ジンポー族五千年史
――祖先の魂の移動経路――
宮本神酒男 編訳
5 ニン・ランガ
紀元400年頃、中国の東晋時代、ジンポー・マシャ人はクランク・マジョイ地方に長く居住したあと、祖先ティンリ・ヨ(Tingli Yo)ことジャワ・ルムジャ(Jawa Rum Ja)は民を率いてまた移動をはじめた。クランク・マジョイを出てカンカ川からマナウ・ヤン(マナウ祭がおこなわれる会場)をへて、ニン・ランガ(Ning ran ga)地方に至った。
ニン・ランガはマリク・ワロン(Mali khu wa long)山湖地方にあり、ティン・ナン・マレ村(Thing nan mare)の東南10キロ余、スムプラ・ブム山村(Sumpra Bum)から40キロ以上のところに位置する。この村はコ・マジャン・マレ(Ko majang mare)とも呼ばれる。
ニン・ランガでは長らくジンポー族全員で生産に励んだ。しかし各支系氏族は各自の新しい場所をめざして移動をはじめた。
まず長男マリプ・ワ・クムジャ・マガム(Marip wa Kumja Magam)と次男ラト・ワ・ノ・ロン(Lahto wa No Lon)がクムラン・マナウ(Kumran Manau)、すなわち「兄弟分離惜別マナウ祭」をおこなった。史上2、3度目のマナウ祭だった。
そのあと三男ラパイ・ワ・ダイナ・ラ(Lahpai wa Daina La)、四男マツォ・ワ・ンクム・トゥ(Matso wa Nhkum Tu)、五男マラン・ワ・ヨパン・タン(Maran wa Yopang Tang)が分かれる前、同じようにクムラン・マナウをおこなった。
ニン・ランガ時代、ジンポー族社会は6つの本営を持ち、最も栄えた時代だった。ここからジンポー族は分離し、移動していったのである。
このあとジンポー族は三国時代のような様相を呈す。すなわちミャンマー(現在人口100万人余)、インド・アッサム(同40万人)、中国(同12万人余)に三分することになるのである。