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イ族は共産中国になるまでずっと、ロロという名称で呼ばれてきた。虎人という意味である。漢族を含む周辺の民族からすれば、彼らは虎人のイメージ通りの、屈強で勇猛で、ちょっぴり強面な民族だった。
であるならばどこのイ族も虎祭りを行っていてもおかしくないが、なぜかこの麦地沖村だけが行っているのだ。虎は彼らの守護神であり、祖先神である。おそらくこれほどの強力な虎神はほかのイ族には見られなかったということだろう。
村の入り口には虎が顕現したかのような自然の岩がある。そんな形をした聖なるものがあらわれるほど、この地には虎の霊力がみなぎっているのだ。
虎祭りが行われるのは、農暦(旧暦)の正月8日から15日にかけてである。2011年は2月10日から17日(水)ということになる。ただ近年は短縮して最後の二日間にまとめて行っているようだ。
謎めいているのは、虎祭りの前、12月の晦日までの二日間と正月の三日間、猫祭りを行っていることだ。村民の一部は苗(ミャオ)氏という姓を持ち、虎祭りでも8人の虎に猫として夫婦の苗氏が混じっていた。私は村人の家の中で猫の絵を発見した。家の主人によれば、猫祭りのときには絵に酒などを献じたという。ミャオ(苗)というのは猫の鳴き声から来ているのはあきらかで、日本ならニャア氏といったところ。
猫は虎神の使いだったのではなかろうか。実際、虎が絶滅してから相当の時間が流れ、だれも実物の虎など見たこともなかった。猫だけが虎の姿を伝えていると古人は考えたのかもしれない。
初日の朝、人々は森の中の土主廟のあったところに行く。そこに松の枝を積んで「天」「地」「人」を表わし、祭壇を作る。そこでドシ(祭司)が請神文をよみながら占いをして、8人の虎を選定する。
彼らによって「八虎舞」が演じられる。文革などの長い中断があったためいくつか失われてしまったが、それでも十数種の演目が伝承されている。それは田植えや稲刈り、道の開拓、橋建設、巣作り、子作りといった生活や社会活動に関わるテーマである。虎があってこそ、われらの生活は順風満帆なのだということだろうか。
15日、猫夫婦を含む虎隊は家一軒一軒を回る。そのこと自体が清めであり、災いを防ぐという。家は猫のために肉とお金と米を盆にのせて待つ。虎は家の入り口でドシ(祭司)に取り押さえられる。虎はj神といっても、場合によっては災いをもたらすのである。
夜になると広場にかがり火を焚き、そのまわりでさまざまな舞いを披露する。最後に彼らは火を持って虎の岩まで行進すし、終了。
祭りをすべて見て感じたのは、虎たち、あるいは村人たちがおどろくほどエネルギッシュであることだ。虎に扮することは、虎のエネルギーをもらうということなのだ。村が山の斜面にあるので、上ったり下ったりするとひどく疲れるが、その疲労もまた心地よくなっていくのが不思議だった。