カーラチャクラとシャンバラ 

グレン・H・マリン 宮本神酒男訳 

 

 タントラ経典は、この地球上にじつに数多くの霊力を秘めた場所があることを語っている。それは異なる次元のオーラのような力が互いの領域に交わり、さまざまな「現実」が重なり合うような不可思議な場所である。これらは神秘的な場所であり、訪れた人々の体験は、巡礼の精神の段階、あるいはカルマの成熟度によって異なっている。たとえばタントラ経典のヘールカ・チャクラサムバラは、インド国内に24か所のそのような場所を認めている。

 インド、チベット双方の古典的なタントラ経典のなかで、二つの霊力ある場所が極端なほどの注意を引いている。

 一つ目は、ウッディヤーナ。通常は現在のパキスタン・スワート地区と考えられている。ブッダの時代、多くの主流派のタントラ経典がここに貯蔵され、布教に向け世界の準備が整うまで保存された。ウッディヤーナには数多くのタントラ教派が存在している。タントラを信奉する家族が代々タントラ経典を守っていて、必要が生じたとき、世界に向けあきらかにされるという。そのときにはじめて自分たちの正体をあかすことになる。

 二つ目は、神秘的な国、シャンバラ。シータ河の北にあり、ソ連南部(現在の中央アジア諸国)のどこかといわれる。ここを出発して、スチャンドラはカーラチャクラの教えを受け取るために旅に出た。彼はここにもどってきて、教えを広めた。ここで代々教えは受け継がれ、マハーシッダ(大成就者)大カーラチャクラパダ、あるいはチルパによってインドへもどるのは1200年のちのことである。ここで8代目の継承者であり、最初のカルキンであるマンジュ・ヤシャスが短縮版カーラチャクラ・タントラを書いている。そしてカルキン2代目のプンダリーカが大いなる注釈書『鋼の光』を書いた。ここにカーラチャクラの教えは、21代目のカルキン大師が神秘的な部族の首領によって、別の次元に純粋な状態で保存されていた。そして1回の人生で覚醒を得られなかったここの実践修行者たちは、ふたたび生まれ、ヨーガ修行の道を進み続けることができた。

 そう遠くない未来のいつか、暴力的な野蛮人の軍隊に侵略され、世界が危機に瀕したとき、時輪をかかげる者、25代目カルキンの偉大なる戦士ラウドラ・チャクリが英雄的な家臣らとともに馬に乗ってやってくる。そして光の軍隊のために勝利をもたらす。

 このようにレベル1では、シャンバラは人間が居住する通常の国である(だった)。しかしほかのレベルでは、現世のシャンバラとおなじ空間を占めるが、頻繁に異なる空間に現れる浄土である。通常でない次元にいる人々とは、現世からは、純粋なカルマをもった信仰者のみが接触することができる。そして機が熟したとき、シャンバラの神秘的な英雄たちは姿をあらわし、悪の軍隊を制圧する手助けをする。

 カーラチャクラ神話のこの一面について話しながら、ガルジェ・カムトゥル・トゥルク師はつぎのように語った。

 

 シャンバラに関してですが、人のカルマによってそのあらわれかたは異なります。たとえばおなじ川がデーヴァには甘露に見え、人には水に見え、餓鬼には膿と血に見え、ある動物にとっては生きる場なのです。

 地・馬の年から350年後、16周期目の現在、25代目の国王ダクポ・コルロチャン(時輪保持者のラウドラ・チャクリ)はシャンバラの黄金の王座に就くだろう。それから野蛮人(la-los)とのあいだで大戦争が起こるだろう。しかし野蛮人は打ち負かされるだろう。人間の寿命はしだいに伸びていく。そしてそれまでのどの時代よりもよい、完全なる時代が夜明けを迎える。

 

 カーラチャクラ文学におけるこのような予言の存在が、疑いなく中央アジア人のあいだで絶大な人気を博した理由である。またカーラチャクラのこうした面が、西欧の学者の注意を引いたのも事実である。

 最近チベットのラマと北米先住民、とくにホピ族やイロコイ族の精神的指導者とのあいだで対話がおこなわれた。話題の焦点となったのは予言であり、これらがどのようにして受け継がれてきたかということだった。

 野蛮人(la-los)がだれを指すかということに関して言えば、インドやチベットの大師たちは口をそろえて西アジアのイスラム教原理主義者のことだと主張した。カーラチャクラの予言によれば、この地上にイスラム教はそのはじまりから1800年つづくということだった。最終的には、それは自身の攻撃性と原理主義のため、自らを破壊するという。怒りの輪の保持者ラウドラ・チャクリはそのときに重要な役割を担う。中央アジアの伝承では、ラウドラ・チャクリは、ダライラマ5世のグルでもあったパンチェンラマ1世、ロサン・チューキ・ギャルツェンの転生にほかならないという。このように心配することは何もないのだ。

 パンチェンラマ3世が『シャンバラへの案内』のなかで示したように、伝説的な国シャンバラとは、実際3つの状態を指している。それはヨーガ行者のカーラチャクラの修行における達成段階を表わすシンボル、浄土、そして現実の場所のことである。

 中央アジア人の心をもっとも強くとらえたシャンバラの役割は、浄土だった。位の高いヨーガ行者だけでなく、素朴な遊牧民にとっても、心の中でシャンバラは燦然と輝いている。そこでは人々は清浄な心をもち、よきカルマを積んで、幸福と覚醒の環境のなかで、生まれ変わることができる。

 結果として、しばしば象徴的に、ヨーガ行者のカーラチャクラの概念とシャンバラの神話学、25代目カルキンのラウドラ・チャクリの英雄譚と結びついた予言とが合体し、数えきれないほどの「シャンバラの祈祷」がチベットに生まれることになった。

 たとえばパンチェンラマ6世はこの種の短い祈祷文を半ダースほど書いた。日々唱えるため、また瞑想のために企図されたグルヨーガの祈祷文という形式をとった。それぞれシャンバラの25代目の王であるラウドラ・チャクリを観想することからはじまる。彼はシャンバラの都、マラヤ宮殿の中庭の中央に坐っている。外観は力強い英雄である。人は吉兆の考えを表明し、時輪をもつ憤怒神の目覚めた軍隊によって、弟子からの要求にこたえる。

 

心やさしい精神的な師に敬意を表します 

輝かしいカーラチャクラと分かれがたく 

それは空(くう)の身体の状態を会得する 

すべてのすばらしいものを持ち 

大いなる不変の喜びとともに

つねに美しい法界(ダルマダートゥ)の愛人をいだきながら 

 

インドの北にある伝説の国シャンバラ 

その中心の宝、カラパ 

その中央の宝石で飾られた玉座に坐るのは 

空飛ぶ魔法の馬に乗っているかのようなのは 

憤怒の時輪の保持者、ラウドラ・チャクリ 

 

私は彼を呼ぶ 

三宝を体現されたお方 

驚くべき智慧という武器をもってあなたはやってくる 

そして私の内側の迷妄を切り捨てる 

本当の「我」を覆う貪欲さを切り捨てる 

シャンバラであなたを見られますように 

信仰する者を賢く導くあなたを見られますように 

野蛮人を制圧する時期がやってきたとき 

どうか私をあなたの輪の内側でお守りください 

 

目覚める前に私は死ぬのでしょうか 

どうかシャンバラで、カラパで転生できますように  

カルキンの大師たちの至上の教えという蜜をとるという 

幸運にあずかりますように 

 

グヒヤサマージャ、ヤマンタカ、ヘールカ・チャクラサンヴァラ、 

そしてカーラチャクラのなかで教えられた 

タントラの二つのヨーガの階梯の 

奥深い不二の教えが得られますように 

このようにこの人生において 

清浄なる光の覚醒が得られますように 

完全なる合一の幻身、

あるいは不変の喜びの空(くう)の身体が得られますように 

 

 このようにパンチェンラマ6世の祈祷文はシャンバラの3つの面すべてに触れている。すなわちカーラチャクラのヨーガ修行法の象徴、浄土、カーラチャクラの予言の3つである。

 シャンバラ神話は西欧に知られてからしばらくたつが、1世紀前まではごく一部のエリートにしか認識されていなかった。神智学協会の創設者であるロシア人神秘主義者マダム・ブラヴァツキーがヨーロッパや北米に広めたおかげで、19世紀末から20世紀前半にかけてそれはポピュラーな存在になった。ジェームス・ヒルトンがシャングリラとして具現化し、小説『失われた地平線』は大きな成功を収めるが、おそらくもともとは神智学協会の影響を受けていた。このように西欧のアカデミズムが本気になってシャンバラを対象とみなしはじめた頃には、すでに神秘的なシャンバラ伝説はだれもが知っているようなテーマになっていた。

 神話と象徴は、いうまでもなく時間や慣習の移ろいとともに変わるものである。また理解の補助具として利用する人々の体験の進化とともに変わる。カーラチャクラが西欧に根付くためには、カーラチャクラの教義の本質をとらえるとともに、われわれの理解を深める必要があるだろう。

 そのときまでには、われわれはイマジネーションの火をつけられ、インド、シャンバラ、チベット、モンゴルといった地域のすばらしいカーラチャクラ文学を得ていることだろう。そしてそれはスピリチュアルな粉ひき小屋のための穀物となるだろう。

 かつて基本的なカーラチャクラ文学を分析するにあたって、オリジナルのカーラチャクラ根本タントラ、またの名をパラマディブッダ、または原初仏はもはや存在しないと言われていた。それはシャンバラから持ち出され、インドへ戻ってくることはなかった、結果としてチベット語に翻訳されることはなかった。「イニシエーションに関する論考」と呼ばれる章のみがインドに戻ってきて、マンジュ・ヤシャスの短縮版カーラチャクラ・タントラが「代理の」根本タントラとして使われるようになった。

 カーラチャクラ根本タントラはシャンバラに存在している。ただし純粋な心によってのみその次元を感知できるのである。それは秘密に管理され、いつの日か機が熟したときにはじめてあきらかにされるのだ。

 世界のどこかほかの場所からそれはあらわれるかもしれない。たとえばアティーシャは11世紀はじめ、チベットに来る前、ジャワでそれを見たと述べている。

 実際、カーラチャクラの教義はインドで広く知られるようになる前、黄金の諸島(インドネシア)に広がっていた可能性がある。たしかに11世紀当時、仏教はインドでよりもインドネシアでよりさかんで、活気に満ちていた。アティーシャがこのテキストを見たとき、インドで知られるようになってから半世紀もたっていなかった。

 カーラチャクラの根本タントラの知識は、ほかのテキストの引用から来ることもある。たとえば、ダクポ・ゴムチェン・ンガワン・ダクパの「カーラチャクラ生成階梯ヨーガ注釈」はいくつかの頌を書いているが、それは根本タントラからの引用だという。それはスチャンドラがいかにしてブッダからカーラチャクラの教えを受け取ったかの物語である。

 

そして名高い国シャンバラから男がやってきた 

男はヴァジュラパーニの生まれ変わりだという 

彼はヨーガ行者の超常的な力を使って 

南インドのダニヤカタカのストゥーパまで旅をした 

彼はブッダの周囲を右に3回まわった 

そして尊師の蓮の足もとに坐り 

尊い宝石と花を献じた 

それから繰り返し身を投げ出して礼拝した 

スチャンドラは両手を重ねて懇願の姿勢をとり 

かけがえのない教えの伝授をお願いした 

 

 またプトン・リンチェン・ドゥッパが書いた死と埋葬のカーラチャクラ式儀礼についてのテキストがある。それには特別なカーラチャクラ・ストゥーパに遺灰を納めるという箇所を含んでいるが、そのはじめにカーラチャクラ根本タントラからの引用をもってきている。

 

色の着いた砂のマンダラを建てよ 

故人の意識をそこに集めよ 

そして灌頂の儀式をおこなえ 

もし故人がすでに転生していたなら 

この苦しみの三世のどこにおいても 

疑いなく彼(彼女)は解き放たれるであろう 

 

故人の肖像画を手に取って 

あるいは故人の名が記された紙片を取って 

伝承にしたがってそれを浄化し 

ストゥーパの内側に安置しなさい 

それは信じられないほどの恩恵をもたらします 

 

 しばしば引用される一文で、世界を人の心の大宇宙とみなすカーラチャクラ理論があるが、これはカーラチャクラ根本タントラの第1章から引用されたものだという。

 

大宇宙(外の宇宙)に対するように 

人の小宇宙(内の宇宙)に対する 

 

 さらに努力を重ねていけば、世界中のさまざまな知識の宝庫から、カーラチャクラの素材を見つけることができるかもしれない。いつの日か、ブッダがカーラチャクラについて教えたその完全な姿を再創造することが可能だろう。