カーラチャクラ略史 

ジョン・R・ニューマン 宮本神酒男訳 

 

序 

 カーラチャクラ、すなわち「時の輪」の歴史と神話学は魅力的なテーマである。このユニークなヴァジュラヤーナ(金剛乗)の仏教文化を伝承する責務を負うボーディサットヴァ(菩薩)とヴァジュラーチャーリヤ(金剛阿闍梨)は多彩な集団であり、彼らのふるまいはしばしば人を驚かす。この小文において私はカーラチャクラの起源から現在までの歴史についてあきらかにし、今後についてもその姿を描いていきたい。この略史によって読者に時輪の評価を高めてもらうことを願う。

 カーラチャクラにおいて神話と歴史が出会い、混交し、その混沌から生まれたたくさんの要素からさまざまな解釈の余地が生じている。言い換えるなら、カーラチャクラを唱道する仏教徒は、カーラチャクラをこの現実世界で起こった歴史の一コマとみなすとともに、カーラチャクラの実践者内部で起きたヨーガのプロセスの比喩ともみなしているということである。カーラチャクラ史の象徴性は、世界史の大宇宙(マクロコスム)のなかで起こる歴史ドラマと、個人の内部の宗教的変容という小宇宙(ミクロコスモ)で展開する精神的ドラマの間のどこに視点を置くかによって変わってくるのだ。この視点の置き方が、ほかの密教システムとの違いを生み出している。そしてカーラチャクラ史の神話詩的要素のさまざまな性格を心にとめることによって落とし穴にはまらないように用心することができるのだ。

 カーラチャクラ史には書き記された、あるいは口承のさまざまな資料が含まれる。すなわち後期古典サンスクリット仏教経典やそのチベット語訳経典、それに伴う論考、あるいは歴史の概説、またチベット語による生きた口承などである。この小文は多くをサンスクリット文献に拠っている。チベットのカーラチャウラの伝承にはさまざまなものがあるが、こうしたサンスクリット文献のチベット語訳を共通の基盤としているのだ。しかしサンスクリット文献からさまざまな解釈が生まれているのも事実である。チベットの学者たちはカーラチャクラ史の重要な細かい点について論議を重ね、その結果厖大な文学が生まれてきた。

 これらの論議に深入りしたところで、それは現在の研究から逸脱したものになってしまうだろう。しかも資料に関してその価値をひとうひとつ吟味しようとは思わない。私はここにチベット仏教ゲルク派から見たカーラチャクラについて、すなわちカーラチャクラのゲルク派の発展型を示すのみである。