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 彼は依然として不愉快そうな顔をしていたが、あきらかにわたしの話を聞いていた。

「わたしはあなたの信仰に敬意を抱いています」とわたしは言った。「でもどうか理解してください。わたしは精神的探求のために家を出て、世界を旅しました。中東でわたしは神を愛する美しいイスラム教徒の人々と出会いました。でもわたしは極論を述べる人々とも出会ったのです。彼らはイスラム教を唯一の宗教と認めないものは、ムハンマドをすべての預言者のうちの最終預言者と認めない者は、聖なるクルアーンを最後の啓示と認めない者は、地獄で永遠に苦悩することになるだろうと説いています。彼らにしたがえば、プロテスタントの牧師であるあなたは地獄で焼かれることになるのです。

 エルサレムで、神への愛でわたしの心を溶かしたユダヤ人たちと出会いました。しかしユダヤ人は選ばれた民であり、神の目の前では、ほかの人々は劣っていると説く人たちにも出会ったのです。ネパールでは、愛すべき、おだやかな仏教徒たちと出会いました。しかし彼らのなかには、わたしがブッダの道を受け入れないかぎり、生と死の輪の罠にかかったまま抜けることができないという教義を押し付けてくる人たちがいたのです。インドでは、信仰心の篤いヒンドゥー教徒と出会いました。彼らにわたしはおおいに勇気づけられました。しかし、生まれながらにヒンドゥー教徒でない者はきたないアウトカーストで、自己認識には向いてないと主張するヒンドゥー教祭司とも出会いました。

 これら極端な人々は経典のなかに証拠を探したり、彼らの主張を裏付ける論理を持っていたりします。それぞれが自分たちの宗教こそが独占的に救済することができるのだと確信を持っています。このような話し方をしてしまってごめんなさい。狂信的な宗教にうんざりしているのです。それが育むのは、愛ではなく、憎しみです。バガヴァッド・ギーターは歴史を通じて人類をそれぞれが渇望していた愛に導くために、また精神世界の入口を与えるために、多くの場所に神が現れると説明します。神はときどき個人に降りてくることがあります。そしてしばしば神の意志を実行するように人々に力を与えます。覚醒した師たちに導かれ、純粋に精神的な道を歩んだ結果、人は思いやり、自己制御、謙遜、許し、そして愛を育むことができるようになるのです。その実によってわたしたちは見分けることができると、イエスは教えています。わたしが探索した道の上には、よい実も悪い実もありました。イエスはまた、人を裁くな、自分が裁かれないためである、とも言っています」

 牧師は楽しんでいるかのようにうなずいた。彼の目の中の炎は少し小さくなったようだった。

「あなたの話のなかで納得のいかないところもあります」彼はゆっくりと言った。「でもまたの機会に話せるでしょう」。これらの言葉を残して彼が去ると、午後、集まっていた学生たちは徐々に消えていった。

 わたしは大学に招かれ、定期的に教えることになっていた。何週間か、毎週水曜の夜、寄宿舎の地階の部屋に集まった200人ばかりの学生を前にわたしは話をした。彼らのほとんどは講義が終わったあとも、わたしが用意したベジタリアン・ディナーにあずかろうとその場に残った。

 ある晩、部屋に入ろうとすると、ドアがロックされていて、ホールに学生たちが立っていた。クラスがキャンセルになったという学生部長のサインが入った注意書きがドアに貼られていた。学生たちは請願書を回し、翌日、学生部長と彼の執務室で会った。彼は学生たちに、例の牧師が激しく不満をぶつけてきたので、クラスがキャンセルされたのだと語った。しかし多くの学生たちが熱心にクラスを支持するのを聞いて、学生部長はクラスの存続を約束した。翌週からクラスが再開されることになった。

 その後牧師は毎週欠かさずクラスにやってきた。顔には満足の表情が浮かんでいた。彼の任務は自分の主張を証明することだった。テープレコーダー、カメラ、ノートで武装して、わたしが危険思想を教えているという彼の主張の証拠を探していた。しかし彼は一言も発しなかった。ディナーではわたしは学生たちを歓迎し、彼も歓迎した。彼はといえばわたしの仲良くしようという試みをすべて無視したが。

 奇妙なことに、彼は毎週敵対的ではなくなっていった。わたしと直接やりあうのは避けていたが、学生の知り合いを増やしているようだった。彼は食事にも参加するようになった。

 それから四週間ほどのち、ディナーのとき、彼は椅子から立ち上がり、つかつかとわたしのほうにやってきた。誰もがこちらを見た。

「あなたに質問があります」と彼は言った。

 わたしは身構えた。

「これはどうやって作るのですか」彼はスプーンで皿の上のハラヴァー(インドの人気菓子)を指した。「これはすごくおいしいね。つぎの教会の会合で、作って出したいと思っているんだ」

 わたしは喜んでレシピを書いて彼に渡した。彼ははじめて笑顔を浮かべてそれを受け取り、わたしと握手をした。

 つぎの週、何十人もの学生、教授、町の人々が集まったとき、わたしは話をとめ、彼に会合でのハラヴァーの評判について聞いた。「みんなとても気に入っています」と、彼は顔を輝かせながら言った。「神は――クリシュナと呼んでいいですか――喜んでいると思いますよ」

 わたしたちは抱擁した。そしてわたしは冗談を言った。「気が変わりましたよ。天国であなたといっしょなら、うれしいですよ」

「わたしもですね」と彼は言った。

 

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