初歩の実践 

 瞑想から何を得られるか学びました。さて、どのように瞑想の実践をはじめるべきでしょうか。

 

<場所> 

 はじめに、家の中で、瞑想をするのによい静かな片隅を見つけてください。空気がきれいで、ひっそりとした、見た目もうるさくない、シンプルな場所にしてください。リラックスして、楽に感じる場所です。気が散らないように、個々の瞑想場所のまわりに壁をつくるといいでしょう。あるいは美しい絵を飾りたくなるかもしれないし、一輪の花をさした花瓶や、元気づける像を置きたくなるかもしれません。どんなフラワー・アレンジメントや絵画でも、対称性があり、心をおだやかにしてくれます。現代のゆがんだ絵や刺激的な絵は、ほかの機会にはいいものかもしれませんが、瞑想のときにはふさわしくありません。頭脳の細胞は絵から影響を受けます。脳細胞は目の前にあるものをとらえるのです。ですから寺院の像は美しく、とても平安です。その顔は静かで、やさしい笑顔を浮かべているのです。像によっておだやかな雰囲気がつくりだされます。瞑想する場所選びも、そうやって雰囲気をつくりだすためのものなのです。 

 

<時間> 

 つぎに毎日、瞑想するのにいい時間を選びなさい。朝、午後、夕方などがいいでしょう。自分自身の時間がもてるかぎり、何時でもかまいません。ほかに何かしなければいけないことがなければ、邪魔されることはありません。瞑想するときにほかのことで忙しかったら、心はそのことに負担を感じ、攻め立てられているような気分になります。ですから自分自身のために落ち着いた時間をつくってください。たとえば一日24分という時間を自分自身に与えてください。一日24時間のそれぞれの1時間のうちの1分を与えるということです。一日のうちの24分を確保することが不可能だと感じたとしても、あなたに瞑想が向いていないということではありません。むしろあなたには瞑想が必要だということを示しています。優先事項が別にあり、自身と向き合う時間が一日のうちわずかでもとれないとしたら、優先事項のほうを考え直すべきなのです。

 あなたは一日の大半を家族や友人と過ごし、またビジネスや仕事にあてるかもしれません。この瞑想の時間は、あなた自身へのごほうびと考えてください。自分自身と過ごす貴重な時間なのです。何を得るか、得られないかについては忘れてください。この考え自体が緊張を生み出します。そして緊張があるときは注意が散漫になるのです。ぞんぶんに自分自身にごほうびをあげてください。この24分にしなければいけないことなどないことを自身に思い起こさせてください。この時間はくつろぎと楽しみのためでもあります。これは内側で感じていることを感じるためのものです。

 毎日おなじ時間に瞑想すると決めたら、あなたの身体はしだいにこの新しいスケジュールに慣れていくでしょう。もし毎日3時に一杯のコーヒーを飲むなら、その時間が近づいてくると眠気を覚えるかもしれません。あなたの身体はコーヒーを飲むことを思い起こさせようとしているのです。私たちの身体の反応は、習慣の連続です。どんな新しい習慣にも体は適応していくものです。不可能なものはありません。むつかしかったり、時間がかかったりするでしょうが、注意を払って、耐えれば、どんな新しい習慣のパターンでも定着するものなのです。そうするとあなたの身体はあなたの友人となり、毎日身体が瞑想の時間が近づいていると教えてくれるようになるでしょう。

 

<姿勢> 

 あなたは瞑想をおこなうために快適な場所と適切な時間を得ました。つぎに必要なのはいい姿勢です。もし蓮華座で坐ることができるなら、すばらしいことです。しかしできないからといってきまり悪い思いをしたり、適正を欠いていると考えたりすべきではありません。もし関節がひりひりしたり、痛くなったりしたら、あなたは集中できなくなり、すぐに断念してしまうかもしれません。インドでは、イスに坐ることがあまりないので、蓮華座はよく知られるようになりました。多くの家庭には家具も多くありません。そのため子どものときから人々は床の上に坐って過ごすのです。かれらの身体はこういう生活に慣れているのです。もしイスに坐らされたら、身体が痛くて動かせなくなり、居心地が悪くなります。蓮華座が美しいのは背筋をピンと伸ばすからです。しかし瞑想のためにかならず必要とはかぎりません。

 あなたはイスに坐るかもしれないし、背中を壁にもたせかけて床に坐るかもしれません。あるいは試みに寝そべっているかもしれません。あなたが選んだ姿勢に関して忘れてはならないことは、背筋が伸びているか、またくつろげて、安楽でいられるか、ということです。背筋は美しいエネルギーの柱です。それは電流のラインであり、すべてのエネルギーがかかとから頭へと流れています。もし背筋を伸ばし、強くする方法を知っているなら、あなたは病気のリスクを減らすことができるでしょう。それゆえあらたにはじめた人は睡眠中に背筋が曲がらないように、よりかたい表面の上に寝るようにします。これによってあなたは健康を保ち、長寿を得て、好感の持てる見かけを維持することができます。

 前かがみに坐っていたり、立っていたり、歩いていたりする人にたいし、あなたの評価は低いでしょう。一方で、まっすぐ、自然体で立っている人を見れば、あなたは喜びを感じ、いい印象を持つでしょう。背筋を伸ばす習慣を身につければ、あなたはいつも頭を上げたまま歩き、坐ることになります。陰鬱になったり、みすぼらしい気分に陥ったりすることはないでしょう。世界はあなたの気分を反映しているのです。あなたはまたあなたの姿勢を反映しているのです。

 背骨はまた消化においてもとても重要です。背骨がまっすぐ伸びているとき、すべての内臓器官は適切な場所に保たれ、システムの秩序が守られるからです。前かがみになると、消化器官は乱され、血液供給が滞り、新鮮でなくなるのです。内臓器官がこのような圧力下におかれるとき、消化活動に差しさわりがないわけがありません。適切に食べず、背骨をまっすぐにしなかったことによって、人は便秘に苦しむことになります。

 背骨をまっすぐにして坐ることのもうひとつの恩恵は、肺に達するまで深く呼吸できることです。浅い呼吸は身体を傷つけ、われわれは不活発になり、眠気を感じます。自然に、適切に呼吸するとき、空気はわれわれの身体の奥深くにはいっていきます。横隔膜は広がり、内臓は圧されます。そして息を吐くとき、へそは戻ります。こうした呼吸法によってわれわれは注意深くなり、またおだやかな気持ちになります。だれかが怒ったり、感情的になったりすると、呼吸が浅く、速く激しくなることに気づくでしょう。絶望的になったり、気持ちが乱れたりすると、呼吸は速く、不規則になります。一方であなたが瞑想しているとき、あるいは美しいことを考えているとき、あなたは静寂を感じ、呼吸はとてもゆっくりで深いのです。

 こうした経験によってわれわれは呼吸が精神にとって、あるいは思考にとって、平静さや落ち着きを得るためにいかに重要であるかを理解するのです。適切に呼吸するとき、われわれは疲労を覚えることも、憂鬱に感じることもないでしょう。身体が適切な酸素供給を受けることによって、血液は流れ、病気は根を張ることができません。適切な呼吸を楽しむことによってわれわれはよい姿勢を得ることができます。

 もし背中や消火に問題があっても、背筋を伸ばして坐り、適切に呼吸し、健康と活力に集中するなら、それらを緩和することができるでしょう。ある物語はこの点を描いています。

 

 ある王国での話です。この国の王子の背骨がまっすぐに育っていないという宮廷からの発表がありました。宮廷中の医者が召喚されましたが、かれらの見立てによれば、治療法が見つからないかぎり、王子はせむしになってしまうということでした。

 このことを聞いて国王の心はかき乱されました。そして国中に、王子の曲がった背骨を治した者にはたっぷりと褒美をあげようというおふれを出しました。その日以来、医者や看護師、科学者、ヒーラー、魔術師、その他さまざまな人々が列を作って宮廷に押しかけました。あらゆる薬草や根、体操、霊薬、呪文が試されましたが、どれもこれといった効果はありませんでした。王子の症状を改善する手立ては見つかりませんでした。

 ようやく、瞑想を使った治療法を知っている彫刻家がかわいそうな王子の話を聞き、国王のもとにやってきました。彼は彫刻のために必要な道具と材料を要求し、王子と三日間ともにすごす機会を求めました。また彼はある程度の効果を得るには長い時間が必要だと示唆しました。治療には実際、二年を要するだろうというのです。

 二日間、賢い彫刻師はさまざまなアングルから少年の身体を注意深く見て研究しながら、彫像作りにいそしみました。この期間中だれも彫像を見ることが許されませんでした。そして三日目がやってきて、作品のベールがとられると、姿を現したのは、すっくと立つ少年の完璧な彫像でした。

彫刻師は治療法について説明しました。王子は毎日彫像の前に行って、痛みや張りがないかぎりできるだけ長くそれとおなじポーズをとります。できるだけ同一のポーズをとるのですが、そのとき頭をしっかりあげ、威厳や気品のある表情を浮かべるのです。

 もし自分が言ったとおりにすれば、王子の背中はまっすぐになり、姿勢はすばらしいものになるでしょう、と彫刻師は説明しました。国王の顧問たちは、こいつは狂人だとののしりましたが、王子は同意し、国王は勇気づけられました。

 三日目、彫刻師は少年に、背骨がまっすぐになり、背が伸びる自分の姿を思い浮かべながら彫像の前に立つよう説きました。毎日立っているあいだ、心の目のなかで、彫像のように背骨がしっかりとし、背が伸びる姿を思い浮かべるのです。師が少年に言うには、もっとも重要なことは、一日も休まずこれを継続するということです。たしかに、朝、人々の視線によって自分がせむしであることを思い起こされる前、心がきよらかで新鮮なとき、このように彫像の前に立つべきなのです。

 王子はそのとき8歳でした。四日目、師は何の報酬も受け取らずに宮廷を去りました。二年後、治療に成果が見られたあとに報酬を受け取りに来ると彼は語りました。毎日、家族が起きてくる前の早朝に少年は起床し、彫像の前に立ちました。毎日少年は自分が強くなり、背筋がまっすぐになるのを実感しました。毎日彼の自信は強くなっていきました。周囲の人々は、はじめその変化に気づきませんでしたが、しだいにはっきりと変化が目に映るようになったのです。少年のふるまいにも変化があらわれました。彼は幸福を感じるようになり、自分自身への自信も深めていきました。それから人々は王子の身体にも変化が生じていることに気づきました。

 彫刻師が二年後に戻ってきたとき、少年は健康そのものでした。王国のなかのだれにも負けないくらい背筋がまっすぐに伸びて、背も高かったのです。父親の国王も大喜びで、欲しいものをなんでもさしあげよう、と師に言いました。健康で強靭な少年の姿を見ただけで十分だったので、師は到着してすぐに、静かに宮廷を去りました。

 

 このエピソードには瞑想のパワーの一端が示されています。わたしたち自身の内なるパワーによって、健康状態をも変えることができるのです。