割股(かつこ)

ヤオ族の儀礼歌「花王唱」に反映するカニバリズム的風習


1 究極の薬としての人肉

 語弊を恐れずにいえば、近代以前の中国は迷信大国だった。

蠱毒ひとつをとってみても、中国古代史がそれで語れるほど古代政治の世界には呪祖が蔓延していた。註1 記録に残らない民衆世界のレベルではもっと日常茶飯事的に蠱毒が行なわれていたと考えるべきだし、近年までその風習は残っていた。蠱毒ほど凄まじくはなくとも、紙人・偶人といった替身や厭勝などの呪詛は、じつにバリエーションに富んでいる。呪詛以外にも範囲を広げれば、霊媒やフーチー、媚道など挙げればきりがなくなってしまうので、この稿では深追いしないことにする。註2

 蠱毒が害悪をもたらした迷信の最たるものだとすると、当事者に悲劇をもたらした迷信の極めつけは割股だろう。割股というのは、たとえば瀕死の床にある姑を救うため、最後の手段として嫁が自分自身の腿の肉を切りとることをいう。人肉、しかも近親者の肉は特効薬中の特効薬だと信じられた。嫁は失血死を恐れず、腿や腕の肉、はなはだしい場合には肝臓や肺を抉り取り、それを煮込んで羹(あつもの)を作って姑に食べさせた。註3

 広州の漢方薬市場を訪れると、鹿角、タツノオトシゴ、ヘビ、ムカデ、サソリ、ゴキブリ……と、ありとあらゆる生き物の素材が薬として並んでいて、われわれはそのめくるめくような混沌的パワーに圧倒される。植物、鉱物とならんで動物は漢方薬の主要成分のひとつなのである。

たとえば牛の胆のうにできた結石は、万能薬牛黄(ごおう)として中国の薬局ではもっともポピュラーな存在だ。タツノオトシゴや鹿角は「腎を補い、陽を壮(つよ)め、気を調え、血を活かす」薬効をもつ。

動物を素材とする薬の範疇で異彩を放つのが紫河車(しがしゃ)すなわちひとの胎盤だ。胎児に栄養供給した器官だから薬効をもつのは当然であるが、犬やブタの胎盤ではなく、ひとの胎盤であることが重要な点だ。人間の血や肉、臓器を薬として用いることは、本能的にもタブーのはず。紫河車はタブー破りの薬材といえるだろう。

 紫河車以上の究極の薬は、すると、人肉しかない。唐・陳蔵器『本草拾遺』にはすでに「いわく人肉は疾を癒すなり。おのずと民間の多く父母の疾に股肉を割き進呈する」(『新唐書』孝友伝)と記され、唐代にはすでに人肉が究極の薬として認知され、世間に広まっていたことがわかる。

 人肉もたんなる人肉では、犬肉や猿肉以上の薬効が認められるわけではないだろう。それに身内の者の孝心が加わることで、はじめて治療効果が発生するのだ。また、健全な人間の肉体の一部を病人の肉体に移植することで病気が治るという類感呪術的な意味合いもあるだろう。ここまで来ると、カニバリズムまであと一歩である。実際、後述するように、わが子を殺してその肉を病気の老母に食べさせることもあったのだ。


2 ランテン族が伝える花王唱

 先ごろ私は中国国境(雲南省西双版納タイ族自治州)からさほど離れていない、ラオス北部の亜熱帯雨林の森を歩いた。森の中には弥生時代を彷彿とさせるいくつかのランテン族の村があった。ランテン族は中国西南でランディエン・ヤオと呼ばれるヤオ族の一支であり(広西チワン族自治区では山子ヤオと呼ばれるが、衣裳は異なる)、十年前私が訪ね歩いた中国側の村々の人々と同一であった。その名のごとくインディゴブルーに染めた衣にピンク色の刺繍や飾りをあしらえた民族衣裳と、中国西南で見かけるヤオ族と同様の剃った眉毛が印象的だ。

 ランテン族の村がランディエン・ヤオの村と異なる点は、村人が古書を売りに近寄ってくることだった。この地域はアヘン中毒患者が多く、代々伝えてきた古書を売り飛ばしてまで現金を欲しがるのも、アへンを切らさないためだという。

 私が入手した数冊の古書のなかに「花王唱」が含まれていた。古書といっても書写年は丙申、すなわち1956年の7月25日であり、数冊の中ではもっとも新しい。

 「花王唱」は、子宝に恵まれない夫婦が師公に依頼して挙行する「求花娘儀式」で歌われる祈祷歌である。ヤオ族の社会では子どもは花婆神がもたらすものと考えられてきた。霊魂は不滅であり輪廻転生する。霊魂は死後、陰間でまず花王(花婆)が管理する花楼に入り、咲き誇る花の芯に漂着する。花王はその霊魂を人間界に投胎するのだ。儀式では野山から花をかきあつめて花横を作り、ひとりの師公が花を求める者の役を演じ、もうひとりの師公が花を奪おうとする魔鬼の役を演じる。この劇はつねに求花者が勝たなければならない。「求花娘儀式」はたんなる花まつりではなく、民族の根幹にある習俗であり、世界観があらわれた儀礼なのである。註4

 「花王唱」は正月から十二月までの十二の故事で構成され、月ごとにひとりの花婆神が誕生する。それぞれ登場する女性がいかにして花婆神になったかが描かれるので、これらからヤオ族の風習や伝統、考え方が焙り出されることにもなる。

 たとえば「正月花王唱」は、天女が貧乏な男と恋に落ちて結婚するものの、金持ちの男に強奪されるという話だが、そのとき天女は何度も天の「注定」ということばを使って抵抗する。注定とは天の定めというほどの意味で、正確には「命中注定」であり、算命先生が占って男女の婚姻を決めるヤオ族の習慣を反映している。註5

 注目したいのは四月と六月の花王唱である。漢族的な習慣、あるいは迷信活動ともいえる割股と子殺しがモティーフになっているのだ。蠱毒の習俗が中国西南少数民族のあいだで最近まで生き残っていたように、ヤオ族のなかに観念として残存していたのだろうか。それにしても、子育ての女神の由来を説く縁起物にしてはあまりにも過激だ。

 以下に訳出を試みた。ヤオ族独特の漢字に手を焼かされ(たとえば月が閧ニ表記される)、虫食いによる欠字もあり、しばしば読み取れない文もあったが、その点は了解していただきたい。

四月花王唱

四月猛暑 よき風涼し 農夫 芒種 よき風涼し
叔楊は齢十八 盧氏を娶る (文字不明)
家に老母あり 齢八十 大病を得て 起床もできず
神にすがり 鬼を祓うも 病は癒えず 仙人夢に托して告げる
病の母に 人肉を食べさせるべし 
(そうすれば)三年大病の床から起き上がる

翌朝早く 盧氏は(仙人のことばを)伝える
叔楊それを聞き 銅銭をもって外へ出る
盧氏はいう 男の人は文が読めても 思慮が足りない
売られているのは豚肉や羊肉だけ 人肉があるのはただ墓場だけ
人に求めず 自らの肉を取りましょう 
自分の腿を割いて 親を助けましょう

叔楊いわく 腿を割いたら そなたの身が亡ぶかもしれぬ
盧氏答えていう 男の人は思慮がたりない
老母は三年病気でいまだ死なず 腿を割くごときで亡びましょうか
すなわち刀をとり 腿肉を抉り取り スープに煮込む
右腿から抉り取る一塊の肉 秤で計ると四量あまり
肉を母に食べさせるや 三年の大病の床から立ち上がる
二十四代(?) 天下に聞こえた 盧氏の孝行
娘 鬼にならず 仙婆によって花娘となる

六月花王唱

六月大暑 日は長く 手に扇もち よき風涼し
暑月 雨涼し 苗育つ 曹安子を殺し 親を救う
家に老母あり 齢八十 三日飯なし 白湯を飲むだけ
一日三杯 ただの白湯 三日で九杯 ただの白湯
白湯は飯に及ばず (白湯を)食べても腹を洗うだけ
曹安妻に対していう わたしの言うことを聞いてほしい
三日老母の飯なし 子の月香を殺すに如かず
妻曹安に答えていう あなたは思慮がたりません
お腹のなかに三ケ月 (その子を殺すのは)千万の辛苦 断腸の思い
母は長流水(のように永遠) ではない
深山の樹木(のようにいつまでも元気) ではない
もしも月香を殺したいなら もう二日は (文意不明)
磨いだ刀は壁の上 声を出して月番を呼ぶ
月香呼ばれて前に立つ そのとき月香はいつもの通り
そのとき大刀で軽く切りつける 月香は「おかあ」と叫ぶ
すかさず尖刀で下腹部を刺す まるでブタかヒツジを屠るよう
(肉を)煮て老母に食べさせる 老母は肉を月香にも分けたいという
老母が三度呼んでも応答はない 曹安涙ながらに親に話す
この肉は月香のからだ 月香を呼べば呼ぶほど断腸の思い
老母これを聞き 頭を垂れ「天よ」と叫び泣き崩れる
家に飯なければ 我が死ぬのみ 誰が月香を殺せと言った
曹安の孝行は天下に聞こえた 誰がこれ以上の孝義をなせようか
娘は死んで鬼となる 仙婆によって花娘となる
花王未上女となり 注6 玉器のような子を送りこむ
個堂(大堂?)を保護し 財馬達する 個堂財馬 陰間に達する
財馬達し 花婆安らぐ 来年も送りこむ 白花男


 両者に共通しているのは、年老いた姑が病気にかかるが、家が貧しく薬を買うこともできない。そこで嫁がじぶんの腿を決り取るか、腹を痛めて生んだわが子を殺すか、いずれにせよ特効薬である人肉を調達し、姑に服させるという筋である。

 すでに述べたように人肉は極上の薬だが、それと同時に人肉は生命エネルギーそのものと考えられたのかもしれない。衰弱した生命エネルギーに元気のいい生命エネルギーを補充するのだ。

 また、もちろん、偽薬効果(placebo effect)とでもよべる心理学的な作用もあるだろう。ロジャー・ウォルシュによると、五十年代、クレビオゼン(krebiozen)という癌に奇跡的な効果があるとされる薬が開発された。ある末期癌患者の男はその薬を服用してかなりよくなったが、その後効果がないことがわかると、癌は再発した。そこで医者が改善されたクレビオゼンを与えると、癌はみるみる萎縮した。その新クレビオゼンはじつは水にすぎなかった……。これが典型的な偽薬効果である。身内の人肉はたんなる偽薬効果というより、「ここまでやってだめなら、あきらめもつく」という意思表示もこめられていたのかもしれない。註7

 われわれの基準からいえば自分の肉を抉り取るという行為はにわかには信じがたく、理解もできないが、その行為は死をも賭した親孝行であるとして、非難されるどころか賞賛された。ヤオ族が割股を美徳とみなしたとはとうてい思えないが、中国のある時代には尊ぶ傾向があり、それが「花王唱」に反映されたものだろう。

 明代はじめには割股が流行し、ついに子殺し事件も発生した。この事件はときの洪武帝の怒りを買ったが、禁令が発布されたわけではなかった。英雄的な行為と愚昧な行為との間に一線を画するのは容易ではなかったのである。

李敖(リー・アオ)氏も紹介しているように、19世紀中葉、失脚寸前だった西太后(当時は懿貴妃)は二の腕に傷をつけ、病気の慈安皇后のために割肉をしたふりをし、皇后から絶対的な信頼を勝ち得ることに成功した。その後失地回復した西太后は慈安皇后を殺し、権力を掌握していく。これは実際に割腹をした例ではないが、割股がけっして作り事ではなかったことの傍証にはなるだろう。

 「花王唱」に編入された故事はもちろんフィクション、或いは遠い過去の出来事だが、実際に起こった話として受けとめられていたにちがいない。いや、聞き手にとって、事実であるか創作であるかはどうでもいい問題だったのだ。これだけの自己犠牲を払ってでも姑を救おうとするヒロイックな孝行は花王の権威をより高めただろう。

 地方志に収録された数百の割股の記事も(われわれはこれをドキュメントと呼ぶが)五十歩百歩であり、創作と事実の合間はかぎりなく曖昧である。儒教が支配的だった世界では、民衆の信じることこそが真実であったといえる。割股があったかどうか確乎としたことはいえないが、民衆があったと信じたことだけはたしかなのである。

1 李瑶『巫蠱方術之禍』(牧村図書1996)など。蠱毒は妖術の一種。蛇、ムカデ、トカゲなどを使って人を呪訊する。
2 澤田瑞穂『中国の呪法』(平河出版社1984)など
3 李敖『中国迷信新研』(李敖出版社 2002)。李敖は地方志を中心に調べ上げ、六二〇件もの割股の実例をあげている。抉り取る部所別では、腿(542)腕(52)肝臓(33)胸(5)指(5)脇(2)耳(1)膝(1)肺(1)となっている。腿が84%を占める。肉を与える対象は姑以外にも、母、夫、父など。
4『中国各民族原始宗教』(中国社会科学出版社1998)。花婆神は漠族では送子娘々などの女神にあたる。
5 趙廷光『論ヤオ族伝統文化』(雲南民族出版社1990)。
6 花王の称号は「正月花王寅上女、二月花王卯上女、三月花王辰上女、四月花王巳上女、五月花王午上女、六月花王未上女、七月花王申上女、八月花王酉上女、九月花王戌上女、十月花王亥上女、十一月花王子上女、十二月花王丑上女」。

7 Roger N. Walsh "The Spirit of Shamanism" 1990