神はふたたび語る 1部 2  宮本神酒男訳 

 

神が現わし給う者 

 1844年10月、巡礼をするために、また彼の使命を公に宣言するために、バーブはイスラムの聖なる都市、メッカとメディナへ向けて出発した。旅立つ前、彼はムッラー・フサインに特別な指示を与えた。ムッラー・フサインは国の北部にあるテヘランへおもむくよう言われた。

「都市というのは」とバーブは言った。「神秘を祀るものである(……)超越した、聖なるものを」

 ムッラー・フサインはすぐに北方へ向かって旅に出た。その途中に立ち寄るすべての都市で新しい宗教を宣言しながら。

 それほど多くはないが、新しいメッセージを聞いて信者となった者もいた。彼らの大半はごく普通の人々で、聖職者や貴族ではなかった。上層階級の人々は概してムッラー・フサインを見下し、軽蔑する態度をとった。それからの何年間かのあいだに、軽蔑は高まって敵愾心となり、バビと呼ばれるバーブの信奉者にたいする野蛮で残酷な仕打ちへとつながった。

 テヘランでも彼は宗教的指導者たちのもとで、おなじような扱いを受けた。しかしなかには教師たちの粗野なふるまいを見て、ひそかにムッラー・フサインを求め、彼が説く新しい宗教について知ろうとする者もいた。彼と面会したときに、ムッラー・フサインはこの地域全体でその人道的な活動によって知られた輝かしい貴族の息子についてたずねた。ムッラー・フサインはこの新しい友人に、バーブが書いたものをその特別な人に見せるよう依頼した。

 バーブが書いた一節を読んだ瞬間、彼は「自分自身」が信ずる者であると公表した。そしてただちに新しい信仰の誕生を宣言した。この刹那から、新しい宗教運動を広げることに彼の人生が捧げられることになった。

 彼の名はミルザ・フサイン・アリ。ペルシア北部のヌル州の出身である。豊かでよく知られた人物の息子で、高貴で古代からつづくその一族の起源を探ると、ペルシアの偉大な王朝およびアブラハムにまで遡ることができた。いまは亡き父親は、その行政上の手腕と文化的教養がシャーやペルシア政府の上層部から高く評価されていた。

 ミルザ・フサイン・アリの父親に関してつぎのような物語が伝えられている。ある日彼は、まだ幼い息子の明晰な夢を見た。夢の中で息子は、大きな海のなかを泳いでいた。少年の体は光り輝いていた。少年が水の中を泳ぐと、その長い黒髪は体のまわりを流れているかのようだった。それから無数の魚が寄ってきた。魚の一匹、一匹が髪の毛をとらえようとしていた。しかし少年は傷ひとつ負うことなく、それまでとおなじように泳ぎつづけた。少年の泳ぎを遅くさせようとしたり、妨げようとしたりしても、少年は何の影響も受けなかった。

 夢があまりにもはっきりしていたので、父親は地元の占い師のところに行った。占い師が言うには、この夢が意味するのは、息子が将来大きな反乱を起こすよう運命づけられているということだった。多くの人が彼に賛同するが、反対し、殺そうとする人も出てくるかもしれない。しかし彼はゆるぎなき神の庇護を受けているので、世界全体に対して、たとえひとりでも敢然と立ち向かい、勝つことができるだろうと言った。

 少年ミルザ・フサイン・アリは時がたつにしたがい、傑出した才能と人間としての高い質を持っていることを示すようになった。

 幼少の頃から彼の知識は膨大なものがあったが、それは学校教育で与えられたものではなかった。加えて、彼は驚くべき知恵と精神的受容能力をもっていた。ペルシアという宗教国家において、イスラム教の基礎的な勉強以上のものを受けていなかったにもかかわらず、宗教的な才能を発揮するのは驚くべきことである。少年時代から青年時代を通じて、彼はじつに数多くのイスラム教の聖職者と会って来た。当時、宗教的な説教や指導は聖職者のみに許される特権領域だった。彼らは教育を受けていない者にたいし、尊大で、見下すような態度で接した。神学上の問題を納得がいくように説明する彼の能力は、人を驚かせた。一生を費やしてもそうは簡単に解決できない難問を、彼はわかりやすく説明するのである。彼の弁舌は巧みで、苦も無くコーランの言葉であるアラビア語をマスターしたので、人々は驚き畏れた。言語の習得は何年も必死に勉強してはじめ可能なのに、彼にとってはむつかしくなかったのである。

 彼の輝かしい心によって、すべての人々のために純粋な愛と慈しみがそそがれた。彼はとくに貧しい人々の苦境に気を配り、苦しみから救うための博愛的な努力を惜しまなかったことは広く知られている。彼は不正を取り除くことに熱心で、子供のときからすべての人に正義が与えられる社会になるよう望んできた。彼は青年時代にすでに「貧しき者の父」として尊敬され、知られていた。

 バーブのように彼の人間的魅力は彼と接した人すべてを引き寄せた。彼はつねに階層の高低を問わず、さまざまなバックボーンの友人や賛美者に囲まれていた。これを見て嫉妬する人々もいた。ペルシアの首相を含むその他の人々は彼の際立った人間性に注目し、いずれ世界を導くようになるだろうと述べている。

 しかし彼のもっとも顕著な特性は、物質的、世俗的な興味から離脱できることである。富の所有、家柄、能力、こういったものを手に入れることができた。しかし彼はむしろ他人のために奉仕することを好んだのである。ミルザ・フサイン・アリが22歳のとき、父親が死んだ。彼は父親がついていた政府の職をつぐことができた。しかし、多くの人が驚いたことに、彼はその職を断ったのである。それを聞いて首相はつぎのように述べたという。

「彼の好きなようにさせなさい。そんな地位は彼にとってどうでもいいのです。彼には崇高な目的があるのです。私は彼のことを理解することはできませんが、彼が立派な生涯を送ることになるという確信はもっています。彼の考え方はわれわれの考え方とは異なっています。ですから彼の考えるように生きていってほしいのです」

 彼にどのような並外れた運命が待っているのか、だれにも想像できなかった。1844年、彼が27歳のとき、彼はバビの仲間たちのグループに参加した。新しい運動は宗教の復興につながり、それはかつてない国の中の反乱へと発展した。嵐のような時期を経て、ミルザ・フサイン・アリはのちに、地位や富、威光、世俗的な希望を失いつつも、もっとも傑出した支持者として、バハウッラー(神の栄光という意)という称号で呼ばれるようになった。彼はあらゆる屈辱を味わいながら、臆せず、不屈の精神で、苦境を乗り切ってきた。ほかの地方へ放逐されながら、40年間耐え忍び、宗教の歴史のなかで比べられるもののない状況下で、新しい宗教を宣言し、確立したのである。