子供に憑依したお地蔵さま 

 毎月4、14、24日は縁日、そう銘打つのは墨田区の地蔵坂通りです。その日は歩行者天国になり、通りの真ん中で素朴なまんじゅうを売っていたりします。この通りの名の由来となったのは白髭神社に近い、通りの入り口にある子育て地蔵です。

 最近あらためて地蔵の前に掲示されている説明書きを読み、新鮮な驚きを覚えました。

 この御堂に祀られている地蔵菩薩は文化年間(18041818年)に隅田川の堤防工事をしているときに見つかったもの。このことから地蔵菩薩そのものがかなり古いことが推測されます。

 それからつぎのような伝承を紹介しています。

 ある日、この地に古くから住む植木屋平作に雇われていた夫婦が川沿いの田地で殺される事件が起きました。犯人はすぐにわかりませんでしたが、この地蔵が村の子どもの口をかりて犯人の名をつげたのだとか。そこで平作は、この地に地蔵を安置して朝夕に供養するようになりました。

 こうさりげなく書いているけれど、子どもの口をかりて地蔵がしゃべっているではないですか! 死に口ならぬ地蔵口です。どこかの子どもが憑依状態で地蔵のことばを話すさまを想像してください。これをシャーマンと呼ぶこともできるでしょう。子どものほうが憑依しやすい、という考え方が昔からありました。私はヒマラヤの村で11歳の女の子が憑依状態で神のことばをしゃべるのを聞いたことがあります。一昔前の浙江省の南通(上海の近く)でも、子どもが神がかりになることがしばしばあったという記録を読んだことがあります。こういう現象が江戸時代のこととはいえ、すぐ身近に起きていたのは驚きです。

 さてその後、天保三年(1832年)、11代将軍家斉が鷹狩に来て平作宅にて休息した際、この地蔵の由来を聞いて参拝したというのです。植木屋というと植木職人を想像しますが、将軍が訪ねるほどですから、よほどの裕福な家だったのでしょう。いまでいえば大手建設会社の社長のようなものでしょうか。

 鷹狩というのも意外です。家康以来、ほとんどの将軍は鷹狩を愛していました。鷹を使って鳥やウサギをとって楽しんでいたのでしょうが、この近くで鷹狩をするような場所があったのでしょうか。