ケサル王の戦士の歌 ダグラス・J・ペニック (宮本神酒男訳)

 

1章 

2 

 宇宙の鏡のような輝く純粋世界から、知性が燃え立つ至福世界から、戦士の雷のごとき確信世界から、大いなる存在にして悪魔の破壊者、偉大なる英雄ケサルが、剣が紙を切るように、この世界に入ってくる。

 竜の王女であるケサルの母、ゼデンは姿を変えて少女となり、海中の霧の向こうの故郷からはるか遠く離れたこの世界をさまよい歩いていた。

 寂しく、恐れを感じながらも、彼女はリン国の年老いた王シンレンの召使いとして働き始めた。王が彼女を見てなかに入れ、食べ物と住む場所を与えたのである。

 ある日宮殿から離れた牧草地で王の馬の世話をしているとき、疲れと悲しみでぐったりとしていたゼデンは、うとうとと眠ってしまい、夢を見た。夢の中で、灰色の馬に乗った銀の甲冑をまとう神が、旗や傘を持った600の神々に警護されながら、黄金の虹を渡って彼女に向って降りてきた。

 神はゼデンに近づき、甘露に満ちた黄金の水瓶を渡した。神はゼデンに向って、リン国の将来の王で八方向の悪魔の征服者となる者が甘露をじっと見つめると、甘露にその姿が刻印されるだろうと話した。

「どうかこれを飲んでください。これによって王国は建設され、すべての民は悪魔から解き放たれるでしょう」

 ゼデンはその言葉に従った。すると何も言わずに神は来たときのように去っていった。

 彼女は家に戻ってすぐ、病気になった。シンレンの嫉妬深い妻は少女が夫の子どもを宿したのではないかと疑い、重病の彼女を見捨てることにした。ゼデンは自分の命はそう長くないのではないかと考えた。しかしその夜、白い虹の一部があらわれ、彼女の頭に触れた。すると頭頂から法螺貝のように白い男の子が生まれたのだった。

 男の子はゼデンの周囲を三度まわり、歌った。

「母よ、親切にしてくれてありがとうございます。この恩は報われるでしょう」

 そう歌うと男の子は天空へと消えた。

 翌日の夜、赤い光線が彼女の右肩に触れ、そこから炎の色をした男の子が出現した。男の子はおなじことを歌うと、また消えていった。

 またつぎの夜、青い光線が彼女の左肩に触れた。おなじようにトルコ石色をした男の子が現れ、おなじ内容の言葉を伝え、去っていった。

 四日目の明け方、日光がゼデンの心臓に触れると女神のドレスを着た少女が現れた。少女は母の前で三度平伏し、天空へ戻っていった。

 最終的に数日後、ゼデンは自分の頭がおかしくなっていると感じはじめたとき、心臓から声が聞こえてきた。

「母よ、恐れないでください。それよりも、ぼくが生まれるべきときが来たかどうか探ってください」

 彼女は自分に悪魔が憑いたのではないかと思ったが、何をすればよいかたずねると、こたえが返ってきた。

「あなたの動物たちが子を産んだかどうか、白米の雨が空から降ってきたかどうか、黄金の花が咲いたかどうか、大地が黄、青、黒色の雪に覆われたかどうか、外に出てよく見てください」

 ゼデンはばかばかしいと思いながら、外に出て見ると、それらの奇妙な3つのことが起きていた。

「お母さん、どうやら生まれるときが来たようです。あなたの頭頂から生まれますが、恐れないでください」

 それから数刻ののち、3つの黒い点がしるされた白い卵が彼女の頭の頂から生まれ出た。彼女はそれを布にくるんだ。しばらくすると、殻が破れ、なかから強くて血色のいい男の子が出てきた。ゼデンは男の子を腕(かいな)に抱き、いとおしげに揺らした。

 シンレンの妻とシンレンの臆病で邪悪な兄弟、トドンのふたりは、空に輝く白米の雨を見た。黄、赤、青、黒色の雪のなかに黄金の花々が咲くのを見た。そしてすべての動物が同時に出産するのを見た。

 トドンはこれらの奇蹟が示す予言の意味するところを熟知していた。すなわち将来のリン国の王がやってくるということである。

 もしそのようなことがあれば、自分の権力や財産を損なうことになるかもしれないとトドンはおそれた。シンレンの妻はトドンに、ゼデンが妊娠していること、子供が近く生まれるのではないかと思われることを教えた。彼らは調査をはじめた。

 トドンは威圧的に見せるために、青銅の甲冑をまとい、兜をかぶり、馬に乗ってゼデンのテントへ行った。テントに近づくと、なかから母と子がしゃべっているのが聞こえてきた。

「悪魔の娘よ、おまえはどうしてこの地に怪物の子を生んだのか。おまえが最初にここに来たとき、おまえを殺すべきだった」

 トドンはそう叫ぶと、テントに大股で歩いていった。

 すると目の前に美しい小さな少年が立ちはだかった。その真剣な暗いまなざしは冷静沈着で、トドンをじっと見つめていた。心の中で、この少年こそ将来のケサルであることがトドンにはわかった。もしいまこの少年を殺さなければ、未来永劫にわたって屈辱を味あわされることになるだろう。

 泣き叫ぶ母親を突き飛ばし、トドンは少年をつかむと、その頭をテントのポールに押し付けた。しかし少年は笑うだけだった。

「お母さん、心配しないでください。この男がぼくを傷つける運命はありませんから、大丈夫です」

 トドンは恐ろしくなるとともに、怒り狂った。彼は少年の手と足をぼろ布でしばり、深い溝に落とし、棘の多い枝を投げ入れ、上から巨大な平たい石をかぶせた。

 トドンが去ったあと、ゼデンがわが子の墓の前で泣いていると、地中から声が聞こえてきた。

「泣かないでください、お母さん。ぼくに死というものは存在しません。人の心を解き放つというぼくの永遠の役目を、死が邪魔することはありえないのです」

 翌日、彼女が目覚めると、そこには少年がいた。少年はそれが剣であるかのように、棒を持って、あちらこちらを飛び跳ねながら遊んでいた。

 三日後、トドンは突然不安になった。子供が本当に死んだかどうか確信が持てなくなったので、シンレンの妻に子どもの墓を調べてもらうよう頼んだ。

 はるか遠くからでも、テントの前で子どもが弓矢を持って遊んでいるのがわかった。彼女は急いで走って戻り、トドンに告げた。

「なんと恐ろしいことでしょう。通常の方法で殺せないなら、呪術を使って殺すしかないでしょう」

 そこでトドンは馬に乗り、半日ほど走り、国中にその呪術パワーが知れわたった隠者が修行している洞窟に着いた。できうるかぎりの甘言を弄し、高価な贈り物をし、ようやく隠者はおそるべき呪術をあきらかにすることにした。その呪術なら、子供の命を奪うことができるだろう。

 翌朝、薄い鋼(はがね)の刃でできた羽根、青銅の嘴と爪を持った3羽のカラスがゼデンのテントのまわりを飛んでいた。子供はそれを見つけると、矢を放ってカラスすべてを射落とした。

 しかし彼には呪術師がほかの呪術を仕掛けてくるのがわかったので、洞窟に直接行って本人と会うことにした。

 洞窟の前に着いたとき、子供は完全に裸だった。一方呪術師は黒くて長いマントを羽織り、人骨でできた前掛けを掛け、小さな髑髏をかたどった骨の装飾を施された高帽子をかぶっていた。

 呪術をおこなうため、彼は洞窟の前には祭壇を作った。祭壇の上は、動物や蛇の死骸、武器、毒類、さまざまな恐ろしい献上物であふれんばかりだった。

 光り輝く裸の子供が大股で堂々と歩いてくるのを見た呪術師は、恐怖を感じ、汗だらけになった。

「どこからそんな勇気が湧いてくるのだ? おまえは悪魔の子なのか? おまえはわしのことを聞いたことがないのか?」と呪術師は吼えた。 

 吠えながら、彼は走って祭壇の向こうに身を隠した。

「いやあそうだね」と子供はささやくように言う。岩や洞窟がささやくように、子供のささやきも聞こえた。「あんたのことなら知ってるよ。あんたが人生をかけて、だれの役にも立たない超能力を身につけてきたことはみな知ってるさ。それで他人の礼賛や富を得ているってこともね。あんたを礼賛することもなければ、お金を払うこともないのに、どうしたらあんたを恐れる必要がある?」

「ほほう、よくも言ってくれるな。それならどっちの力が強いか、比べてみようじゃないか」と呪術師は挑戦状をたたきつけた。「おまえの神を呼べ。わしはわしの神を呼ぶ。負けた者は死ぬことになるだろう」

「あんたは自分で自分の運命を決めてしまったようだ」

 と光り輝く子供は雪崩のような声で叫び、呪術師の祭壇を蹴飛ばした。祭壇とその上にのっていたものすべては塊となり、転がって呪術師を巻き込み、洞窟のなかに呪術師を押し込んだ。彼はそこに閉じ込められ、もはや外に出られる希望はなかった。

 それから子どものケサルと母は所有物をほとんど持たず、遠く離れた砂漠地帯に2週間滞在した。そこなら安全と思われたからである。しかしそこは厳しい、不毛の地で、歩きながらゼデンは「どうしたらここで生き抜いていけるのか、いままで起こったことに何の意味があるのか」とたずねずにはいられなかった。ケサルは母をなぐさめるために、子供時代の歌をうたった。

 

母よ、ぼくは知りません、不純な世界を。

それゆえ敵をもたないのです。

母よ、敵が存在しないので

考えはつねに正しいのです。

母よ、ぼくはつねに自身より他人の幸福を願ってきました。

だからぼくは幻の子供なのです。

母よ、ぼくは幻の国の王様なので

何事も成就しようとは思っていません。

ぼくには希望も恐怖もないのです。

母よ、ご覧のようにぼくはとても平静です。

ぼくは疑いなくあなたの子供です。

この家族が受け継ぐものは、あなたが受け継いだものです。

人によっては恐ろしくてたまらないようなことも

生存競争に没頭するような事態も

ぼくの目には異なって映ります。

ぼくの目には、この世界は剣の刃に映る像にすぎないのです。

剣が空を切ったとき

それは美しい歌をうたいます。

母よ、この剣を、われらの家宝を、ご覧ください。

あなたもぼくが見ているのとおなじものを見ているはずです。

母よ、あなたのおかげでぼくは

4つの元素からできた、すこやかな身体をもっています。

あなたの愛すべき言葉のおかげで

話の力を持っています。

それなしにこの世界に善が現れることはありません。

これはあなたのおかげなのです。

いかにそれが奇妙で、痛々しく、恐ろしいことであろうとも

善の力がそれ自身を示すなら

この門(*この世界の入り口)から入らなければならないのです。

それもあなたのおかげなのです。

あなたが物事を真の目で見るとき

あなたは何も恐れる必がありません。

お母さん、覚えているでしょうか。

ぼくが生まれるとき

あなたの動物もすべていっせいに子供を産みました。

それにはつぎのような意味があります。

子馬は確信と知恵の子供です。

それはぼくが戦う戦争のなかでぼくを運んでくれるでしょう。

ヤクと羊の子は征服によって土地が増えることを表します。

犬の誕生は不意に捕えられることがないことを示します。

花咲く黄金の花はこの地に多くの賢者が住むことのしるしです。

黒い雪は北の悪魔への勝利を示します。

わが剣は悪魔の数多い頭を断ち切るでしょう。

青い雪は東の悪魔への勝利を示します。

悪魔の上にわが鞍を置き、悪魔を殺すでしょう。

赤と黄の雪は西と南の帝国の悪魔への勝利を示すでしょう。

母よ、間違いなくわが覇業は達成されるでしょう。

あなたの身体に触れた虹と

あなたから生まれ出た神々は

われらの家族と知恵の力、純粋な存在の信頼できる指導、

それらを分離することができないことを表します。

ですから母よ、恐れないでください。

これからはずっと真の友人なのです。

トドンの悪しきおこないでさえ、よい兆しなのです。

トドンがぼくを棘の枝と土の下に埋めたときも

それは横たわっていたところにあった土と植物と

親しくなったことを意味するのです。

大きな石をぼくの上にのせたけれど

それは石のような堅固な力を得たということなのです。

ボロ布を使ってぼくをしばりあげたのも

すぐに王室の衣装をまとうことを意味していたのです。

呪術師、呪文、そして彼が生み出したすべてのものへの勝利は

体、話、心(*身、口、意)に邪悪な力がないことを示します。

ですからお母さん、恐れないでください。

敵と思われるものこそ本当は恩恵をもたらしてくれるものです。

人生は厳しく、貧しいもののように思われますが

太陽、月、星が尽きない光で祝福してくれます。

われわれは雨や雪に支えられ、

野生の牛、草、大地に養われているのです。

われわれは神々が礼賛するすばらしい場所に住んでいます。

この広大な緑の宮殿はわれわれの客間です。

母よ、貧しい生活を恐れないでください。

よく恵まれているときに

古臭い見方にしばられ、盲目にならないようにしてください。

それらから解放されたとき

すべての富はあなたのものなのです。

ケサルの心は水晶の剣です。

あなたはがケサルに人間の形を与えてくれたおかげで

ケサルは現象の核心に入ることができました。

ケサルはすべてのものの人生であり、すべてのものの呼吸です。

ケサルは光の光であり、暗闇の中の光です。

ケサルは元素のダンスであり、元素そのものです。

ケサルは感覚の鮮明さであり、感覚そのものです。

ケサルは導きの精神であり、真実の法則です。

母よ、ぼくを恐れないでください。

そしてぼくの目を見てください。

絶望を知らない死のない世界がそこに見えます。

母よ、この水晶の刃の剣があまりにもまぶしいゆえ、

盲目(めしい)の人でも見ることができるでしょう。

悪魔の暗黒の領土をぼくは完璧に破壊することになるでしょう。

そしてぼくの王国は時空において境界がないでしょう。

ぼくの「考える力」によってすべての人類が恐怖から解き放たれるでしょう。

ぼくの「見る力」は躊躇を知らず、卑劣な者を恐怖で満たすでしょう。

そして真の自由を求める者を喜びで満たすでしょう。

母よ、あなたがどう感じようと、

よき心の渇望から

あなたはそれを生み出したのです。