第11位 才人にして稀代の男色家、平賀源内の墓
日本国中をひっかき回すようなスキャンダラスな存在であった平賀源内(1728−1779)の墓所が、橋場の路地の奥にひっそりとたたずんでいます。あまりにも地味で、そのこと自体がイメージと異なり驚きです。じつは、源内の最期はあまりにもばかばかしく、せつないものでした。
ある重要な書類が盗まれたと思い、源内は激昂して酒を交わしていた町人を切りつけてしまいます。しかしその書類が見つかり、自分の勘違いであったことを知った源内は、自責の念にかられます。源内が獄中で破傷風にかかり死んでしまうのは、事件があってから一か月足らずのことでした。犯罪者として死んだため、こういう質素で地味な墓になってしまったのです。
しかし生前の源内はキョーレツかつ特別な存在でした。
オッサンからジジイになりつつある私の年代なら、幼少の頃にNHK時代劇ドラマ「天下御免」を見ているかもしれません。ウロ覚えですが、ドラマはやたらに面白く、世間でもたいへんな話題になっていました。
このドラマのおかげで、平賀源内や田沼意次、杉田玄白らの姿がありありと浮かんできます。しかし今からするとだまされたように思うのは、恋人らしき存在(中野良子が演じた紅)があることです。源内は知らぬ人のいない男色家だったのです。
玄白らがしきりに妻を娶って所帯をもつことをすすめましたが、「四海皆女房なりと悟れば寝覚めも淋しからず」などとうそぶいて、煙に巻きました。実際は、美少年、美青年好きでした。つぎにドラマを作るなら、歌舞伎役者(女形)の二代目瀬川菊之丞を恋人役とすべきでしょう。
源内は『男色細見』という詳細な陰間茶屋(男娼がいる店)ガイドブックを著しているほどですから、どっから見てもホモセクシュアルです。そこには名前入りで葭町67人、湯島天神42人、京宮川85人、大坂道頓堀49人……というふうに調べ上げていて、相当入れあげていたことがわかります。考えてみればオスカー・ワイルドも三島由紀夫も同性愛者でした。
同性愛者だからこそ、人と違った視点から世の中を眺めることができました。源内は才気煥発型の天才でした。彼は蘭学者であり、本草学者であり、エレキテルや火浣布をもたらした科学者であり、ときにはややあやしげな山師(鉱山開発師)でした。
しかし源内の本領が発揮されるのは、なんといっても浄瑠璃、滑稽本、洒落本などの創作物です。そのなかでも珠玉の作品は(勝手に決めつけるならば)『放屁論』です。
その自序で、源内は「人として放(ひら)ずんば、獣にだも如(しか)ざるべけんや」と高らかに宣言します。源内は両国橋あたりに出現した放屁(へっぴり)男のことを聞きくと、「天地に雷あり、人に屁あり」と叫び、さっそく飛んで行きました。
さわやかな口上のあと、放屁男は囃子にあわせてトッパピョロピョロピッピッピッと拍子よく三番叟屁(をひる)。つぎにニワトリ東天紅をブ、ブゥーブゥとひり分けて、さらにブゥブゥブゥとひりながら体を水車のように回転させる。
こういう調子で放屁(へっぴり)男の描写がつづきます。そしてつぎのような一節でしめくくります。
この屁ひり漢(おとこ)、いままで用いぬ尻を用いて、古人もひらぬ曲屁をひりだし、天下に名を轟かす。われも思う、もし賢人ありて、この屁のごとく工夫をこらし、天下の人を救いたまはば、その功大ならん。心を用いて修行すれば、屁さえもかくのごとし。
どこまで冗談なのかわからない文章ではありますが、こうやって笑い飛ばす洒脱さが源内の持ち味でしょう。われわれはこの軽やかだが軽佻浮薄ではない源内のパワーを取り込んでいきたいものです。