第9位 焼死した孤児たちの霊を慰める地蔵尊
第二次大戦が終わり数年たったある年、幼い息子を連れた女性が石浜町2丁目(現在の台東区橋場)に家を建て、そこに住み始めました。しかしその日以来、息子は怪奇現象に悩まされるようになりました。黒い影のようなものが現れ、背中から覆いかぶさってくるというのです。息子は何度も気絶しました。女性は息子を医者にみせたのですが、原因を突き止めることはできません。
周囲の知人にたずねてはじめて1937年、近くにあった同情園という名の孤児院が焼け、12人の児童が焼け死んだことを知りました。火鉢のまわりにおしめを置いて乾かしていたところ、火が移って炎上してしまったのでした。児童の遺体はちょうど女性の家の敷地に安置してあったといいます。
このことを聞いた女性は近隣の人々と話し合い、子育て厄除け地蔵尊を建て、僧侶を呼んでねんごろに供養しました。そうすると黒い影は消え、子供は元気になりました。
ところがのちに女性は(このあたりあまりはっきりしないのだが)新興宗教の団体にそそのかされ、地蔵を隅田川に捨ててしまったのです。それからしばらくして、近くに住む砂利業者の合田さんらが川のなかに光るものを発見します。それは捨てられたはずのお地蔵さんでした。お地蔵さんは小松石でできていて、通常水に濡れると黒くなるのですが、この霊験あらたかなるお地蔵さんは水中で光っていたのです。こうして合田さんはもういちどお地蔵さんを子育て厄除け地蔵尊に安置し、亡くなった児童たちを供養するようになりました。
写真を見ればわかるとおり、千羽鶴が捧げられていて、いまもこの地蔵尊が大事に扱われていることがわかります。じつはこの写真を撮ったあと、私は突然体調を崩してしまいました。これは賽銭箱に一銭も落とさなかったことにたいする懲罰だったのかもしれないと、つい考えてしまいました。