悪魔ジャランダルの物語における女神ラクシュミーの役割 

                                            宮本神酒男訳 

 

 むかしむかし、神々の首領インドラと聖なる祭司ブリハスパティはシャンカル神(シヴァ)のダルシャン(祝福)をもらうためにカイラース山へ行きました。彼らの知性を試そうと、シャンカル神は髭を生やした修行者に姿を変え、山の前に坐って待ちました。

山に近づいたとき、インドラは修行者を見かけたので、シャンカル神についてたずねたところ、修行者は何もこたえてくれません。それどころか見下したような態度で、お酒を飲んでいるのです。インドラは侮辱されたように感じたので、武器の雷で修行者に一撃を加えようとしました。しかしシャンカル神の神聖なる力によって、雷は鋭さを失い、何の害ももたらしませんでした。

それだけでシャンカラ神を怒らせるには十分でした。目には怒りの炎が燃え上がりました。その恐ろしい炎を目の当たりにして、聖なる祭司はそれがシャンカル神であることを悟りました。そしてインドラの無知について許しを請いました。シャンカル神は祭司ブリハスパティの謝罪を受け入れたのですが、眉間の第三の目から発せられる炎を消すことはできませんでした。

シャンカル神は炎を手に取り、それを乳の海に投げつけました。つぎの瞬間、炎は屈強な少年に姿を変えました。少年が大声で泣き始めると、すべての方向の守護神(ディクパーラ)をさまたげました。

守護神たちの求めに応じてやってきたのはブラフマー神でした。ブラフマーはこのおぞましい少年に近づき、抱き上げたのですが、少年の両手はブラフマーの首に食い込み、締め上げました。痛みがあまりにひどくて、こらえきれなくなったブラフマーの目からは涙がとめどなく出てきました。

この屈強な少年を見たブラフマーは、将来強大な悪魔の王になるだろうと予言しました。この少年にはジャランダルという名を与えました。彼はこの悪魔を殺すことができるのはシヴァ神だけであること、そして悪魔の妻はとても美しく、夫にたいして貞淑であるだろうと予言しました。

 少年は海に育まれ、成長すると、カリネーミという悪魔の娘であるヴリンダと結婚しました。このとき悪魔の祭司シュクラーチャリヤはジャランダルのすさまじいパワーに驚き、彼を悪魔の王に指名しました。

 ジャランダルが王朝を開くと、悪魔の祭司がやってきました。論議を交わしながらジャランダルはさまざまなことを学び、ヴィシュヌが他の神々に贈り物をして、うまくだまして海をかきまぜ、宝物を奪ったことを知りました。ジャランダルは腹を立て、ただちに最後通牒を持たせて、使者を神々のところへ行かせ、宝石を返すか、戦争をするかの二者選択を迫りました。神々は挑戦を受けて立ったので、彼らと悪魔との間に戦争が勃発したのです。

 サンジーヴァニ・ヴィディヤ(死者蘇りの術)を駆使したので、悪魔の祭司は死者を蘇らすことができました。しかし神々は死なず、それどころか、次第に自分が劣勢に追い込まれていることに気づいたジャランダルは祭司に理由をたずねました。

「サンジーヴァニ・ヴィディヤはおまえしか知らないはずなのに、どうやって神々は蘇ることができるのだ?」

「彼らの祭司ブリハスパティはドロナギリの丘に生える特別な薬草を知っています。この薬草もおなじように死者を蘇らせることができるのです。あなたがこのドロナギリの丘を海に投げ捨てれば、勝利を手にすることができるでしょう」

 ジャランダルはすぐにヒマラヤへ行き、素手でこの丘を持ち上げ、海に投げ込みました。神々の蘇生薬が著しく減少したので、生き返ることのできない神々が増えてきました。ジャランダルはそうしてついに都のアマラヴァティを占拠し、神々を駆逐したのです。戦いに敗れた傷心の神々はヒマラヤの洞窟に避難しました。

しかしインドラはふたたび悪魔と戦うため、勢力を結集しました。軍隊を再度整えたインドラは、どういう作戦をとるべきか、ヴィシュヌにアドバイスを求めました。

 ヴィシュヌは多いなる苦境のなかにありました。というのも海から生まれた悪魔ジャランダルは、愛する妻ラクシュミーの兄弟であり、つまり自分にとって義兄弟だったのです。ヴィシュヌはラクシュミーから「兄を殺さないで」と言われていました。インドラがアドバイスを求めてきたときも、どこか焦点がぼけた返事しかできなかったのです。悪魔と戦うにおいても、殺さないようにと言う始末です。

 神々はふたたび悪魔にたいして総攻撃を仕掛けました。ヴィシュヌは後方から神軍を指揮しました。しかし魔軍が勇敢に戦ってきたので、インドラは退却の命令を出さざるをえませんでした。それからヴィシュヌがガルダに乗って前線にやってくると、ジャランダルと出くわしました。恐ろしい顔をしたジャランダルは、雨のような無数の鋭い矢を体全体にまとっていました。

そこでヴィシュヌは好きな武器であるチャクラ・スダルシャンを使い、ジャランダルを取り巻くすべての矢を叩き落としました。そしてふたりはいままでの倍の力を出して戦い始めました。ジャランダルは激しく、勇猛果敢に戦いを挑んできました。ヴィシュヌは彼の武勇ぶりをむしろ喜び、彼に融和を提案したほどです。ジャランダルはジャランダルで、ヴィシュヌがラクシュミーの夫であることを祭司から聞いていたので、義兄弟であることを知っていました。

「おお、神よ。あなたは義兄弟であり、賞賛すべきおかただ。あなたには戦いをやめ、私からの招待を受け入れてくれることを望む。数日間、あなたの妻でありわが妹であるラクシュミーとともに、わが王国でくつろいでいただきたい」

「そういたしましょう」とヴィシュヌはほほえみを浮かべながらこたえた。

 しばらくのち、ヴィシュヌは妻ラクシュミーとともに出発し、ジャランダルの国の都に到着しました。ジャランダルはとても親切で、妹と義兄弟をよくもてなしました。ヴィシュヌのこの訪問は敵に征服されるという意味もありました。ジャランダルは慈悲の心をもって、公明正大に国を治めはじめました。ヴィシュヌ神の感化を受けた彼には思いやりの心が生まれ、三人の最高神(ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ)を崇拝するようになったのです。とくに神、悪魔分け隔てなく平等に扱ってくれるシヴァ神を篤く信仰するようになりました。

 神々は彼らのリーダーが敵に屈服したと思って仰天しました。彼らは女神ラクシュミーの妨害もあって、ヴィシュヌ神に近づくことさえできません。ついにフラストレーションがたまった神々はカイラース山へ行き、シヴァ神に会って苦境を訴えました。シヴァ自身は神々を助けたかったのですが、ジャランダルには敵意というものが見当たらなかったのです。

ジャランダルの熱心な信仰の影響はシヴァの近くにまで及んできました。シヴァ神は次第に気持ちをやわらげていきました。ジャランダルはそうやって神々を情けない状態に置いたので、神々は無力感を覚えました。そこで彼らはシャンカル神に祈りを捧げ、ジャランダルと戦ってくれるよう頼みましたが、願いは受け入れられませんでした。

 そのため彼らは聖者ナーラダに助けを求めました。ナーラダはふたりの友人の間にさえ意見の不一致を起こさせる(仲違いさせる)名人でした。ナーラダは彼らの話を聞いて、すぐにシャンカル神がジャランダルに敵意を抱くようにさせると約束しました。

 ある日ジャランダルが庭でくつろいでいると、聖者ナーラダがやってきました。ナーラダはヴィシュヌ神から恩寵をもらっていたので、この宇宙ではどこでも行くことができるのです。ジャランダルは聖者の足を洗い、最良の食べ物を捧げて、うやうやしく迎えました。そして聖者にたずねました。

「おお聖者よ、いかなる理由があってわが都にやってこられたのでしょうか。ここに来ること自体が目的であるなら、それは名誉なことです。しかしもし何か忠告するためにやってきたのなら、なにとぞ包み隠さずおっしゃってください。あるいはなにかが必要なら、おっしゃっていただけばすぐに用意いたします」

 ナーラダはこたえた。

「王様、私は何もいりません。私はあなたの王国が賞賛されているのを聞いたので、一度来てみたかったのです。あなたはなんでもお持ちです。あなたの宝庫は宝でいっぱいですし、美しい王妃は貞淑で、人民もまた忠実です。こういったことが本当にそうなのか、この目でたしかめてみたかったのです」

「ではこの国にないものをひとつでも発見できたかね」と、ジャランダルは傲慢な言い方をしました。この瞬間をナーラダは待っていたのです。傲慢にふるまいはじめたときこそ、邪悪な力が人を支配し、心を混乱させるときなのです。

「いえいえ、ないものなどございません」とナラドは外面を取り繕って言いました。「しかし国王の栄華というものは、勇猛な軍隊や富だけではかれるものではありません。古代の人々は、国王が何人の美女を持っているかでその偉大さを知りました。国王、あなたさまは美女をそれほど多く持っておられません。それに際立った美女も持っておられません。何人かの絶世の美女を宮廷に持つべきです。ないものがあるとするなら、それは美女なのです」

「だがどうやって美女を手に入れればいいのだ? 知っているかぎりの美女はすべてわがハーレムにいるぞ」

「いえ」とナーラダは語気を強めて言いました。「たったひとりだれにも負けない美女がいます。シヴァ神が所有する美女です。その名はパールヴァティー。じつは私、シヴァ神の領域から来ましたので」

 これを聞いたジャランダルはさっそく使者をカイラースに送り、パールヴァティーを欲する旨を伝えました。しかしこのメッセージは、シャンカル神(シヴァ)の怒りに火を注ぐことになったのです。シヴァに拒絶されたので、悪魔は激しい攻撃を加え始めました。ナーラダは自分の頭が汚染されてしまったため、自分が崇拝していたまさにその神にたいして攻撃することになってしまったのです。長い戦いのすえ、悪魔の首はシヴァの三叉鉾によって切られてしまいました。悪魔はそのパワーを妻の貞淑と忠実なふるまいから得ていたので、シヴァはヴィシュヌに彼女の貞淑さを奪わせました。このときにようやく神々にはむかう悪魔は殺されたのでした。

 勝利のあと、シヴァ神は言いました。

「何かに身も心も奪われると、それは混乱と破滅に導くというのに、脱するのはむつかしい。ヴィシュヌ神でさえだまされてしまったのだ。妻ラクシュミーに夢中になるあまり、神々を見捨ててしまいそうになったのだから」

「しかし神よ」とインドラはたずねました。「これ以前にヴィシュヌがだれかに夢中になったといった話を聞いたことがありません。どうして今回はこういうことになったのでしょうか」

「こうなったのは」とシヴァ。「わずかな間、冷淡であったラクシュミーに、かっとなって呪いをかけ、雌馬にしてしまったからである。何かに没頭しすぎると、人はバランスを失い、限界を超えてしまうのだよ」

 このときヴィシュヌもやってきて、こう言いました。

「シヴァが言ったことはまさにそのとおりだね。私はバランスを失い、ひとつの考えに偏ってしまった。私がこのようになるくらいだから、ほかの神々や人間がおなじような経験をしても驚くべきことではない。つぎにこの世界に生まれるとき、私はこの心の弱さをいかに克服するか説明したい」

 ヴィシュヌは実際クリシュナ神として生まれ変わり、「ギータ」を通じてこのメッセージを伝えました。