神をあがめる気持ち 

アーラティーとはインドの寺院で日々おこなわれる人気の高い儀式である。それは神の崇拝の謎を具現化している。儀式の間、礼拝者はさまざまなものを神に捧げる。バガヴァッド・ギーターは、世界は八つの基本的な要素(地、水、火、気、空、そして微細なレベルでは心、知性、エゴ)から成り立っていると、またアーラティーの間捧げられるものはそれぞれ八つのうちのひとつを表わしていると説明している。アーラティーは至高の存在、すなわち創造者へ、すべての創造物の捧げものをすることを意味している。それは感謝の行為であり、神の意志と調和を取りたいという欲求の表現である。子供が親の用意した材料を使って両親のために料理を作るように、アーラティーは愛の報いである。

 礼拝者は神の前でお香を振ってアーラティーを始める。儀式のなかで、あとで花が捧げられる。これらお香と花は地を表わしていて、その特性は芳香である。そして法螺貝であることが多いが、小さな器は水満たされ、捧げられる。水の特性は味覚である。小さな(ロウソクの)炎は火を表わしているが、その特性は視覚である。孔雀の羽根やヤクの尾からこしらえられた扇は元素の気を表わし、その特性は触覚である。それぞれのものを持ち、礼拝者はマントラを唱える。そして規模にかかわらず、アーラティーがおこなわれる間、鈴が鳴らされる。空間を振動させるこれらの聖なる音は、空間の捧げものであり、その特性は聴覚である。アーラティーの知識として蓄積されるのは、心の捧げものであり、アーラティーに集中するのは知性の捧げものである。奉仕の気持ちによって捧げられるのはエゴ(自我)である。こうしてアーラティーはすべての感覚、すなわち視覚、嗅覚、聴覚、味覚、触覚と関わっている。そして神へ捧げものをすることによって、生きものは愛と感謝の念を持ち、創造物を元の創造者に捧げている。

 アーラティーは一般的に夜明けと夕暮れにおこなわれ、礼拝者の考え方はそのたびに変わっていく。世俗世界の思いは置いといて、礼拝者はいとしい至高者のいちずな追憶に奥深く入っていく。彼らの目は神の美しいかたちを見て、耳は鈴の音を聞き、アーラティーはしばしばキルタン、すなわち聖なる名前の歌を伴う。彼らの身体はメロディアスなキルタンによって揺れ動く。ひとたび心が世界の厳しさを置き去りにすると、少なくともわずかな間、彼らの魂はふたたびくつろぐことになる。

 もっとも親しい友人のひとり、オレゴンに生まれ育ったヤムナー・デーヴィを、わたしは真正なる聖人のような人物として尊敬している。若いときに彼女はグルへの奉仕に生涯を捧げることにした。彼女は心をクリシュナに捧げ、すべてに魂をこめ、奉仕に役立つすべての技術をマスターした。1969年、彼女はビートルズのジョージ・ハリソンと友人になった。ジョージはヤムナーに、その声なら当世のもっとも偉大な女性ヴォーカリストになれると請け負った。そして彼女の声をアップル・レコードは収録した。彼女が歌ったシングルはイングランドと世界のその他の地域でナンバーワンとなり、デビューにあたって愛するラダーやクリシュナに捧げた歌声を保存することに決めたのである。プラブパーダは彼女の歌を「純愛のシンフォニー」と呼んだ。

 彼女はまた名料理人としても知られるようになり、賞を取ったベジタリアンの料理本は世界でナンバーワン・ベストセラーとなった。彼女がおこなうすべてのこと、すなわち裁縫、カリグラフィー、ガーデニング、講話、それにとくにプジャは、信じ難いほどすばらしかった。

 彼女は家で一日何時間も費やして神々への聖なる供え物を作った。祭壇はすばらしかった。高価な物で満たすのでなく、愛がこもったものを細かく編んでこしらえたのだ。プジャと歌を通して彼女は家と自分自身をバクティで満たした。彼女と会い、プジャを目撃したすべての人は、聖職者であろうと無神論者であろうと、ヒッピーであろうとへルズエンジェルであろうと、ロックスターであろうと村人であろうと、祖父母であろうとティーンエイジャーであろうと、心の底から感銘を受けた。ヤムナーの性格、智慧、愛の偉大さ、神への献身の姿を見れば、疑いは解け、人生観が変わり、神の存在を認めざるを得なくなるだろう。彼女の姿を見たわたしも人生観を変えられたひとりである。

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