心風景 inner landscape 17    宮本神酒男



 私はウォール街の寵児にも、ハリウッドスターにも、西欧の貴族にも、なりえない。しかし同時に小舟に乗るこの漁師にもなれない。人生は選べるが、生まれてくることは選べないとよく言われるけれど、人生の選択肢だってそんなに多くはないのだ。いったいこの人はどういったいきさつで、バングラデシュに近いミャンマー・ラカイン州のカルダン川の川面に浮かぶ小舟にひとり乗り、網を仕掛けているのだろうか。

 この初老の漁師の人生はきっと地味なものだろう。本人にとっての大きな事件はこの小舟を入手したことかもしれない。あるいは所帯を持ったこととか、孫ができたことかもしれない。しかし結局こちらは、百人以上の乗客が乗れる二層甲板客船から見ている「高見の見物客」にすぎず、永遠に答えに近づくことはできない。



 ではこの二人は何をしているのだろうか。入り江で休んでいる漁師なのだろうか。二人は兄弟なのか、漁師仲間なのか。毎日いっしょにいて話すことなどあるだろうか。いつも天気や魚の獲れ具合やあるいはテレビドラマについて話しているのだろうか。それとも長年いっしょにすごしている老夫婦のように話をしなくても気まずくないのだろうか。

 私はヒマラヤの雪を冠った高峰も、モンゴルの草原も好きだけれど、亜熱帯のヤシ科の茂みを見るとときめいてしまう。わたしは大学生の頃澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を読んで以来、インドシナ半島の亜熱帯風景に強いあこがれをいだいてきた。

 それから長い年月が過ぎて、ここラカインで『高丘親王航海記』の世界がほの見えたように感じ、帰国後あらためてこの小説を広げると、小説中の高丘親王はアラカン国、すなわちラカインを訪ねているのである。

 ここで生活している人々が文机の前に坐って夢想している人と世界を共有できるとは思えないけれど、そこはおなじ人間、棕櫚の葉のあいまにめくるめく亜熱帯極彩色の世界を感じ取っているかもしれない。

⇒ ラカイン礼賛2 カラダン川を遡って蜜人の国へ 



 シットウェの港で私はずっと渡し船を見ていた。この家族はおそらく、対岸の村に帰ろうとしているのだろう。川といっても、海の水と混じりあった大河の河口である。今日のような快晴のおだやかな日もあるが、モンスーンの時期のあだ花のような一日だった。翌週にはサイクロンがこの地を襲っていた。(遠くには子どもたちが水遊びをしている) 

 この男の子は両親といっしょに町に買い物に来ていたのだろうか。あるいは平日は町で寮生活を送り、週末だけ村に帰るのだろうか。それとも毎日渡し船に乗って学校に通っているのだろうか。人の生活というのは気になるものだ。ついでに船頭のことも知りたくなってくる。この港界隈にはやたらに船頭が多いのだ。



 この船頭の多さ、小舟の多さには驚かされる。彼らは市場の近くの埠頭で、乗客や運搬する荷物を待っているのだ。その向こうには十数人の客を運ぶボートが見える。もっと向こうには大きな船がたくさん浮かんでいる。世の中にこういうラッシュがあるなんて、この日まで知らなかった。


⇒ つぎ