ジョナン派
~抹殺されかけたチベットの人気宗派~
アバの寺院の青空授業
はじめに 宮本神酒男
私はときおり、インド北西のコロニアルな町シムラを抜け出し、郊外の丘に建つチベット仏教寺院を訪ねる。
インドやネパールではありふれた、チベット好きにはおなじみの味気ないコンクリートの亡命寺院。じつはインドで唯一のジョナン派の寺院だった。
ここはもともとダライラマを頂点とするチベット仏教ゲルク派の寺院だった。ダライラマ14世の慈悲によってジョナン派の寺院になったのは、さほど昔のことではない。宗旨替えではなく、ゲルク派の寺院にはどこかに引っ越してもらったのである。
14世はどうしてこのようなことをされたのだろうか。思うに、とくに17世紀のダライラマ5世の時代に、ゲルク派はジョナン派に弾圧を加えた。そのことに対し、負い目のようなものを感じておられたのかもしれない。
ジョナン派の名は、チベットのツァン地方にシャンバラをイメージして14世紀に建てられたチョモナン寺(現在はゲルク派所属!)および、その地名に由来する。教義を大成したドルポパ(トゥルプパ)・シェラブ・ギェルツェン(Dol po ba Shes rab rgyal mtshan 1292-1361)の時代から、『インド仏教史』など多数の著作で知られるターラナータ(Taranatha kun dga' snying bo 1575-1640)の時代にかけて、サキャ派やゲルク派を脅かすほどの人気宗派となった。
ダライラマ5世がゲルク派政権を確立するまで、宗派間の抗争が絶えなかったことを我々は忘れがちだ。ジョナン派の欠点をあげつらい、あたかも邪教であるかのように論ずる仏教学者もいるが、出る杭は打たれやすい、という面もあっただろう。ジョナン派の他性空説がどの程度一般に浸透していたかはわからないけれど、ニンマ派や禅宗と同様、すべての衆生に悟りの可能性があるとする如来蔵の仏教は、我々にわかりやすく、親しみやすい。その大衆的な人気がゲルク派にとって最大の脅威だったのではなかろうか。
現在チベット自治区にジョナン派寺院は存在せず、青海省東南部と四川省北西部だけにかろうじて存続している。それでも合計すると、意外にも、34座にもなる。中心となるザムタン(四川省)のザムタン・ザンワ寺は今も千人の僧を擁する。全体では4千人を越えるというのだから、けっしてマイナーな宗派ではない。(1998年の統計)
もちろん、大衆人気があっただけでなく、その教義が仏教よりも外道(この場合ヒンドゥー教)に近いのではないかと指弾され、目の敵にされてきた。袴谷憲昭氏の『チョナン派と如来蔵思想』はいわばチョナン(ジョナン)派を粉砕するために書かれた論文だけれども、ジョナン派がどのように見られてきたかがよくわかり、興味深い。
ジョナン派は「時輪タントラの実践を重んずる密教的伝統の上に、顕教的教義として他空説に基づく如来蔵思想を打ち出して一世を風靡した、チベット仏教においては一種のあだ花的存在として咲き誇った宗派」だという。ここには如来蔵思想を認めない大乗仏教原理主義とでもいうべき堅固な姿勢がうかがえる。これでは日本の仏教はほとんど外道的ということになってしまう。とくにジョナン派の如来蔵実在説は、「外道の、声常住を説く声梵天論者や根本原質からの万物の発生を説くサーンキヤ学派や幻影一元論を説くヴェーダーンタ学派に擬えられる」と氏は主張する。
宗教史『善説水晶鏡』で知られるトゥカン・ロサン・チューキニマ(1730-1802)は、開祖ユモ・ミキュ・ドルジェが神秘体験によって他空説を得たとする。『水晶鏡』中に「時輪の六支ヨーガを習得したことによって、空なる神々しい色身の姿が内に現れて精神錯乱の基盤が作られ……」とトゥカンは神秘体験を記述している。この箇所は「シャーマニズム的な憑霊現象」を指すのではないかと袴谷氏は指摘する。もしそうなら、シャーマニズム好きの私としてはかえって好奇心をそそられるが、トゥカン・ラマがチョナン派を貶めようとしただけの話かもしれない。
ジョナン派が躍進するのは、前述のドルポパ(トゥルプパ)・シェラブ・ギェルツェンが他性空説を標榜してからである。他性空は、如来蔵の実在を永遠の実体として認める考え方である。その如来蔵から見れば、他の煩悩や汚れは空である。この見方は、外道的であり、仏教正統派から認められることはなかった。
立川武蔵氏は他空説(他性空説)をつぎのように説明する。「五蘊の自性は実在しない(空である)が、勝義としての空性そのものは実在する」。
ドルポパは、大乗仏教の正統派中の正統派であるナーガールジュナの中観思想を根本としながら、他性空という魔術的な触媒を入れることで、親しみやすく、人々に訴えかける新しい如来蔵仏教を創出した。あだ花ではなく、画期的な存在となるはずだった。
不幸なことに、わが国では(いやチベットでもそうだが)一部の教派や仏教学者によってドルポパはいかさま師のレッテルを貼られてしまった。しかし近年、欧米ではドルポパの再評価の動きが出ているように思われる。
まずひとつはサイラス・スターンズの『ドルポから来たブッダ』(1999 インド版は2002)。ドルポパ(ネパールのドルポ出身)の評伝と他性空がテーマである。もうひとつはジェフリー・ホプキンスの大著『山の教義』(2006)である。これは他性空についてドルポパが書いた代表作『了義大海』の英訳。この二書によってドルポパは身近な存在になってきた。
ジェフリー・ホプキンスはまたターラナータの『他性空の本質』の英訳(2007)を著している。ターラナータといえば『インド仏教史』(古くは寺本婉雅1872-1940の訳がある)などで知られるが、この本にはチョナン派の継承者の面目躍如といったところが現れている。
なおターラナータは晩年モンゴルへ行き、清朝の庇護のもと、ジョナン派寺院を多数建立した。代々の転生者は、初代ハルハ・ジェブツンダムバ(ジェツン・ダムパ)・ホトクトのザナバザル(1635-1723)から代々モンゴルに生まれている。8代目は1911年、新生モンゴルの皇帝ボグド・ハーンとなったが、1924年に没すると、転生禁止の布告が出された。チベットも同様の転生禁止を打ち出したが、ほどなく9代目(1932年生まれ)がダライラマ13世によって承認された。
この文面からは、あたかもジョナン派がモンゴルで活路を見出したかのように感じられるかもしれない。しかし実態はまったく逆なのである。ターラナータの転生はゲルク派なのだった。絶大な人気を博したジョナン派の高僧は、転生すると、不倶戴天の敵側の高僧になっていたのである。これをチベット宗教史上最大の謀略と呼びたくならないだろうか。
*チョナンという表記が日本では一般的だが、この宗派の僧の大半はアムド人であり、ジョナンと発音する。英語でもJonangである。