心風景 landscapes within 56 宮本神酒男 
湖底に沈む記憶へのオマージュ (四川) 


古い記憶が沈殿したかのような静謐の湖底。Photo:Mikio Miyamoto 

 日本でいえば尾瀬のようによく知られた観光地、九寨溝。行ってみると、このだだっ広い自然山岳公園に人はほとんどいなかった。それはそうだろう、真冬の海抜三千メートルの極寒の高地なのだから。針葉樹林の緑は残っていたが、その緑は寒々しくくすんでいた。

 この地域に住む人々がチベット族であることはあまり知られていない。厳密に言えば近くに住む白馬チベット族と同様、純粋なチベット族とは言い難い。チベット文化圏東部、南部の周縁地域で信仰されるのは、多くが仏教ではなく、ポン教である。トンバ経典という絵文字経典を用いることで知られるナシ族のトンバ教もまた、ポン教の一種と言える。

 なぜ周縁地域にポン教が残っているのだろうか。ポン教はよく仏教以前の民族宗教と説明されるが、二通りの可能性がある。一つはネパールの山岳民族(チベット・ビルマ語族)のジャークリと呼ばれるシャーマンの宗教のようなシャーマニズム的宗教。もう一つは、ペルシア宗教(ゾロアスター教)の影響を受けた確立された宗教。ポン教が表面的に仏教と似ているのは、弾圧から逃れ、生き延びるため、見た目を仏教と見分けがたくする道を選んだからだろう。


雪に覆われた森と湖。春の芽吹きはまだずっと先だ。Photo:Mikio Miyamoto 

 この地域に伝わる民間伝説で、「オルモルンリンを探して」というのがある。ポン教を知っている人なら、この名を聞いただけでピンとくるだろう。オルモルンリンはポン教版シャンバラ、あるいはシャングリラで、いわば理想郷である。ポン教始祖トンパ・シェンラプはこのオルモルンリンに生まれたとされる。

 伝説のなかで二人兄弟はオルモルンリンを探す旅に出る。三年たってもそこへ到達することができないでいたとき、ひとりの老修行者と出会う。兄弟は修行者からオルモルンリンが心の中にあることを教えてもらう。まるで「青い鳥」のような話である。覚醒した兄弟は故郷に戻る決心をする。しかし村に戻ると三十五年が経過していて、両親はいなくなり、友人もみな年老いていた。「浦島太郎」のように、オルモルンリンを探しているとき、彼らは異なる時空間にいたのである。


すべてが凍りついてしまった世界。時間もまた樹氷に閉じ込められたかのよう。Photo:Mikio Miyamoto