カルマパ列伝 カルマ・ティンレー   宮本神酒男編訳 

カルマパ1世 ドゥスム・キェンパ 

Karma pa Dus gsum mKhyen pa (11101193

 

 ドゥスム・キェンパは鉄・虎の年(1110)、ド・カムのテーシュ(mo hams Tre shod 新竜県境)の雪山の山脈に生まれた。彼ら自身成就した修行者だった両親から彼はダルマ(仏法)を教授された。11歳のときダルマパーラ(護法神)の女性エネルギーの側面であるマハーカーリーの幻影を見た。このことは彼の本性の精神性を表している。

 5年後、彼は新人の僧として寺院共同体に入った。そしてゲシェ・ジャマラ・チャパ・チューキ・センゲから偉大なる哲学者アサンガの『ヨーガーチャーラ・マハーヤーナ』を学習した。この時期に彼はロツァワ・パツァプ・ニマ・ダクからナーガールジュナとチャンドラキールティのマディヤマカのテキストを学んだ。それに加えてゲシェ・シャワラパからカダムパのタントラの教えを受け取った。

 20歳を過ぎて、ドゥスム・キェンパは住持のマル・ドゥルズィンから戒を授けられ、正式に僧侶となった。彼はヴィナヤ(戒律)のテキストを学ぶため、住持とともに寺院に残った。彼は偉大なるガ・ロツァワからカーラチャクラの教えとインドのタントラの聖人ヴィルーパの道果(ラムデ)の教えを受け取った。

 30歳になってドゥスム・キェンパはカギュ派の法統の継承者である師ガムポパに会うためにダクラ・ガムポへ旅をした。会ったときにガムポパは彼に至上の修行法として、カダムパが伝える段階的な道、すなわちラムリムを教えた。ガムポパはまた彼に、自身がしたような修行をするべきだと述べた。顕教のやりかたで基本的な修行法を示しながら、ガムポパはヘーヴァジュラの霊的な修行がおこなえるよう、ドゥスム・キェンパに灌頂を与えた。この灌頂のさなか、彼は師ガムポパが光の身体を持つヘーヴァジュラに変じるのを見た。

 しばらくのち、ドゥスム・キェンパは師のアドバイスによって9か月のシャマタ(平穏)の瞑想に入った。この期間を通して彼は発汗しないために、けっして両手を十分に広げなかった。ガムポパは彼が弟子のなかでもっとも才能に恵まれていると認識し、ヴィパシュヤナー(洞察)の瞑想を教えた。彼は太陽が雲を払うように洞察力が進歩するまで、およそ3年間この修行をつづけた。このときガムポパは彼に言った。

「おまえは現象の存在との絆を断ち切ってきた。もはやサムサーラに戻ることはないだろう」

 ガムポパは彼にマハームドラーの口承の教えと象徴的な神ヴァジュラヨーギニーの秘密の教えを授けた。彼はさらにドゥスム・キェンパにカムのカムポ・ガンラでこれを実践するように命じた。そしてドゥスム・キェンパはここで覚醒を得るだろうと予言した。

 ドゥスム・キェンパははじめてシャウ・タゴへ旅をした。そこに彼はドゥブシ・デンサ(四角い席)という名の小さな瞑想小屋を建て、マハームドラーの実践修行をおこなった。サムサーラとニルヴァーナは分かちがたい非二元(’khor ’das yer med)であることを理解した。そのとき師が逝去したという知らせが届き、彼はダクラ・ガムポ寺に戻った。寺で彼は天空に師がいるヴィジョンを見た。

 ドゥスム・キェンパはカムポ・ガンラ地区で師から教わった修行の心得を思い出した。この地区の原則的なエネルギーの象徴的体現である山神カムポ・ドルジェ・パルツェクがヴィジョンのなかで彼を招いた。ダクポ・カギュの小さな8つの法統のもととなる、ガムポパのもうひとりの弟子、パグモ・ドゥパは行くべきではないといさめて、言った。

「もしカムに行ったら、あなたはたくさんの灌頂を授けなければならなくなるだろう。これはあなたの命を縮めることになる」

 ドゥスム・キェンパはそれに対して答えて言った。

「忠告をありがとう。しかし私が何をしようとも、私は84歳まで生きることになるだろう」

 50歳のとき、彼はカムポ・ネナンに旅をした。そこで彼は、夢のヨーガの実践を通じて覚醒を得た。昼と夜、夢と覚めた状態、瞑想と日常生活の本質的な同一性を彼は理解した。彼の理解は、マハームドラーの第4レベル、すなわち超瞑想(bsgom med)に相当した。

 覚醒の瞬間、ヴィジョンのなかでダーキニーから捧げられた彼女らの髪で編まれた黒いヴァジュラの冠が象徴となった。この冠はすべてのカルマパの転生の頭上に飾られ、彼らが現実の本質を理解したことを表した。

 同時にヘーヴァジュラのマンダラの9人の神と明妃のナイラートトミヤーのマンダラの15人の神、その他大勢のイダム(守護神)がドゥスム・キェンパのヴィジョンのなかに現れた。「夢のヨーガ」を完遂することによって彼はセイロンに「旅をして」、そこでタントラの聖人ヴァジュラガンターから象徴的な神チャクラサムヴァラの霊的修行のなかで灌頂を授かり、そしてトゥシタ、すなわち未来のブッダ、マイトレーヤ(弥勒)が住まう霊的空間(兜卒天)へと行くと、そこでボーディサットヴァの誓いを立てた。

 ドゥスム・キェンパはその後18年間もカムポ・ネナンに残ることになった。その間に彼は寺院と隠棲所を建てた。彼の霊的覚醒の名声は広まり、「三時(過去、現在、未来)を知る者」(dus gsum mkhen pa)として知られるようになった。彼は心の生まれざる本性を理解することによって、時間を超越することができたのである。

 僧院共同体のための新しい法統を確立するためにチベットに招かれていたカシミールのシャキャシュリーは、ドゥスム・キェンパこそが『サマーディラージャ・スートラ』(三昧王経)の中でシャキャムニ・ブッダによって予言されたブッダの活動をする者、カルマパであると宣言した。ツァルパ・カギュの開祖であるラマ・シャンもこのことを確認している。二人の師もドゥスム・キェンパは目覚めた慈悲(アヴァローキテーシュヴァラ)の原理の体現であり、ブッダ・マイトレーヤにしたがって、カルマパ・ラマはブッダ・シンハとして生まれ変わると言った。

 74歳でカルマパ・ドゥスム・キェンパはカムのデロン地域に旅をしたが、ここは論争の絶えない問題の多い場所だった。 党派に分かれていさかいがあったが、それをなだめ、しばらくの平和をもたらした。彼はまた病人を治すことに奔走した。盲目や麻痺を含む多くの患者を診た。この慈悲の心のヒーリング・パワーは並外れていた。彼はまたマルカムやカルマ・ゴンに寺院を建てた。ここで彼はドゴン・レチェンと会った。筆頭弟子となり、法統の系統者となる人物である。

 人生の終わりが近づくと、彼はガムポパの遺言に従ってダクラ・ガムポに戻った。彼は寺院に捧げものをして、建物を修理し、僧侶たちに教えを授けた。つづいてカルマパはツルプに玉座を作った。ここには1959年までカルマパの玉座があった。インドのボードガヤー(ブッダガヤ)寺院は法螺貝を贈り物として、またドゥスム・キェンパのダルマのパワフルな表現を認定したしるしとして、ツルプ寺に贈った。

ツルプ寺にいる間、ドゥスム・キェンパはツァラ・カギュのラマ・シャンが巻き込まれていた論争に終止符を打たせた。ラマ・シャンは偉大なシッダ(成就者)であり、ツァルパ王国の支配者でもあった。しかし攻撃的な性格の持ち主で、カルマパの手に余る存在だった。

 ある夜、夢のヨーガを実践しているとき、ドゥスム・キェンパは、タントラの聖インドラブーティから、四面十二手のヴァジュラヨーギニーの霊的実践法を受け取った。つづいてほかの幻視体験をしているとき、ヴァジュラヨーギニーから教えを受け取った。カルマパはこれらの教えを自分の弟子たちに伝授した。しかししばらくのちに、彼の夢の中に、宝石で飾った赤い衣の5人の少女たちがあらわれて、言った。

「秘密のヴァジュラヤーナの教えを、それを求めるすべての人に与えてはいけません」

 数日後、ドゥスム・キェンパは教えを授けてえしまった。その夜、5人の少女がふたたび夢の中に現れて告げた。

「私たちは王女ラクシュミーンカラーの使者です。秘密のヴァジュラヤーナの教えを求めるすべての人に与えてはいけません」

 三日後、カルマパはラマ・カムパ・クンバに教えを授けた。するとその夜夢の中に天空の白い雲に乗った少女たちが現れ、告げた。

「私たちはヴァジュラヤーナの秘密の教えを求めるだれにでも与えてはいけない、と繰り返し述べました。しかしあなたは言うことを聞きませんでした」

 カルマパ・ドゥスム・キェンパの死の前の3か月、尋常でないほどたくさんの虹が立った。また地響きが何度も起き、奇妙な音がとどろいた。人々はそれをダーキニーの太鼓と呼んだ。何か重要なことが起きる前触れのようだった。

 84歳になったとき、つまり水・牛の年(
1194年)の最初の日、ドゥスム・キェンパはツルプ寺を、経典や遺物とともに筆頭弟子のドゴン・レチェンに託した。彼はまた遺言の手紙を渡し、つぎのカルマパが生まれる環境を予言した。彼はすべての所有物をカギュ派の共同体に献じた。

 新年の三日目の朝、ドゥスム・キェンパは最後の言葉を弟子たちに残した。彼は坐したまま空を眺め、瞑想に入った。正午に彼は逝去した。

 死の儀礼がおこなわれている間の一週間後、多くの人が幻視体験をした。ある人は葬送の火から立ち昇る煙の中に浮かんでいる彼の身体を見た。ある人は天空に浮かぶ多数の太陽を見た。そのまわりではダーカやダーキニーたちが踊っていた。

 葬送の火が消えたとき、彼の愛を象徴する心臓、教えを象徴する舌が灰の中から発見された。弟子たちは骨をいくつか拾い上げたが、それらは種字(ビージャ)のようだった。

 カルマパの灰は、シャキャムニ・ブッダがカーラチャクラの教えを授けた南インドのダーニャカタカのストゥーパを模して造ったストゥーパに安置された。このストゥーパはツルプ寺に納められた。

 ドゥスム・キェンパは数多くの成就した弟子を持っていた。彼らを通じて彼自身のカムツァン・カギュをはじめとする多くの宗派に教えが浸透した。彼の法統の継承者はドゴン・レチェンだった。そして彼を継いだのはポムダクパであり、それは二世カルマパ・ラマに引き継がれた。

 ドゥスム・キェンパの教えを受けた他の法統の4人の開祖は、タグルン・カギュを開いたタグルン・タンパ、偉大なるマハームドラーの実践家であり、ドゥクパ・カギュの精神的始祖であるリンジェ・レパ、ドゥクパ・カギュの実質的な開祖であるツァンパ・ギャレ、カトク・ニンマを開いたラマ・カダムパ・デシェグだった。

 加えて、特別な力を持った5人の弟子がいた。彼らはテレパシー能力を持ったデチュン・サンジェ、奇跡をおこなったダクデン・バツァ、ボーディサットヴァ・パワーを持ったタワ・カダムパ、祝福においてすぐれたドゴン・レチェン、深遠な覚醒を得たゲ・チュツンである。