心風景 inner landscape 1    宮本神酒男 



 四半世紀も前に撮ったときの心象を私はいまもありありと覚えている。この瞬間、なつかしいような、心あたたまるような、もっと知りたいような、そんなもどかしい気持ちがあふれだしてきた。写真を撮ればそのもどかしさ、もどかしいけれど明晰な何かが表現できるのではないかと漠然と考えた。私の頬に一筋の涙が伝って落ちた。感動的な映画でなくても、人は感動するものなのだ。何に感動したかはわからなかったが、私は感動していた。こういう体験を積み重ねていきたいとそのときの私は心に刻んだ。

 90年代、私はマウンテンバイクに乗って(長距離はバスや列車で異動し)中国西南の各地を訪ね回った。このときは広西チワン族自治区の南丹県を走っていた。天秤棒の大きな荷物を運んでいるお母さんのプリーツスカートが白袴(パイクー)・ヤオ族であることを示していた。女性はみな貫頭衣という魏志倭人伝の倭人とおなじシンプルな上衣を着ていた。当時、民族によってはふだんから民族衣装を身につけていた。イ族の女性は民族衣装を着たまま農作業をしたり、ブタの放牧をしたりしていたが、当時のバイクー・ヤオ族もかれらの衣装を普段着にしていたようだ。

 市場で十代の美しい少女たちに囲まれたとき、彼女たちがブラジャーをつけていないことに気づいた。形のよいツンとした乳房とピンク色の乳首がちらちら見えてしまい、若かった私はどぎまぎし、顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。文革の時代からそんなにたっていないのに、人々は開放的であるように見えた。
 その夜、村には招待所も旅社もなく、見知らぬ人の家(おそらく必要に応じて宿になるところ)に泊めてもらった。戸惑うことばかりだった。

 ところでこのお母さんが運んでいるのは何だろうか。採ってきた薪なのか、布団なのか、まったく予想外のものなのか。天秤棒はなぜか日本的なもののように思えてならなかった。彼ら(ヤオ族だが言語的、文化的にミャオ族に近い)の天秤棒文化はそのままダイレクトに日本にやってきたのだろうか。この感じる日本っぽさは、本当に日本独自の文化なのだろうか。あるいはわれわれは勝手に幻想をいだいているだけなのだろうか。



 マウンテンバイクに乗って峠の上に出ると、見晴らしがよく、すり鉢状になった谷間が見えた。おそらくここから下って下に見える村に出たはずだ。日本なら風光明美で奇観の景色として人気スポットになりそうだが、少なくとも当時はだれからも注目されることはなかった。こういう尖った峰がニョキニョキと並ぶ風景は、このあたりでは珍しくないからだ。

 「奇岩峰ベルト地帯」と私が勝手に命名した景色は、東の桂林から広西チワン族自治区を縦断して、ベトナムのハロン湾やラオスのタムチャン洞窟へと、数百キロにわたってつづいている。観光化されていない洞窟も無数にある。私は広西チワン族自治区の山の中のどこかをいい加減に何時間も歩くうち(このときはマウンテンバイクはどこかに置いていた)、巨大洞窟に出くわしたことがあった。わが故郷の秋芳洞に負けない規模だったが、観光客はひとりもいなかった。だれも奥まで入ったことのない巨大洞窟は何百とあるのだろう。人が訪ねることのない場所は、どんなに風光明媚であっても、だれからも注目されることはないのだ。こうして世界で自分だけが知るすばらしい場所が増えていった。

 
人里から離れた水田の傍らに、白袴(パイクー)・ヤオ族のプリーツ・スカートが日干ししてあった。

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