内なる旅 

真の富とは何か 

 

もし自分がどれだけ豊かであるかを知りたいなら 

お金で買えないものをどれだけ持っているか数えなさい 

           ことわざ 

 

 真に豊かであることは、心が満たされているということである。そしてそれは愛することであり、愛されることである。愛の喜びはすべてのわたしたちに備わっている真の富である。そしてそれを認識し学ぶことこそ、スピリチュアルな実践というものである。しかしこのストレスの多い時代においては、わたしたちは精神的な潜在能力のことを忘れがちであり、他人の中にそれを見出すことに失敗してしまう。わたしはあなたがたとの出会いを分かち合いたい。それはわたしを謙虚にさせ、わたしたちが忘れがちであるものを認識させるように導いてくれるだろう。

 

ドロシーのこと 

(1)

 フロリダ・パンハンドルの蒸し暑い夏の日のことだった。朝の陽ざしは空港の出発ラウンジの大きな窓から差し込んでいた。わたしはここでほかの乗客たちを待っていた。きっちりとしたネイビーブルーの制服を着た若い女性がカウンターに入り、フライトが一時間ばかり遅れているとアナウンスした。暑さから逃れてそれぞれの旅を始めたがっている群衆は失望のため息をいっせいについた。

 突然赤褐色の髪をなでつけた髪型の中年女性が立ち上がった。着ているものや物腰から彼女が裕福で名家の女性であるのはあきらかだった。彼女の顔は怒りで真っ赤になり、ボーディングパスをフロアに投げ捨てながら、叫んだ。「もうたくさん! こんなことしないで!」。彼女の怒りの爆発はほかの乗客たちを驚かせた。彼女がずかずかとカウンターのほうへ向かっていくのをだれもがじっと見つめた。

「あなたがしなくちゃならないこととか、どのようにするとか、どうでもいいわ。でも目の前に飛行機を持ってきてちょうだい!」と彼女は要求した。「さあ、今すぐよ!」

「奥さま、どうすることもできません」航空会社の乗務員が説明した。「飛行機のエアコンディション・システムが壊れてしまったのです」

 女性の唇はなおも怒りで震えていた。目は真っ赤に燃えていた。「どんなことがあっても、遅れるわけにはいかないのよ、わかる? 論議している場合じゃないわ。何かやりなさいよ」

「奥さま、お静かにしてください。でなければ、セキュリティを呼ぶことになります」

 憤慨した女性はラウンジを見渡した。彼女の険しい視線は静かな片隅に坐っているサフロン色の僧衣を着たわたしにとまった。講演と会合だらけの忙しい一週間を終えたあと、わたしはひとりでいたかった。しかし女性はこちらに突進してきた。わたしのほうに身を乗り出し、怒りにゆがんだ顔を近づけて言った。

「あなたは僧侶?」

 なんということだ、なぜわたしに? とわたしは考えた。

 彼女は食い下がった。「あなたは僧侶ね」

「まあそのようなものです」ようやくわたしはこたえた。待合室の人々全員がこちらを見ていた。彼らのかわりにわたしが選ばれたことに彼らが安堵しているのがよくわかった。

「それならあなたに回答を求めたいわ」彼女は挑むような口調で言った。「なぜ神はこんなことをわたしにするの? なぜわたしのフライトは遅れるの?」

「どうかお坐りください」とわたしは言った。「お話ししましょう」。

 驚いたことに、彼女はわたしの隣のイスに坐り、突然怒り以上に混乱しているように見えた。彼女の怒りは絶望の下に隠れたかのようだった。

 わたしは自己紹介し、いままで千回はおこなってきたように問いかけをした。「どうかあなたの心の中にあることをおっしゃってください」

 名前はドロシーです、と彼女は言った。いま五十五歳で、東海岸に住むアッパーミドル・クラスの主婦です。家族とともに幸せに暮らしてきました、その日まで。突然彼女は泣き崩れた。

「ひどい悲劇が起きたのです。わたしは三十歳の夫と子供たち全員を失ってしまいました」と彼女は言った。「いまわたしはひとりきりです。わたしはこの痛みに耐えきれません」

 彼女のみじめな気持ちを助長させたくなかったので、わたしはこまかいことまでは聞かなかった。彼女はイスのひじ掛けを握りしめた。

「さらに悪いことに、わたしはビジネス上のことでだまされてしまいました。銀行はわたしの家を差しおさえ、わたしを通りに放りだしたのです。この機内持ち込みのスーツケースを見てください。わたしに残されたのはこれだけなのです」

 ドロシーは話し続けた。わずか一週間前、困難な状況に追い打ちがかかった。彼女は末期癌と診断され、しかも余命一か月と医者に言い渡されたのである。自分の命を救うため彼女は必死になり、メキシコに癌クリニックを発見した。このクリニックは彼女の癌を治せると主張した。しかし彼女はその日にこのクリニックに行かなければならなかった。もしワシントンDCでフライトを乗り継げなかったら、メキシコに時間以内に着くことはできないという。

 聖職者としての奉仕活動で、あるいはムンバイで設立に協力した病院を監督するときに、わたしはテロ攻撃から巨大地震まで、津波からレイプまで、自動車事故から自殺未遂まで、暴力犯罪から末期患者まで、あらゆることの被害者と接してきた。悲痛な思いはわたしにとって新しいものではなかった。しかしその日のドロシーの苦悶に満ちた表情以上の悲痛の顔をわたしは見たことがなかった。

「そしていま」と彼女は叫んだ。「フライトが遅れている。生きる最後のチャンスを失おうとしているのです。わたしはよき妻、よき母になろうと努力しました。教会にも行きました。慈善行為もしました。そしてわたしはけっして意図的に人を傷つけるようなことはしませんでした。でもいま、わたしが苦しもうが、死のうが、だれも気にかけてないのです。なぜ神はわたしにこんな仕打ちをするのでしょうか」

 


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