ココナツの教え 

 ヨーガの目的は、それが身体と心(マインド)の中に生きている間に、精神的な本性を生き返らせることである。ココナツを思い描いてほしい。内側の果肉が乾燥すると、外殻から分離する。乾燥したココナツを振ると、硬くなった果肉が内壁から離れ、殻の中ではずむ音が聞こえる。熟しきっていないココナツを振ると、果肉が殻の内側にくっついているので、音は聞こえない。

 外殻は身体を、内殻は心(マインド)を、果肉は自我(アートマ)を代表する。偽りのエゴは果肉を内殻にぴったりとくっつけさせる。しかしわたしたちが偽りの自己証明から育ち、真のエゴが成熟してそれ自体になるまで、自由に望まれない絆からわたしたち自身を解き放つことができる。こうしてわたしたちは自由にしあわせになれる。なおも人間らしさに敬意を与えられる。しかしまた精神的本質を理解することになる。イエスが示したように、それなしで、世界を生きていくことができる。

 真の自我を忘れがちな人々は、水から出た魚のように見知らぬ世界で息をするためにもがいている。お金もセックスも出世も、彼らを満足させない。魚は単純に水に戻る必要があるのだ。至高の者との調和のなかで生きること、愛することがわたしたちの自然の状態なのである。それゆえ、それは充足の道でもある。それは成長を妨げる誤解からわたしたちを解き放ち、永遠の本性に結びつける。最終的に、達成したものではなく、わたしたちの誠実さによって成功したかどうかが決まる。誠実さとは、分割されない全体の、本当の自我に対して真であることの、調和的に行動することの状態である。

 バクティの道は、そのゴールも手段も同一であることを教えてくれる。ゴールは愛することである。それを得る手段は至高なる者と他者に愛でもって仕えることである。献身的な奉仕のシンプルな実践の一つ一つによって、わたしたちはすべての生きる者が同等であることを理解する。なぜなら、わたしたちのように、だれもが至高の自我と結びついているからである。マーティン・ルーサー・キングJr博士の言葉が、このことを理解するのにヒントとなっている。「だれもが偉大な人物になりえる。なぜなら、だれもが奉仕することができるからだ。奉仕するのに大学の単位は必要ない。奉仕するために主語と動詞を一致させる必要はない。心(ハート)を思いやりで満たせばいい。魂を愛で育めばいいのである」。

 

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