満願地蔵と其角と采女    宮本神酒男 

 職場で同僚になるのも、地下鉄で隣の座席になるのも、婚活で知り合うのも、どれも運命的なものと言えます。清川の出山寺(しゅっさんじ)の敷地内に、其角(きかく)や采女(うねめ)塚の石碑を見守るように満願地蔵が立つのも、不思議な縁(えにし)というべきかもしれません。

 采女塚の石碑には悲しい物語が綴られています。説明書きにはつぎのように書かれています。

 寛文年間(16611672)新吉原雁金屋(かりがねや)遊女「采女」に心を寄せた若い僧侶が師から固く制され、悩んだすえ、雁金屋の前で自害してしまった。采女は悲しんで浅茅ヶ原の鏡が池に身を投げた。時に十七才。翌朝、草刈の人たちが「名をそれとしらずともしれさる沢の あとをかがみが池にしずめば」としるした短冊を見つけ、采女とわかり、塚に葬った。

 こういう遊女の恋愛沙汰は、江戸時代、多かったのではないでしょうか。僧侶とて人の子、とりわけ家の都合で出家している場合、俗世に未練は残っていたでしょう。遊女にしても、お金を持たない僧侶との恋などもってのほか。しかしだれも恋愛感情にストップをかけることなどできなかったのです。


采女塚(左)と室生其角の句碑 

 芭蕉の十大弟子(蕉門十哲)の筆頭格、其角(16611707)の句が残っています。元禄九年(1696年)に彼は弟子をつれてこの寺にやってきました。おそらく采女の没後30年余りしかたっていないので、心中に近い彼らの恋愛沙汰はリアルに語られていたことでしょう。

 其角の句碑に刻まれたのはつぎの一句でした。

 草茎をつつむ葉もなき雪間哉 

 これは雪解けがはじまった頃の季節でしょうか。雪が積もった地面もところどころ土が見えています。草を覆っていた雪も解け、茎があらわになりましたが、あまりに速く解けてしまったので、まだ葉が出ていません。

 俳諧というのは即興性が重んじられます。其角は即興で読みながらも、深みをも表現する特殊な才能を持っていました。