飴なめ地蔵のやさしさパワー 

 榧寺(かやでら)の前は何度も通ったことがあるのですが、境界線を越えて中に入ったのははじめてでした。由緒ある寺とはいえ、建物がモダンになっていて、気軽に入るという雰囲気がなかったせいもあります。

 しかしひとたび入ると、都会の喧騒は消え、日本庭園の静寂さに包まれます。目の前にはいくつものお地蔵様や大黒様が鎮座しています。それらは歩道のすぐ裏側におられるのです。

 榧寺の縁起は、とても興味深いものがあります。天正年間の1575年頃、隅田川のほとりに樹齢千年の榧の大木が立っていました。そこに庵があり、ひとりの浄土宗の僧が村人たちとともに念仏を唱えていました。ある日山伏がやってきて、榧の実を賭けて碁の勝負を挑みました。結果は山伏の勝ち。山伏は榧の木本体を伊豆に持って行きました。

その後山伏は戻ってきて、自分が秋葉大権現であることを明かします。そして榧寺を火事から守ることを約束しました。それ以来、とくにたびたび大火に襲われた江戸時代、ここだけは火が及ぶことはありませんでした。

 さて、私が榧寺の内側に足を踏み入れたのは、永井荷風が「御厩河岸(おうまやがし)の榧寺には虫歯に効験(しるし)のある飴嘗め地蔵があり……」と書いているからです。もっとも、飴嘗め地蔵は虫歯よりも百日咳などのほうに効能があるようですが。

 飴嘗め地蔵は見ているだけで心がなごむやさしいお顔をしています。その表情から飴嘗めと呼ばれるようになったのかもしれません。

 その隣にはお初地蔵が安置されています。お初は大正11年(1922年)に養母の折檻によって死亡した10歳の女の子ということです。その死を哀れに思った榧寺21世諦我上人が供養のためにお初地蔵を建立しました。この継子いじめ事件は当時有名であったらしく、芝居や映画にもなったということです。