長い第17章では、シェンラブのニルヴァーナ(涅槃)について語られる。弟子たちの懇願にもかかわらず、師は「苦しみを後に残して去る」時が来たと言う。そして釈迦の晩年と同様に、彼は重い病に倒れる。息子であり弟子でもあるトブ・ブムサン(gTo-bu 'bum-sangs)が、回復を願って通常なら効き目のある儀式を執り行うものの、その効果は3日間しか続かず、病はぶり返してしまう。もう一人の息子チェブ(dPyad-bu)の尽力も同様に功を奏さず、そうした中で弟子であるイキ・キェウチュン(Yid-kyi Khye'u-chung)が譬え話を用いて、師を現世にとどまらせようと説得を試みる。
師は黄金の尊い大地のようなものであり、あらゆる生きとし生けるものは、そこから生い茂る草木であると説かれている。しかしもしその大地が失われてしまえば、草木はどうして成長を続けることができるだろうか。弟子はまた、師を白檀の木に、そして他のすべての生き物をその葉や花、果実に例えたり、あるいは師を海に、生き物をそこに棲むナーガや龍、カワウソに例えたり、さらには師を川の流れに、生き物をその水で潤される大地に例えたりもしている。これらの譬え話の根底にある思想がキリスト教における「ぶどうの木」の譬え話の思想と類似していることは明らかだ。
師はこの涅槃が決して完全な消滅ではなく、ボン教の教えもまた滅びることはないと説き、弟子を慰めている。怠惰で貪欲な者たち、そして現世の事物が不変であることに望みを託す者たちに「出離」の道を教えるためにこそ、自らの旅立ちをもってその範を示そうとしているのだ、と師は語った。
師による長大な別れの言葉の中で特に興味深いのは、「劫(世界の時代)」の合間に再来すると約束するくだりであり、これは「弁護者(パラクレートス)」の到来を約束したイエスの姿を想起させる。こうしたキリスト教的な響きは、ボン教が西洋の思想に親しんでいたことを示唆しており、それらはおそらくマニ教徒を介して伝えられたものと考えられる。ブッダの伝記において、師の入滅の際に弟子である摩訶迦葉(まかかしょう)がその場にいなかったのと同様に、シェンラブの死に際しても、その最も優れた重要な弟子の一人であるアシャ・サンワ・ドトゥ(A-zha gsang-ba mdo-stud)は不在だった。彼は人里離れた場所で瞑想にふけりながら、あらゆる不吉な前兆を察知していた。
夢の中で彼は、ボン教において聖なる文字とされる「白い『ア』」が消え去り、太陽と月の光が絶え、大河の流れが止まり、花や薬草が枯れ果て、大地が揺れ動く光景を目の当たりにする。こうした予兆から、彼は「世界の光」が失われてしまったのだと悲嘆に暮れながら悟る。実のところ、その瞬間こそが、シェンラブが涅槃に入った時だった。アシャは師を求めて各地を彷徨い歩くが、パルポ・ソギェ(Phar-po so-brgyad)の宮殿にも、シャンポ・ラツェ(Sham-po lha-rtse)の寺院にも、そして聖なる山ユンドゥン・グツェク(gYung-drung dgu-brtsegs)にも、師の姿を見つけることはできなかった。
その間、集まった弟子たちの間では、師の死に際して執り行う儀式について意見がまとまらずにいたが、そこへトブが、「シェンラブと魂の性質を同じくする」アシャ・サンワが不在であることを指摘する。かつて魔王の王子であったキャプパが、彼を呼び戻す役目を任されることとなった。こうして弟子全員がようやく一堂に会し、ボン教の葬送儀礼が壮麗な様式をもって執り行われることとなる。
「1008の太鼓が打ち鳴らされ、1008の銅鑼が響き、1008の法螺貝が吹かれ、1008の絹の旗が翻り、1008の香が焚かれ、1008の灯明が点され、1008の供物が捧げられた」
やがて、東を向いていたシェンラブの棺が閉じられ、火葬の準備が整えられた。写本の挿絵に描かれた葬儀や火葬の様子は、釈迦の火葬を描いたとされる図像と全く同じものである。その後、遺骨は6つの容器に収められ、極めて丁重に祀られた。