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 第6章では、弟子シル・プー・ツェンが東方のホスモの地に派遣される様子が描かれている。ヴァイローチャナとツェ・ポン・ザ女王の物語は、『王妃の報告』に記録されている通り、文字通りシル・プー・ツェン(のエピソード)に付け加えられている。ただし、ティソンデツェン王の時代の人名や地名が、ボン教の空想的な神話や地理に由来する名前に置き換えられている。

 これは仏教の経典がボン教の経典に「変容」した興味深い例であると同時に、借用がインドの正典に限定されず、後のニンマ派のチベット語原典も略奪されたことを示している。したがって、現在の形のセルミクは、ティソンデツェン王の治世にシャンシュン語からチベット語に翻訳された古い作品の中には含まれない。呪術によって引き起こされた病気から王妃が癒されることは、300のボン教の女神の名前を唱える絶好の機会となる。


 7章と第8章も、『王妃の報告』に沿って書かれている。後者がパドマサンバヴァとティソン王の美しい娘ドゥロムパ・ギェン(Khrom-pa-rgyan)の結婚について述べているように、ボン教のテキストの対応する箇所では、シェンラブとホスモ(Hos-mo)王の娘で罪深い妻のホスサ・ギェルメ(Hos-za rgyal-med)の結婚について同様に述べられている。のちにホスサ・ギェルメは師によって清められる。

 第8章では、王女がシェンラブとの間に2人の息子をもうけたことが語られている。まず仏教の物語のアーナンダに相当するトブ・ブムサン、そしてチャブ(dPyad-bu)がいる。2人とも後に師の弟子となる。2人とも幼い頃から博識で賢明であり、シェンラブとの対話はボン教の教えの大部分を説く貴重な機会となっている。

 議論は、チベットで非常に人気のある、名前の神秘的語源解釈といった比較的単純な事柄から始まる。この場合、名前はシェンラブ自身、彼の両親、彼の宮殿などである。そしてそこから議論は五つの道徳的毒やボン教の宇宙論における様々な問題へと進み、空性(シュニャター)の教義という形而上学的な高みへと至る。