目覚めた社会と神秘的宗教 

 チョギャム・トゥルンパの考えでは、宗教の秘密の部分と彼が目覚めた社会と呼ぶ社会政治的概念との間に奇妙な混合があった。「目覚めること」(enlightenment)とは、この場合、サンスクリット語のボーディ(菩提)、すなわち神秘的に完全に理解したブッダのことである。

あらゆる組織化された宗教は、ある地点で、国民宗教や国家宗教になろうとし、また政治的なリーダーシップを取ろうとする。フランスの政治の世俗性とアメリカの政教分離主義は、そのような宗教政治の危険性を西欧が経験してきたという証しである。

 しかしひとつの宗教が社会を圧倒的に支配するのは、つまり政府と社会秩序に宗教が浸透して統一的であるのは、西欧の特徴であり、チベットのそれとは根本的に違っているのだ。西欧では神秘的な宗教が支配的であることはなく、大衆的で、普遍的で、顕教的な面のみが現れる。

 チベットのいわゆる神権政治においては、リーダーたちは通常の司祭ではなく、教義自体は秘せられ、秘教的であったものの、一般の国民のなかに神秘性を広げようとする神秘家だった。

 それはたとえていえば、ヤコブ・ベーメやエックハルト、十字架のヨハネ、アヴィラのテレサ、後半生の黙想的なトマス・アキナスが、教皇になろうとしてプライベートの神秘家としての道に政治的な力を応用するようなものだった。

 ある意味でこの公的な道としての神秘宗教という概念は、プラトンの『共和国』に近いものがあった。哲学王でかつ彼が理想とする社会の政治的リーダーとなる者とは、私的で神秘主義的な徳によって支配する人のことだった。現象的な世界をたんなる外観と、現実を移行する他者ととらえる人が国を支配し、国民を彼の私的な神秘主義的世界にいざなう人のことだった。タントラ的な用語を用いて、このリーダーは、マンダラを拡張する。マンダラとは、神秘主義を国全体に伝播しようとする彼の生徒たちの私的な社会のことだった。

 これが、トゥルンパ・リンポチェが西欧で詳しく述べた宗教と社会の関係の理論だった。その形而上学は、仏教神秘主義の新プラトン主義バージョンというべき超宗派運動(リメ)の折衷主義哲学を土台としていた。

 彼の宇宙論システム、あるいは神話学的構造は、仏教タントラのなかでもっとも複雑な体系であるカーラチャクラ・タントラ(時輪経)を基礎としていた。しかしテクストとして用いたのは、チベットの叙事詩であるリンのケサル王物語だった。

 ケサル王物語の土台をなしていたのは、内陸アジアのシャーマニズムとアニミズム的宗教をもとにした非仏教的な聖なる宗教構造だった。トゥルンパの社会宗教システムの「背景テクスト」は、ケサルの叙事詩だったのである。

 これはつまり、チベットの地域、すなわちカムとアムドの漢蔵走廊地帯(Sino-Tibetan marches)に、宗教と社会の関係の模範を見たということである。とくに彼は、遊牧民的戦士であるゴロクを取り上げ、彼らこそが叙事詩を伝播することによって、神秘的宗教である「大いなる完全」すなわちゾクチェンを創り出したというのである。

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