塩なめ地蔵(銭塚地蔵)とカンカン地蔵    宮本神酒男

 浅草寺のなかにあるのだから有名というべきか、浅草寺のなかにあるわりには知られていないというべきなのか、迷うところです。いずれにせよ、私はこの地蔵の一風変わった由縁のエピソードやネーミング、仏像だかなんだかわからなくなったご神体(カンカン地蔵)が気に入ってます。

 享保年間(17161735)のこと、摂津有馬の某の妻が庭先に寛永通宝が入った壺を発見しました。しかしこれに頼っては家が滅びると思い、妻は壺を庭に埋めなおしました。この心がけのよさから、家族は繁栄しました。彼らは感謝のしるしとして壺の上に地蔵尊の祠を建てて祀りました。

 銭塚地蔵はこの摂津有馬の地蔵を勧請したものです。線香や灯明(ロウソク)のほか、とくに塩を供えるということから、塩なめ地蔵と呼ばれるそうです。ただ前述の白髭神社近くの子育て地蔵もまた塩地蔵と呼ばれることがあります。塩には清めの意味がありますが、当時塩は貴重なものであり、それほど大事にされ、尊敬されたのでしょう。

 この塩なめ地蔵のわきにはカンカン地蔵があります。本尊は大日如来であったとされますが、数々の災害にあい、また多くの参拝者が石でカンカンと鳴らしたため、原形が何かわからなくなるほど変形してしまいました。このカンカン地蔵にも塩が奉納されるそうです。