よい人々に悪いことが起きるとき 

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 ある運命的な朝、インターネット・ニュースの心乱す見出しが目に飛び込んできた。「ネパールで飛行機事故、15名死亡、7名はムンバイから」(タイムス・オブ・インディア紙 2012年5月15日)。テレビのネットワーク、インターネット、新聞を通じてニュースは世界に広がった。

 一瞬犠牲者の誰かをわたしは知っているだろうかと考えた。しかしわたしはその考え方をやめた。ムンバイには1500万人の人が住んでいる。この航空機墜落で亡くなった七人が知り合いである可能性がどれだけあるというのか。とはいえわたしの不安が解消されたわけではなかった。

 それから電話があり、七人ではなく、八人のわがスピリチュアルな家族のメンバーが飛行機事故に巻き込まれていたことを知った。わたしは茫然自失の態に陥った。ムンバイの犠牲者ひとりひとりが、よく知っている、愛しているメンバーだった。この八人の友はヒマラヤ巡礼の旅を終えたばかりだった。その巡礼は困難であり、それに挑む人は少なかった。旅の最終章に当たり、雪をかぶった山々の上空を飛行しているとき、強風が27席のプロペラ機を山肌にたたきつけたのだった。たまたま「自由が与えられる場所」ムクティナートという遠い聖地でのことだった。高貴な旅は悲劇で終わった。

 翌日わたしはニューヨークにいたが、ムンバイから電話を受け取った。電話の主は二十代の女性で、彼女が子供のときからわたしにとって娘のような存在だった。彼女は母親と父親と弟をその飛行機事故で一挙に亡くしたのだった。私と話しながら、彼女は抑制がきかなくなり、泣きじゃくった。ついに彼女は自己を留められなくなった。「わたし、もう生きていたくない。どうして家族なの、どうして私じゃないの?」

 スピリチュアルな家族と過ごすためにわたしはアメリカのツアーの残りをキャンセルし、インドへ戻った。集まった何千人もの人々のそれぞれが、旅立った魂のうち少なくともひとりと親密によく知っていた。彼らはわたしたち全員にとって特別だった。共同体はすぐに、愛と奉仕の精神を信じたいほど見せるなかで、動揺した家族のサポートをし始めた。

 犠牲者のひとりは誰からも愛されるタルニというチャーミングな14歳の少女だった。彼女は母親といっしょに飛行機に乗っていた。私は彼女の出生の日に名前を付けた。わたしは彼女を見るたびに喜びに包まれた。彼女がこの世を去る一か月前に会ったのが最後だった。誕生日の集まりを抜け出し、ムンバイ空港へ向かう途中だったわたしのもとに、母親の横にいたタルニが恥ずかしそうに近づいてきた。彼らはわたしが数か月留守にすることを知っていた。そしてタルニは涙を流しながら繊細なジャスミンの花をわたしながら言った。「ずっと会えないなんてほんとうに、ほんとうに、ほんとうに寂しいです」。今も彼女の言葉がわたしの心の中で反響している。

 タルニの告別式が行われている間、彼女の家の外の3ブロックほどをメディアのバンが埋め尽くした。彼女はボリウッド映画の子役スターで、その可愛らしさは国中から賞賛を浴びていた。タルニと共演していたインドでもっとも人気のある俳優アミタブ・バッチャンは書いている。「わたしはタルニの悲劇的結末にショックを受け、悲嘆に暮れている。彼女は特別な子供だった。どうか、神様、これが事実でないと言ってください」

 タルニはとても若いにもかかわらず、メディアから注目され、名声を得ていたが、本人はとても謙虚だった。彼女はすべての人の娘であるかのごとく、クリシュナと友人と家族を愛した。古い友人である彼女の父親の嘆きを想像することすらできない。彼はこの悲劇で唯一の子供と妻を失ったのである。

 ムンバイに到着したわたしは、被害者の家族に対し、会衆からあふれんばかりのサポートがあり、そこには美しさがあると思った。彼らの家は料理を作ったり、掃除をしたり、慰めたり、いっしょにキルタンを歌って愛を共有したりする友人たちでいっぱいだった。親しい魂が去ることで、共同体の心がひとつになったかのようだった。ほかにどうしようもないとき、思いやりが心の奥底に触れるものだ。

 あふれんばかりの思いやりのほかに、共同体の痛みは深く、突然八人のメンバーが失われたのは大きなショックだった。ベテランの精神的修行者でさえ、心の狼狽を隠せなかった。誰もがなぜこんなことが起きたか知りたがった。彼らの目にはその質問が浮かんでいたのである。わたしは悲劇の表面に神の恩寵を見つけるために、そして犠牲者の家族を慰めるために、数日をかけて話をした。極度の悲しみは城砦の壁のようで、言葉だけで貫くのはむつかしかった。しかし悲しみを共有することによって、言葉をもっと意味深いものにすることができた。

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