4 神話が語るモン族の祖先               宮本神酒男 

 モン族が伝える起源に関わる代表的な神話はふたつある。

<神話1 モン族と漢族は兄弟>

 モン族と漢族は兄弟だった。モン族が兄で、力も強かった。両親が死ぬとふたりは離ればなれになったが、一年に一度、墓参りを欠かさなかった。しかし異なる時期に墓に詣でたので、顔をあわすことはなかった。

あるときモン族の兄は、自分より先にだれかが墓に詣でていることに気がついた。だれなのだろうといぶかしく思い、彼は何度も墓にやってきて、そのけしからんやつを捕まえようと考えた。漢族の弟がやってきたとき、兄は彼につかみかかり、おまえは何をしているのかと問いただした。弟のほうもおなじ質問を浴びせていた。彼らは自分たちが離ればなれになった兄弟であることに気がついた。

ほかの伝説によると、兄のモン族は弟のことを覚えていたが、弟は兄のことを忘れていたという。

 

<神話2 漢族とモン族の戦い>

 かつてモン族の国と漢族の国があった。モン族の国は黄河の北にあり、漢族の国はその南にあった。ふたつの国はいつも戦争をしていたが、モン族が優勢のとき、漢族の皇帝は彼の娘とモン族の王の息子とを結婚させた。ふたりの間にできた子供は甘やかされた、野心的な王子となった。13歳になったとき、漢族の祖父から招待された。漢族の宮殿は壮大で、それに比べるとモン族の王族が住むところも国民が住む家もみすぼらしかった。モン族の王子は漢族の豊かさを見て野心を呼び起こされ、皇帝のモン族を滅ぼそうと言う戦略に乗っかってしまった。王子は漢族から鉄の玉で人を殺す技を習得した。高いレベルに達すれば、子供のビー玉より小さな球体で人を殺すことができるのだ。王子は100尺の距離から的に当てることができるようになり、準備は整ったと判断された。

 王子がモン族の国に帰ってきたとき、彼が皮袋を隠し持っていることにだれも気付かなかった。ある日の午後、まるで呪術をかけられたかのようにモン族の国王は倒れ、血の海の中で死んでいった。すべての活動が停止され、王の葬儀のために全国民が集まってきた。数日間の葬送のあいだ、モン族の人々はたやすく漢族の暗殺団の手に落ちた。こうして漢族はモン族の国を打ち破り、王子はつぎに王位につくはずだった父親よりも先に王位につこうとしていた。しかしモン族は不意をつかれたものの、すぐに反撃し、制圧されることはなかった。彼らは漢族の奴隷となるよりも、土地を捨てて逃げるという選択をした。黄河を渡って漢族のテリトリーを抜け、南方の安全な地域に達した。王子はこの中にいなかった。

 新しい首領を選ぶとき、モン族の人々は王子の父親ではなく、殺された王の娘、モン・カオ・リーを選んだ。彼女に敬意を表して、彼らはもといた国をモンゴリ、あるいはモンゴリアと呼んだ。人々を導いて自由な国へと導くのはモン・カオ・リーに託された仕事だった。

 いくつもの山を越える南への旅がはじまった。低地での生活に慣れていた彼らには、山の生活は過酷だった。山の種族は領地を横切るモン族らに敵対的だった。ときには絶望的な状況に追い込まれることもあったが、その都度奇蹟が起こって彼らは救われた。

 ある日チャン・レン・ウーという男が森に入り、薬草を探した。すると木の上のほうから声がきこえ、彼は驚いた。見上げると、一羽のニワトリが枝にくくりつけられていた。もっと驚いたことには、ニワトリが彼にむかって話し始めたのだ。

「もしオレを枝から解き放してくれたら」とニワトリは言う。「なんでもおまえの願いをかなえてやろう」

 チャン・レン・ウーは木に登り、二ワトリを枝から放つと、それははばたいて飛んで行った。はばたくとき、それは雷のような音を響かせた。数分後、ニワトリは舞い戻ってきたが、そのときは人間の姿をしていた。彼はモン族に恩を返したかったのだ。

 チャン・レン・ウーは願いを個人的なばかげたことに使いなくなかった。しばらくじっくりと考えてから、彼は言った。

「私がほしいのは人間に姿を変えることのできるしゃべるニワトリと出会ったことを記念する記念品だけです。困難な状況に陥ったとき、その記念品によってあなたを呼び出し、私の願いをかなえてほしいのです」

 願いは聞き入れられ、チャン・レン・ウーは小さな金属製のコインをもらった。それを三度振ると、コインは光を発し、メッセージをニワトリに知らせ、コインを持っているのがだれであろうとも、助けてあげるというのである。

 魔術的コインをもったチャン・レン・ウーはモン族の人々に、敵対する部族の地域を抜けて南へ移動することを提案した。匪賊に襲われるまえに、彼らは遠くへ行くことができなかった。このことでチャン・レン・ウーは信用をすこしずつ失っていった。信頼をより戻すため、彼は匪賊の中に乗り込み、われわれは命をかけているので、二度と害をあたえないでくれと言った。彼はついにコインを取り出し、三度振った。するとそれは赤い光を発し、光の矢となり、どこをも射抜くことができた。匪賊たちは恐れをなして要塞に逃げ込み、空が真っ暗になり、雷鳴があたりを駆け巡ると、ぶるぶると震えた。雨が降り始めた。風が叫び、強さを増した。木々を根こそぎ倒し、家々を倒壊させた。風は何人かの匪賊を飲み込んで、暗い空中に吸い上げた。チャン・レン・ウーは匪賊の要塞の前に立ち、風や雨が吹き荒れるまっただなかで叫んだ。

「モン族の人々すべてを安全に通せよ。さもなければ、もっと嵐は吹き荒れ、災難がやってくることになるだろう」

 こうしてチャン・レン・ウーの魔術的なコインによってモン族の人々は漢族の領域の外に出て、安全に暮らすことができるようになった。

 別の伝説によれば、モン族は河南から湖北・湖南の湖の地域(洞庭湖など)に移住した。またそこからさらに貴州や四川へと移動した。

 

 神話1のような民族を兄弟にたとえる神話は、中国の少数民族すべてが持っているといってもいいステレオタイプの神話だ。しかし注目すべきは、モン族のほうが兄という点だろう。漢族の兄ということはすなわち、中国でももっとも古老の部類に属する民族ということになる。しかしそのわりに「兄は弟のことを覚えているが、弟は兄のことを覚えていない」というのは、まるで富と名声を得た弟にばかにされているうだつのあがらない兄の僻みのようではないか。

 実際、ある時期、おそらく5千年ほど前、モン族と漢族は黄河をはさんで隣り合って暮らしていたのである。モン族の力が強かったからこそ、漢族は何度も戦争を仕掛けてモン族の国の弱体化を進めた。そうした歴史の反映が神話2なのである。モン族の祖先は漢族と戦って敗れ、北方ではなく、むしろ漢族の領域(いわゆる中原)を通過して南方に逃げた。これは捏造された神話的歴史だろうか。おそらくモンゴル高原やシベリアのツンドラ地帯、あるいはゴビ砂漠よりも、気候の温暖な南方のほうが民族の生きていくスペースがあると考えたのだろう。

 しかし温暖で湿潤な地域には、当然先住民がいたはずだ。神話2に描かれているように、モン族は移住先で彼らと戦わなければならなかった。長い戦いのすえ、彼らは洞庭湖周辺の地域に定住し、そこから現在の貴州、四川へと拡散していった。これらの地域でなかば独立国といえるほどの勢力を得ていくと、またしても漢族、あるいは女真族の為政者に脅威を感じさせるようになる。清代の三度のミャオ族(モン族)虐殺のような悲惨なできごとは、いわば5千年前のモン族・漢族の戦いの蒸し返しなのである。

 神話2によれば、モン族の故郷はモンゴルということになる。言語学的には、ミャオ語とモンゴル語はまったく系統が違うので、モン族がモンゴルから来たとは考えにくい。しかしもともとモン族の祖先はモンゴル人とまじって暮らしていたが、彼らは絶滅してしまったのかもしれない。そう言ってしまえば、なんでも言えてしまうが。


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