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 リンの戦士たちは勝利と国王の帰還に大いに沸いた。踊り子たちが「虎の宴」と銘打った踊りを踊っている間、人々は盛大な宴の準備を進めた。

 セチャン・ドゥクモは、ホルの王妃の衣装を着たまま、恥じ入ったり、悲嘆にくれたりしながら、リンの人々の前に出ていくのを尻込みし、テントにひとりこもっていた。ケサルがテントを訪ねたが、ドゥクモは陰に隠れ、彼を見ることができなかった。壮麗な甲冑に身を包んだケサルは、テントの中に立ったまま、彼女にやさしく話しかけた。

 

王妃にしてわが妻、セチャン・ドゥクモよ 

お互い自分がしたことの後悔 

お互い相手がしたことにたいする怒り 

真の愛はかくももろいという哀しみ 

つかのまの愛は衝動的で悲劇をもたらすという悲しみ 

純粋の愛が戻ってくることにたいする疑い 

品位も喜びも落ち着く場所がないかもしれないという恐怖 

人を誤らせやすい、危険な環境のなかで 

すべてのことは、おおわが心の伴侶よ、

われわれを分けようとしているかのようだけれど 

いや、われわれはそれを分かち合うことができるはずだ 

 

 この歌をうたったあと、ケサルは静かにテントを去った。

 翌朝、リンのすべての戦士と家来が宮殿の前に集まった。セチャン・ドゥクモは地元の衣装を着てケサルの前に姿を現した。彼女がケサルの左側に並び、牢獄に入れられていたため青ざめて、やせ細ったトドンが右側に立った。喜びと祝福のムードがあふれていたが、不確定なことが多く、陰鬱な要素が入り混じっていた。それからケサルはトドンを呼び、彼が起こした行動について説明し、獄中で何を学んだか話すよう求めた。トドンは傲慢になったり、傷つきあわれなそぶりを見せたりしながら歌った。

 

わしは賢さと強さに恵まれたが 

過去世において善行を積んだため 

ごく普通の人間でいられる。 

わしは高い身分と栄誉に恵まれたが 

死すべき運命の人間でいられる。 

わしがしたことは理にかなったことだと思っているが 

物事は思ったようにはいかなかった。 

いま、わしは独房での3年の刑期を終えた。 

いまおまえはわしが学んだことを知りたいという。 

若き王よ、おまえは喜ばないだろう。 

まあ、臆病な臣民も満足しないだろう。 

何年間も暗くて薄汚い穴に閉じ込められていると 

眼前に自分の人生がつぎつぎと浮かび上がってくるものだ。 

こうすればよかった、ああすればよかったと 

何度も考えたものだ。 

このことから、なぜ物事がそのようになったのか 

あるいはなぜ、ほかの物事にならなかったのか 

理由を見つけようとしたが、わからなかった。 

言い換えるなら、わしがわしである理由を見つけることができなかった。 

わしはわしであることを選んだわけではない。 

そして頭の中に降りそそぐおびただしい思考のなかで 

どれひとつとして選んだわけではないのだ。 

家畜小屋のような独房のなかにいるときでさえ 

寝ているときも、起きているときも 

親切な女たちだの、信仰深い召使たちだの、従順な軍隊だの、

あらゆる種類の征服だの、とめどない考えがはっきりと姿をあらわすものだ。 

それらは絹の織物やすばらしい馬、宝石、 

柔らかい座布団、音楽などの罠を持って 

わしにちかづいて来た。 

おお、喜びというのは細かく分ければ無限にあるものだ。 

わしは細かい喜びをもって満足しよう。 

わしはいつもこのような調子なのだ。 

わしはいまもわしである。 

いまの自分を望まない人間なんているだろうか。 

いまの自分を離れていかなる存在があるというのか。 

ひどい侮辱、屈辱の思い出、敗残者になったこと 

過酷な拷問、隠された死 

わしを切り刻みながら 

これらのことが心の中でわしの気を惹こうとする。 

だれが復讐を、あるいは逃走を考えないだろうか。 

おまえはわしがわしにほかならないことを願うだろう。 

わし自身それを望んでいるかもしれない。 

しかし暗闇にひとり坐しているときにわしは理解した。 

わしは人間として生まれた。 

この世界のよいものを得るために 

あるいはたくさんの悪しき痛みをさけるために 

この仕組みからわしは脱却することができない。 

もしおまえがわしを非難するなら 

おまえはわしと違うのだと言うがいい。 

もしわしが違うのだとおまえが考えているとしたら 

わしを殺すがいい。 

あるいはほかの場所で、わしが暮らせるようにしてほしい。 

だがおまえが正直者なら 

わしを憎んでいるとしても 

わしを自由にしてくれるだろう。 

 

 トドンの歌を聞いて、多くの人が確信を抱くことができた。ほかにも、満足する者もいれば、クスクス笑いをする者もいた。しかしこの歌を否定的にとらえる者はいなかった。そして場は沈黙に支配された。ケサルが沈黙を破り、答えて歌った。

 

戦略においてトドンを上回る者は 

この世界にはいない。 

損得の計算をするとき 

彼は大先生である。 

しかし彼は自分のことしか考えないので 

究極的に彼はけっして勝てない。 

大いなる王妃、セチャン・ドゥクモの場合をみると 

彼女はもっとも慈しみの心を持つ存在である。 

この世で彼女以上にやさしく、愛らしい者はいない。 

彼女以上に人々や仲間を守り、誇りにする者はいない。 

しかし彼女の献身が足りなかったわけではないのに 

最大限努力したにもかかわらず 

彼女は混乱し、

愛する者すべてを裏切ることになってしまった。 

あらゆる次元で存在とは 

いつもこのようなものである。 

もしあなたが自分自身を探したら 

あなたは自分自身を失ってしまうだろう。 

もしあなたが別のあなたを探したなら 

あなたはあなたの世界を失ってしまうだろう。 

存在は存在によって確かめられないのだ。 

現実の輝く魔術、生命の楽しい力は 

それそのものの関係のなかにのみ存在する。 

友よ、雨粒が静かな池に落ちるとき 

それ自体の本性のなかに落ちて、

分けられずに溶解し、何も起こらない。 

しかしおなじ雨粒がおなじ池に落ちるとき 

さざなみが輝き、水の表面でダンスを踊る。 

このようにひとつの事象の二つの見方から 

真の魔術は生まれる。 

すなわち王国を興すことと破壊すること 

楽しいこととみじめなこと 

輝くことと退廃すること

こうした二つの見方から魔術が生まれるのだ。 

この瞬間から生命の中心で 

ホルの魔神たちは

粘性があり頭から離れない考えという 

輝く鉄の網を張る。 

このように彼らは幻影がちかちかする幻覚を追って競うという 

非現実的な世界を創造した。

われわれがこの悪魔を倒したにしても 

彼らの子孫はかならず復活するので、

それごとにつねに駆除しなければならない。 

友よ、どうかごらんいただきたい。 

宇宙愛の無限の炎 

広大で神秘的な不知の領域 

宇宙の憤怒の止められない風 

すべては分けられない「一なるもの」の自発的な表現である。 

彼らは放射し、生命の形態を結びつける偉大なる鼓動である。 

これらは解放の自己存在のパワーである。 

その顕著な動きによって、私的なドラマが進行する。 

われわれが戦おうが、拒否しようが、これはそういうものなのである 

しかし赤い悪魔クルカルは、条件なしの愛の熱から 

自己中心的な切望の糸を引っ張り上げた。 

友よ、よくごらんいただきたい。 

何が見られ、だれが光として存在するものを見ているのか。

何が聞かれ、だれが音として存在するものを聞いているのか。 

何が触れられ、だれが触感として存在するものに触れているのか。 

何が嗅がれ、だれが香りとして存在するものを嗅いでいるのか。 

何が知られ、だれが意識として存在するものを知っているのか。 

自我と呼んでいるもの、他者と呼んでいるものは分けられない。 

しかしほかに「存在」はない。 

身体と世界は分けられない。 

われわれが戦おうが、楽しもうが、それはそういうものなのである。 

しかし青ざめた悪魔クルセルは 

感覚の無限の拡張から 

混乱した独占欲の強い自己陶酔の糸を引き上げた。 

親愛なる友よ 

どうかごらんいただきたい。 

体験の、感覚の、知ることのすべての形は 

いままで存在した、裸の意識とは分けられない。 

意識を束ねることはできない。 

行くことも来ることもない。 

それはすべてのものが反射される宇宙鏡のようである。 

意識はそれ自体のなかにのみ憩うので 

平和というものがある。 

しかし黒い悪魔クルナクは 

非妥協の補充から 

守備的な怒りを引き寄せた。 

この生において 

純粋なもの、善なるものをあきらかにしたいと願うなら 

継続的に、そして瞬間ごとに 

所有し、所有される欺瞞の網を突破せねばならない。 

すべての「瞬時」を開く「恐怖なし」の根源を見たいなら 

その地点でわれわれは 

所有すること、所有されることの戦いを捨てなければならない。 

われわれ自身や未来の世代のために 

人の尊厳の生来の善性が 

われわれの生の確信であることを願うなら 

われわれの前の永遠の輝きにたいする忠誠を 

あらたにし続けなければならない。 

われわれの心の静寂さのなかで 

世界は治癒される、あるいは害される。 

戦おうが、楽しもうが 

これはそういうものなのだ。 

リンの人々よ 

これがわれわれの、すべての人の力である。 

われわれの心に真の王国を開かねばならない。 


 こうして偉大なる虎の王、ケサルは、リンの人々に、心の生来の力をもとにした実践修行の仕方を教えた。セチャン・ドゥクモ、諸王、戦士、リンの臣民、トドンさえ心からこの教えを学んだ。このようにしてリンの王国は取り戻されたのである。