さや機知、民族の文化遺産に対する愛情がなかったなら、このような叙事詩が伝えられることはなかっただろう。


(2)少年期に夢を見る

 この型のどのケサル詩人も少年期に夢を見て、その後物語の語り手としての生涯を始めることになる。夢を見た年齢と内容はまちまちである。

 タクパ9歳。ユメ16歳。サンドゥプ15歳。ツェワン・ジグメ13歳。ツェラン・ワンドゥ13歳。

 夢の内容はどれもケサル王物語と関係しているものの、具体的には異なっている。

ツェワン・ジグメの場合、ケサル王物語の内容と似た夢を見る。その筋や場面は自分の経歴や境遇と似ていた。

タクパやユメの場合、夢のなかにケサル王物語中の神、あるいは英雄が現れ、ケサルの生涯や事跡について宣揚し、物語を説唱せよと命じた。

 サンドゥプの場合、夢の中で(彼らは文字が読めないが)厖大な叙事詩の本を読む。これによって物語の内容を知るのである。

 チューダクやツェラン・ワンドゥの場合、毎日夢を見続ける。何年も続けて見るのだという。新しい夢を見るたびに物語は続いていくのだ。

 このように彼らは夢の中で物語を得るので、「夢中神授」のケサル詩人と呼ばれることがある。


(3)ケサルになじみ深い家族や地域の出身 

 彼らの多くはケサルになじみのある家族や流布した地域の出身である。少なからぬケサル詩人の父や祖父が比較的知られたケサル詩人であり、家庭内で歌われるような環境のなかで自然と影響を受けて育った。

 そのなかでもチベット北部のサンドゥプ、ユメ、ゲサン・ドルジェ、ツェリン・ジャンドゥ、チャムドのアジョク・パンデン、ゴロクのガンゾ、ツクトルら7人はケサル詩人を輩出する家系に生まれた。

ユメの父親ロダクはナチュ・ソグ県一帯では有名なケサル詩人だった。かつてはソグ・ゾンのゾン・ポン(ゾンの長官)がロダクを家に招き、数か月も説唱させたことがあったという。ユメは父の薫陶を受けて育ったが、父は彼女が16歳のとき亡くなった。

 サンドゥプの故郷はロダクの故郷と隣り合っていた。彼は若いときロダクの演唱を聴く機会があったが、その立派な体格と完璧な説唱に深い感銘を受けた。しかし子供のときはおじいさんについて行ってケサルを聞いただけだった。

 チャムドのジョンダー県の55歳になるアジョク・パンデンも、父が有名なケサル詩人のタシ・ドンドゥプだった。アムド県の38歳になるゲサン・ドルジェはケサルを60回説唱しただけの若いケサル詩人だが、父は「ナチュのドンケン(ケサル詩人)ドルジェ・パンデン」として知られ、由緒ある系統の13代目だった。ゴロクのガンゾ、ツクトルも父親の影響を受けていた。


(4)特殊な生活 

 彼らは比較的特殊な生活を送っていた。彼らの地位は低く、生活が困窮している場合が多かった。生活が逼迫しているため、各地を歩きながら吟唱し、それを糧としたのである。彼らは巡礼者や商人とともに歩き、聖山や神湖、名勝旧跡をめぐった。こうして彼らは見聞を広め、心の中はさっぱりしていた。彼らは流浪のなかでその叙事詩を充実させ、形成させていったので、ほかのタイプのケサル詩人と比べ、内容が面白く、言葉が豊富で、人を引き込む洗練された物語を説唱することができた。彼らはケサル詩人のなかでも傑出していた。ダクパ、サンドゥプ、ユメ、ツェリン・ジグメ、ツェラン・ワンドゥ、ガンゾ、アダルらがそうである。



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