心風景42 inner landscapes  宮本神酒男  古びた記憶の湖底へのオマージュ 



 風景が心そのものに見えるときがある。
 九寨溝(中国四川省)の森の中の小さな湖の底を見たときがそうだった。
 深い眠りをむさぼる枯れ木が横たわった碧緑の湖底は、
 まるで長い年月のあいだ降りしきった記憶の堆積物のように美しく、永遠のように静かだった。
 十年前の冬、はじめてそれを見たとき、せつなさと悔恨とよろこびが入り混じった追憶のように心にしみた。
 それだけに2017年8月8日、九寨溝に大地震が発生したというニュースに接したとき、
 心地よい夢からたたき起こされたかのように私は驚いた。
 直後の上空からの映像を見る限り、森や湖、渓流などが土砂に押しつぶされ、
 屈指の観光名所たるゆえんの美しい滝や湖水は破滅的な被害を受けているようだった。
 この湖底も失われてしまった可能性が大きい。それらはもうわれわれの記憶のなかにしか存在しないかもしれない。 
 配信された記事のなかには、「人為的な修復はすべきではない」という中国とは思えない専門家の良識的な意見があった。
 それはたしかにそうである。ただ、土砂崩れの現場を見たことがあるのだろうか、とも問いたくなる。
 自然にまかせて「風光明媚」を取り戻すまでにいったい何年、いや何百年要するだろうか。
 中国は、滝の落ちる岩壁に滝の名を記し、鍾乳洞にカラフルな照明を置くことにためらいをもたない国である。
 私は1995年、雲南省に大地震が発生した時期、たまたま震源地に近い地区に居合わせていた。
 麗江に入ると、オールドタウン(四方街)中央の広場には避難した住民のためにシートがたくさん張られ、濠(ほり)の横では職人が棺桶を作っていた。
 この地域の家屋に多大な被害が出ていたのは事実だが、地震のあと、このタイミングにあわせて
 見た目のパッとしない建物はすべて壊され、懐古調のこぎれいな旅籠(はたご)風の旅館やおみやげ屋が建てられた。
 路地も石が敷き詰められた。どれも古く見えるが、すべてが真新しかった。
 こうして人為的に清代のような、あるいは木氏が土司として治めていたころの「虚構」の街並みが再現されていくのを、この目で見ることになった。
 九寨溝と同様、麗江も世界遺産に選ばれているが、実態はたんなる修復ではなく、人為的な(つまり観光のための)美しい古い街並みの造成だった。
 専門家が案じたように、震災の被害を受けた九寨溝に人為的な修復がなされるなら、うすっぺらな観光地が誕生するだけだろう。
 それにこの地域の住人がチベット人であることを忘れるべきではない。
 行政区から見てもアバ・チベット族自治州(rnga ba bod rigs rang skyong khul)に属し、
 同州の多くのチベット人と同様、宗教心があつく、多くはポン教徒(ボン教徒)である。
ここはまた民間文学の宝庫でもあった。中国の著名な観光地のひとつとなるはるか以前から、
チベット人の文化の揺籃の地であったことは記憶にとどめたい。


⇒ 九寨溝のケサル王物語(まもなく) 
⇒ オルモルンリンをたずねて(まもなく) 
⇒ 野人伝(まもなく) 

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