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ボン教の神秘家たちが皆、そのような純粋かつ利他的な探求に身を捧げていたわけではない。彼らの努力は、しばしば魔術の実践による自身の延命に向けられていた。

歴史家パドマ・カルポによれば、聖者ミラレパのライバルでありナロ・ボンチュンの姉妹でもあった女性は、この魔術に極めて長けていたとされる。アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールが記すところによれば、こうした実践には恐ろしい事態が伴う。一部のボン教僧は、餓えによる苦痛の死を遂げる他者の生命力を奪い取ることで、自らの現世での寿命を延ばそうとすると言われている。ただし、犠牲となる者は自ら進んでそれに応じる必要があり、そうでなければその供犠は効力を持たない。


 融合した宗教であるボン教についての考察を終える前に、その聖職者たちが何世紀にもわたって生み出してきた膨大な文献について、一言触れておかねばならない。

ティソンデツェン王の治世における宗教史上の出来事を考察する際、我々は古くから定着しているある伝承に遭遇する。それによれば、体系化されたボン教はシャンシュンを起源とし、最初の聖なるボン教経典も同地から伝来して、のちにチベット語に翻訳されたとされる。

しかし、ラマ教徒(チベット仏教徒)の著述家たちは一貫して次のように主張し続けてきた。すなわち、当時であれ、あるいはその後の王統時代の末期であれ、ボン教の僧侶たちは仏教の経典を流用し、人名や地名をわずかに変更したり、時にはその教義そのものを自らの教えへと作り変えたりしていた、というのである。

実際、『教義水晶体系』という書物は、ボン教の文献を網羅的に列挙し、それらが流用元となった仏教の原典と個別に比較検討している。もちろん、ボン教の文献がより広く利用可能になった段階で、こうした改変については詳細な検証が必要となるだろう。

シェンラブの物語の分析を通じて得られた我々の知見によれば、仏教側が主張する「盗用」という非難には、ある程度の根拠があると言わざるを得ない。とはいえ、この指摘が当てはまるのはあくまで「果の乗(Vehicles of Effect)」の教えに限られる。最初の四つの「乗」に見られる古来のシャーマニズム的実践は、疑いようもなく古代からの真正なボン教に由来するものであり、それらを含むより古い仏教文献を提示することはまず不可能だろう。