チベットの英雄叙事詩 

ケサル王物語 

20  降魔法を習得するためケサル、愛妃とともに修行に入ろうとするが…… 

 ケサルが王位に就いて以降、リン国には平静と安寧の日々がやってきた。人々は心の底から喜び、笑顔が絶えなかった。ケサルはセンチャム・ドゥクモを王妃とし、ふたりは幸せな毎日を過ごすようになった。

 しばらくして規定にしたがい、ケサルはメサ・ブムキ、ルラン・セルツォ、ティチャム・ペーゾム、コンチャム・ドルゼ、カルツァ・デンマ、キワ・パムツォ、ルチャム・ゼマ、モンパ・キデ、チェラ・モプティ、アカル・トゥゼ、ガワ・ゾンパ、アチャム・ダルキという12人の娘を妃とした。ドゥクモとあわせてリン13王妃と呼ばれた。

 ケサルは王宮を出て巡幸をした。石山と雪山の境目にある草原にやってきた。雪山は白く輝き、草原は緑に輝いていた。この白と緑の間に、草も生えなければ雪もない石だらけの場所があった。石は赤褐色を帯びていた。赤褐色が雪山と草原を隔てたり、つないだりして、何ともいえない美しい風景を織り上げていた。

 馬の群れ、牛の群れ、羊の群れが草原の右のほう、左のほう、あるいは真ん中に放牧されていた。頭が白く、よく肥えた綿羊は、雪山の上から転がってくる雪のよう。あるいは海の中の真珠のよう。草の葉は、敷物のような草原上をたゆたっている。

 目の前の美しい風景を見てケサルは満悦した。すると突然けだるくなり、睡魔に襲われた。ケサルは上衣を脱ぎ捨てると、頭を右腕の袖に、足を左腕の袖に入れ、張った弓のような形で眠った。

 熟睡していたケサルのもとに、三十三天から彩雲に乗った天の叔母ナムメン・カルモが降りてきて、飄々と舞った。あたりには何とも言えない香気があふれた。ケサルはこの香気を吸ってさらに心地よく眠りつづけた。

 天母はケサルの耳元に近づき、やさしくささやいた。

「かわいいトゥパ・ガワよ、いつまでも寝ていないで起きなさい。すぐに東方のチャム寺へ行って降魔法を学びなさい。三七二十一日しか時間はありません。これは白梵天さまの命令ですから。さあ、いい子ですから、お行きなさい。それから修行のときにメサ王妃を連れて行くことを忘れないでくださいね」

 こうささやくと、天の叔母は五色の虹に囲まれて飄然と去っていった。ケサルの心には天母の予言が刻まれた。

 ケサルは怠慢ではなかった。身体を起こすと、すぐさまリン国へ向かった。ケサルは進んでは思案した。魔物を倒すためには、すべての魔軍を制圧しなければならない。私はシャカムニが明王の力を用いたように、5種の神力を用いて倒さねばならない。そのためには明王修法を修得しなければならないのだ。時期が来たら天母の言葉にしたがい、メサ王妃を連れてチャム寺へ行き、閉関(こもり)修行をせねばならぬ。

 リンに戻り、メサ妃といっしょに閉関修行をおこなうつもりだとケサルが告げると、ドゥクモは不機嫌になった。

「あら、まあ、大王さま。帰ってきて何をおっしゃるかと思ったら、閉関修行ですって。それなら私がお供しますわ。メサどのをつれて何をなさりたいというのですか」

「ドゥクモよ、誤解しないでくれ。これは天母さまの思し召しでござるぞ。どうか留守番して母上に仕えてくれ」

 ケサルは必死に言い訳をしたが、ドゥクモの機嫌は直りそうになかった。

 ドゥクモはケサルから離れたくなかった。またメサ妃にケサルといっしょに行ってほしくなかった。彼女はあれこれと考えを練った。

 彼女はメサを探し当てると、言った。

「メサどの、大王さまはこのたび東方のチャム寺へ行って明王修法の行をなさるそうで、私もお供せよと命じなさいました。そなたにはこちらでお母様の側にいてもらいたいのです。閉関修行が終わりましたら、また会えるわね」

 メサはドゥクモの話を聞いても半信半疑だった。彼女はドゥクモがどこにでも顔を出したがるのを知っていたので、ケサルが命じたことにしていっしょに修行しようと目論んでいるのではないかと思った。どちらにしろ、自分が我慢して譲るほかなさそうだ。そう考え、メサは何も言わず、ただうなずいた。

 ドゥクモはわが意を得たりと思い、喜んでケサルのもとに戻って、言った。

「大王様、メサどのがお供をするのを邪魔するつもりはないのですけれども、聞けばお体がすぐれないとのこと。うちで休まれたほうがよろしいかと存じます。大王さまのお供は私がつとめさせていただきます」

 ケサルはもちろんドゥクモのことが好きだったが、メサのことも好きだった。度合いにそれほどの違いはなかった。メサを同伴したかったのは、天の叔母の思し召しだからである。しかしメサの体調がすぐれぬというのだから、そうなのだろう。それ以上の穿鑿はしなかった。ケサルはドゥクモをつれて閉関修法を実践するために寺へ向かった。

 ケサル王が閉関(こもり)修法をつづけて7日目、リンにとどまっていたメサは悪夢を見た。夢の中で、谷の上のほうから赤い風が、下の方から黒い風が吹いてきた。メサは風に巻き込まれ、吹き飛ばされてしまった。彼女は恐れおののき、何が起こったのかわからなかった。

 翌朝早く、メサは手作りの甘い食事をもってケサルに会うために寺へと急いだ。彼女は一刻も早く会いたかった。そして夢の意味を聞きたかった。何か恐ろしいことが起こるのではないかと心配だった。ケサルはおそらくまだ占いはしていないはずなので、私のかわりに夢占いをしてくれるだろう。

 メサがチャム寺近くの泉に通りかかったとき、水桶を背負ったドゥクモと出くわした。メサ・ブムキを見るやドゥクモは不快になり、いらつきをあらわにして、強い口調で言った。

「まあ、メサどの。いかがなさいましたの?」

 メサは疲れていたし、喉が渇き、おなかも減っていたので、それにドゥクモの顔色も尋常ではなかったので、あわてて言った。

「ドゥクモ姉さま、昨晩不吉な夢を見たのです。とても恐ろしいことです。それで大王さまにこの夢のことを報告に参りました。お姉さま、私が来たことをお伝えください」

 ドゥクモはうなずくと、水桶を背負ったまま立ち去った。しかし彼女はその夢についてケサルに知らせるどころか、メサが来たことさえ話題にしなかった。空になった水桶を持ってドゥクモは戻ってきた。

「メサどの、大王さまに夢のことを申しました。おっしゃるには、その夢はまことではないというのです。それは修行の妨げになるものであり、とくに婦人の夢ですから、信じることができないとおっしゃっていました。もうお戻りなさい。もう二度の七日で、われわれも戻りますから」

 メサはドゥクモの話を聞いて悲しくなり、目から涙があふれそうになった。何か言い足りないような目で彼女はドゥクモを見た。

「わかりました、ドゥクモ姉さま。私が持ってきました甘いごちそうをどうか大王さまに差し上げてください。私の夢のことももう一度お伝えください。吉凶を占っていただきたいのです」

 そう言い終えると涙があふれて頬を伝った。そして来た道を戻っていった。

 ドゥクモの心は晴れなかった。でも、それもこれも大王さまへの愛のため。いま修行に励んでおられる大王さまの邪魔をするわけにもいきますまい、と彼女は思った。メサの夢の話は伝えないことに決めた。しかしメサが持ってきた甘いごちそうは渡すことにした。

「おや、この甘いごちそう、メサが作ったものだな。メサは来たのかね? 家の中で何かあったのかな」

 ドゥクモはひどくあわてた。表面上を取り繕いながら、つい詰問するような口調になってしまう。

「大王さま、何をおっしゃっているのです? メサが作ったごちそうですって? まるで金か宝石のようにおっしゃいますのね! メサが作るごちそうなら、私だって作れますとも。大王さまは余計なことは考えないでください! いまは修行に励んでください!」

 ケサルは何も言えず、もくもくとごちそうを食べた。心の中はかき乱され、平静を保つのはむつかしかった。

 

⇒ つぎ 


 愛妃メサ 
ケサルは天の叔母の言葉にしたがって、第二妃メサをパートナーに選んで、こもりの修行をしようとしたが、そのことを知った正妃ドゥクモは激しく嫉妬し、邪魔しようとした。


*性ヨーガの話なの?
 
 ケサル王物語は元来娯楽のための芸能であって、仏教説話ではないことを心に留めたい。ドゥンパ(語り手)が語るこの章は、いわゆる艶笑エピソード。同時に、聴衆の大半はチベット仏教徒なので(ボン教徒でもかまわないが)、チベット仏教の範囲をはずれてはいない。

 たとえばチベット人の間では有名な『84人のシッダ(成就者)』という古典がある。ここに描かれる古代の密教の成就者たちは、明妃(パートナー)とともに修行に励んでいる。

 チベット仏教の主流派であるゲルク派は、根本経典に性ヨーガを示唆する内容を含むが、それは観念的なものであり、実践することはなかった。ただし古代のシッダたちは実践していたはずだし、現在も伝統はつづいているかもしれない。要は、セックス三昧に堕さないことである。堕落した所業とならないためには、相当の修練と強い意志が必要とされるだろう。

 もし日本で恋人や夫婦でない相手に「性ヨーガしよう」と言ったら、ひっぱたかれるか、警察に通報されるかだろう。

 チベットの社会では、これは「修行」であり、「浮気」ではないといえば反論できない。しかもこの場合、第二とはいえ、王妃には違いないのだから、浮気ではない。(旧来のチベット社会は一妻多夫制だったので、真逆だが) 

 ケサルが第二妃のメサをつれて修行に入るということは、性ヨーガをおこなうということである。正妃のドゥクモの心中が穏やかでないのも、もっともだ。ドゥクモからすれば、隣の部屋で夫がよその若い女と寝るのを座視するようなもので、とうてい耐えきれない。

 こういった情景が浮かんできた聴衆は、具体的な描写がなくても、いや、ないからこそ、おかしくてクスクス笑ってしまうだろう。落語の艶笑小咄のようなものなのだ。

 ちなみに明妃の相手としては、アウトカーストの少女がよしとされる。貴婦人はふさわしくないと考えられるのだ。正妃が選ばれなかったのにはそういった理由もあった。

 このあとケサル、ドゥクモ、メサ、リン国にさまざまな災難が降りかかるが、それは天の勅命に従わなかったからだともいえる。