神話の語り部たるシャーマン

ヒマラヤの森の民リンブー宗教民俗誌

イントロダクション

 ネパール東部からシッキムにかけてのヒマラヤ南面を主な居住区とするリンブー(Limbu)は、約25万人の人口を擁するチベット・ビルマ語族である。おなじ系統のライ(Rai)とともに古代キラータ(Kirataの名はヤジュル・ヴェーダに早くも見出される)の末裔とみなされる。古代の文献にはキラータ人は穴居人、あるいは山麓の薬草採りとして描かれるが、次第にネパール東部のモンゴロイドを指すようになった。

 言語からみると、四川、雲南、ミャンマー北部、インド東北部のチベット周縁に分布するチベット・ビルマ語族ととくに緊密な関係にあることが明瞭に見て取れる。たとえばつぎのようにチベット・ビルマ語族の語彙のなかに近似するものを簡単に見出すことができる。

「目」ミmi (チベット語mi モンパ語me
「鼻」ネブnebu (ロパ語napum イ語nabi
「耳」ネパnepa (イ語napo リス語napo
「口」ムラmula (リス語mulu ハニ語melu イ語melaは唇
「頭」テゲtege (ギャロン語tako taは接頭詞 チベット語ko
「空」ナムnam (チベット語nam モンパ語nam
「月」ラブlabu (イ語labo チベット文語zlaba
「火」ミmi (チベット語me ナシ語mi
「水」チャcha (チベット語chu プミtsha

 以上は恣意的に選んだものにすぎないが、国境に隔てられているためまったく別の民族のように見えても、じつは同系統の、おそらくこの2、3千年に枝分かれした民族群であることがわかるだろう。

 族称にも注意を払いたい。リンブーはli(弓?)とbu(人)が結合し、limbuと変化したと考えられる。雲南のリス族、白族の一部はLebuという族称をもっている。この類似を偶然ですませることができるだろうか。

 つぎに重要な特質として、骨と肉の概念を挙げたい。親族体系が父方=骨と母方=肉に二分されるというチベット・ビルマ語族に顕著な概念(チベット人は父方=骨rus 母方=肉sha、ナシ族は父方=骨o 母方=肉na)がリンブー族にも見られるのである。リンブー族は父方=骨(ロンシ rongsi)、母方=肉(ケビクマ kebikma)と呼ぶ。

 私がもっとも強調したいのは、リンブーのシャーマン、とくにサンバ(Samba)と呼ばれるいわゆるシャーマン=プリーストが儀礼中によみあげるムンドゥン(神話・伝説)である。儀礼の過程のひとつひとつに厳密に対応した物語というよりも、その儀礼の由来に関連した物語であることが多い。それを物語ることで、浄化され、儀礼が成立する。近似した民族であるライ族やグルン族もそのような厖大な物語群をもち、儀礼のときにシャーマン=プリーストがそれらをよみあげる。ちなみにグルン族の物語群はペという。チベット人のペチャ(経典、本)のペと同源だろう。私にとって馴染み深いナシ族のトンバがよむトンバ経典もムンドゥンやペと同類である。シャーマンの活動が芸能の発生と関係あるように、シャーマン=プリーストがよむ物語は、文学の発生とおおいに関係あるということがいえるだろう。

 リンブーのムンドゥンのなかには、祖先がシナ・チベット方面(シニュク・ムデン)から来たことを物語っているものがある。東からの断続的な流入が先住民と混じり、リンブーが形成されたことがわかる。

 しかしその民族移動は考えられるよりはるかに昔のことであったにちがいない。伝承によれば、カトマンズ盆地は2世紀までの千数百年にわたり、32代のキラータ王が統治してきたという。それにとってかわったリッチャヴィ(Licchavi)もアーリア化したキラータとする説が有力である。

 7世紀後半、ラソ・モン率いる吐蕃(チベット)軍が現在の東ネパール、シッキムを攻撃し、ジャナパダ(小共和国)を建設した。その12年後、リッチャヴィ王軍とシッキム・レプチャ軍、現地キラータ(リンブーとライ)軍の連合軍はチベット軍を撃破し、領地を取り戻した。このときリ(li 弓)を用いて戦争に勝ったことからリンブーと呼ばれるようになったという。なお、(チベット・ビルマ語族の)モンパやカチンなども弓をリと呼ぶが、リス族はツェツと呼ぶ。

 イマン・シン・チェムジョンによると、リンブーは7世紀以前にミャンマー北部から東ネパールに入ったシャン・マクワン部族の一支である可能性が高いという。7世紀中葉にはムンマオロン率いるセン・マクワン部族がリンブーの地域に侵攻し、ロンリに城を築いた。その地はマオロン(モラン)と呼ばれるようになった。しかしリンブーの抵抗にあい、ムンマオロンはチベットに逃れた。ほどなくしてチベットのソンツェン・ガムポ王の助力を得て、もとの地位に返り咲くことができた。ソンツェン・ガムポ王もまたカムパジョンに夏の宮殿を、サングリに冬の宮殿を築いた。

 その二百年後にラサからウバハン(在位849−865)がやってきてリンブーの地域を統治し、あとを継いだ息子のマブハン(在位865−882)はユマ信仰を広めたという。そしてシリジョンガ・ハン(在位880−915)はキラート文字を創出し、教育改革、社会改革を推し進めた。

 

宗教

 以上の歴史概要からもうかがえるように、リンブーはたんにチベット・ビルマ語族というだけでなく、チベットからダイレクトに影響を受けている。にもかかわらず、グルンやタマン、ライと異なり、チベット仏教が根付いた形跡は見られない。ヒンドゥー教も近年影響を与えているものの、深く浸透しているわけではない。リンブーの宗教はいわばシャーマニズムを機軸とし、自然崇拝から複雑な体系を作り上げた高度なアニミズムなのである。

 ネパールの他民族のジャーンクリ(シャーマン)と比べた場合、リンブーのシャーマンは上述のようにムンドゥン(神話・伝説)を重んじるという点で際立っている。リンブー社会ではシャーマンはたんに神と交信するだけでは認められない。どれだけ神話・伝説が語られるかが評価のポイントなのだ。この常軌を逸するほどの神話重視がリンブーの宗教および文化を実り豊かなものにしてきた。

 宗教を担うのは、ペダンマ(Phedangma)サンバ(Samba)イェバ(Yeba、女性はイェマ)オンシ(Ongsi)ユマ(Yuma)マンバ(Mangba)などと呼ばれるプリースト、シャーマンたちである。前から順に古く、地位が高いとされる。ペダンマ以外のシャーマン的傾向の強い人々をビジュワ(Bijuwa ネパール語)と総称することもある。リンブーにかぎらずチベット・ビルマ語族の宗教職能者はプリーストとシャーマンに分化されるデュアリズム(二分化)の傾向が強い。

<ペダンマ>
 ペダンマはプリースト的な面が濃厚。誕生、結婚、死、祖霊信仰、地方神信仰、農業暦など生活に密着した儀礼に関わる。サンバやイェバとちがい、羽根の頭飾りなどいかにもシャーマンといったいでたちはなく、見かけは一般人と区別されない。しかし彼らのもっとも重要な役割はプシュケポムポス(魂の導き手)であり、その点ではシャーマン以外のなにものでもない。たとえば異常死者の魂がソガ(悪霊)になり、現世界に害をもたらしているとすると、それを除き、死者の世界へ送ってやるのは、シャーマンらしい役割だといえる。フィリップ・サガンによると、ペダンマには激しいトランスはないが、居眠りするかのような静かな意識状態で魂の旅をし、テバ・サム(Theba Sam 祖霊)の城に侵入して囚われている病人の魂を取り戻す。このマジカル・フライトはシベリアなどでよく見られる典型的なシャーマンの技能である。

<サンバ>
 儀式に通じていることはペダンマに近く、ときおり激しいトランス状態に陥るのはイェバに近い。しかしサンバがサンバたるゆえんは、厖大なムンドゥン(神話・伝説)を記憶保持し、儀礼中の適切な時に適切なムンドゥンを歌うことができる点にある。サンバという特異な存在によって、リンブーは知識、経験、知恵をたくわえ、代々伝えることができたのである。ムンドゥンの伝承によると、人類の始祖である半神ソドゥン・レプムハンがおのれの子孫を無秩序、苦悩、災害、病気から守るためサンバを送ったのだという。

<イェバ(女性形イェマ)>
 イェバ(イェマ)は激しいトランスに陥るのを特徴とするが、ムンドゥンのレパートリーは少ない。はじめてソガ(異常死者の化した悪霊)やソグット(出産時に死亡した女性の化した悪霊)を駆逐したのはイェブム・イェバとイェブン・イェマだという。この伝説からも、イェバ(イェマ)が得意なのは悪霊を祓うエクソシズムであることがわかる。羽毛を挿した頭飾り、両面太鼓、トランス、マジカル・フライトなど、多くの点でシベリア型の古典的なシャーマニズムと共通している。イェバ(イェマ)はシャーマンになるとき森に入ることが多く、これもシベリア型シャーマニズムによく見られる。P・サガンはダン・ルプというイェバの事例を挙げている。

 ダン・ルプは10歳の頃、バン・ジャーンクリ(シャーマンの守護霊。森の精霊タンブンマの化身)の太鼓の音を聞き、いざなわれるように深夜、森の奥へと入っていった。翌日戻ってきたが、憑依状態にあり、真鍮のプレートを叩きながら踊った。そんなことが4、5回起こった。17歳の頃、彼はまた森の中に入った。すると巨大な顔、目玉の妖怪が身の毛のよだつ音をたてながら襲いかかってきた。彼はバン・ジャーンクリに助けられ、さらに森の奥へと入っていった。そこで彼は服を脱ぎ捨て、素っ裸になった。人間のすがたをしたバン・ジャーンクリは彼に踊り方や歌い方を教えた。しかし探しに来た村のおとなたちに発見され、村に連れ戻された。そして五日間、ペダンマたちによってマン・ポクマ儀式が行われ、最後にペダンマが彼の耳に魂を吹き込むと、少年は正常に戻った。

 シベリアにかぎらずあらゆるところで見られるが、シャーマン候補の少年はシャーマニック・シックネスとでもいうべき精神的危機状態に陥る。危機状態ではあるが、精霊や悪霊などと通じ、それらをコントロールする能力も身につけるのである。しかしグルのような存在によっていわばイニシエーション儀礼が行われ、正常な状態にもどされないかぎり、精神病患者の烙印を押されてしまう。

 私にとって馴染み深い実例を参考に挙げたい。チベット・アムド地方のレコンでは、ハワ(lha pa 直訳すれば神人。シャーマン)が必要になると、若者全員をお堂に集め、経典をよませる。一週間から10日すると数人の神がかりが出てくる。そのなかから活仏は神の選んだシャーマン候補を探し出し、ツァゴチェというイニシエーション儀礼を施すのである。それ以外の者は神ではなく魔物が憑いたと目されるのだ。

<オンシ>
 オンシはシャーマンというより洞窟で修行する隠者といったほうがいいかもしれない。知識を集積し、サンバやラマと似ているといわれるが、現在その数は少なく、実態はあまりわかっていない。魂の飛翔を行うが、それは天上へ向かうのではなく、地下世界へ向かう旅なのだという。

<ユマ>
 女神ユマが憑依するシャーマンをユマという。女神ユマを絶対視する。なぜかユマにはリンブーではなく、他民族、とくにライ族が多い。

<マンバ>
 カンブー・ランド(ライ族の土地)から来たシャーマン。ソガ、スグット、サシク(死産児の化した悪霊)の祓いを専門とする。


死生観

 リンブーには浄土、あるいは楽園のようなサンラム・ペダン・デン(Sangram pedang den)という場所がある。ここには太陽も月も星もないが光に満ち溢れていて、活気のある、女神タゲラ・ニンワプマが住む聖なる国である。そこは不死の神々、魂のみが永遠の住処とする理想郷だ。しかし生前、善行をおこなった者のみがそこへ行くことができる。

 ほとんどの死者の魂はムダン・カラ・デン(Mudhan khara den)に送られ、判官(スヨ・ケヨ Suyo kheyo)によって生前のおこないが審議される。判決の出る日まで彼らは祖先の地(サム・ユクナ・デン)で待たされる。

 記録係の運命神センディゲ・ペケサッパ・マン(Sendige pekesappa mang)は人間の行為記録をパスティ・マンに渡し、パスティ・マンが判決を下す。

 それによってある魂は地上に降下し、胎生の、あるいは卵生の生物の子宮に入ったり、動く、あるいは動かない生物の生命に宿ったり、場合によっては無機物に生まれ変わったりする。

 ある者は深い悪行のゆえに地獄ケマ・ヤンサン・パンベ(Khema yangsang panbhe)に送られることになる。

 極悪人はエーテルのような姿でこの世をさ迷い歩き、人々に危害を加える。しかしハハ・マン、ハス・マン、ハベ・マン、ハドク・マンといった残酷で恐ろしい神に捕えられ、結局は地獄ケマ・ヤンサン・パンベに送られることになる。そこで極悪人は厳しい懲罰を受けることになる。それでも懲役を終えると最後には許され、生まれ変わることができる。

 リンブーの死生観は、「悪人なおもて往生をとぐ」のような救いがあり、悪人だからといって突き放さないやさしさがある。


神と精霊のパンテオン

 サンバやイェバの伝えるムンドゥン(神話・伝説)にはさまざまな神や精霊、悪霊が登場し、複雑なパンテオンを形成している。それらの多くは森や山、湖などあらゆるところにいるアニミズム的な存在であり、リンブーにとってこれらはきわめて身近である。しかし以下に示すように、概念や感情など抽象的なものが神や精霊の姿を取ることも少なくない。リンブーの宗教はけっして原始宗教ではなく、複雑な体系を成した高度な宗教なのである。上述のように、9世紀の王マブハンの治世のもとでユマ信仰が広まり、それにつれて宗教概念もまた発展したのではなかろうか。

 彼らによれば世界に出現した順序は、マン(神)→カムボンバ・ルンボンバ(大地の子孫。先住民)→サンマン(半神)→人類→シレ(Sire 精霊)である。

 

<神 マン Mang

真空の神 Attiya mang ? Musunne mang

這う神 Mu unga mang ? Khaung mang

無脚で動く神 Lang membat mang ? Lang thutti mang

八脚・八個名の神あるいは女神 Sawara yettungek mang

無手器用神 Hukmembat mang ? Hukhutti mang

光と輝きの神 Allapi mang ? Jallapi mang

大股で歩き補う神 Upangek mang ? Prapangek mang

無限と永遠の神 Achuni mang ? Allekha mang

糸の姿の神 Khijora menjora mang

網状に拡がる神 Ijambo mang ? Idakha mang

土捏ねの神 Khambudak mang ? Ijambo mang

埃と霧の神 Tung hikke mang ? Pang hikke mang

八頭神 Sawara yetthegek mang

白いたまごの姿の神 Wadhinlung mang ? Phaphalung mang

恩恵を授ける神 Changhima mang ? Thobuma mang

天と地獄の創造神 Muroklung mang ? Kheroklung mang

創造神 Mujoklung mubokwama mang

敵を破壊する神々 Thiksumbha ? Nisumbha ? Sumsumbha ? Lisumbha mang

北、南、東、西の神 Thanget mang ? Langet mang ? Namget mang ? Namdha mang

手を忙しく使い足で忙しく歩く神々 Huktrakek Langtrakek mang

死の神 Paoti mang

死の女神 Laoti phungpha hangma mang

孤児神 Chungchi hangba yechacha hangba mang

畏怖させ戦慄させる神 Nenthakkum mang ? Imetang mang

(人類を造った)聖なる火(太陽)の神 Prokmi yambhami mang

偏在する全知全能の神 Tagera ningwaphu mang

*以下、聖なる火の神を補佐する神々

月と太陽の創造神 Kunuso chayetso mang

穀物創造神 Uttandi Pattandi mang

瞑想神 Sambang kepma toklama mang

発展神 Chakchakke yangyange mang

樹木と岩の神々 Sing mang ? Lung mang

運命と宿命の神 Nawalung mang ? Chosaplung mang

炉の神 Thappura theyonge mang

魂を調整する神 Mataso imetso mang

八つあるいは三つの川が交わる所の神、女神 Yetchiri yet ado mang ? Sumjiri sum ado mang

三つあるいは四つの道が交わる所の神、女神 Nawara sumlammu mang ? Nawara lilammu mang

33神を造った神 Pajo mang

悪魔を造った神Phoktang mang

水の神、女神を造った神 Susumbu mang

星を造った神 Wesumbu mang

いくつかの精霊を造った神 Bebesong mang

太陽、月、大陸、大洋、空気、雨、鉱物、貴金属、亀や魚など水中生物、鳥や虫、大型動物など陸上の生物、死と破壊の神々を造った神 Benam song mang ? Belasong mang ? Kumpha mang ? Metha mang ? Beli mang ? Lokpha mang ? Rupi mang ? Paoti mang

 

<精霊 サンマン Sammang

 サンマンはサム(sam 魂)とマン(mang 神)の合成語。崇拝されるサンマンもあれば、恐れられるサンマンもある、いいかえれば善悪を超えた存在ということだ。サンマンはマン以上に身近であり、暮らしのなかに溶け込んでいる。とくにユマ・サンマン(女神)は仏教の観音やターラー女神のように慈悲深く、広く愛される神である。サンマンの起源についてはいくつかの説がムンドゥンのなかで語られている。

1)創造神が人間を創るとき、使わなかったさまざまな貴金属を捨てた。それらがサンマンになった。

2)かつて七つの太陽があり、そのため地上は灼熱地獄のように暑かった。そこへヤマアラシが現れ、七つの太陽を射止めた。太陽の血からサンマンが生じた。

3)創造神ポロクミ・ヤンバミが石を空中に投げると、それは割れ、破片がサンマンになった。

 

ユマ・サンマン(Yuma Sammang)厳しくも慈悲深い女神

 ユマ・サンマンはタゲラ・ニンワプマ(遍在する全知全能の神)の化身とされ、したがって非―時間性、無限性、永遠性、偏在性を体現している。ユマはまた八つの名前をもつ。すなわち、原始の岩とヤマの創造者、大地と空の女主人、栄養と暑さと寒さの女神、住居の女主人、内世界の原初の女神、カラフルな女神、恩恵の女神、偏在する全知全能の女神である。

ユマのムンドゥンにはさまざまなものがあるが、移動経路に関してはおおよそ一致する。

 

 ユマは遠い過去、社会が混乱し腐敗堕落した時勢に闇の中に輝く光のごとくあらわれた。ユマは御供や信者、家畜などを伴い、シニュク(Sinyuk 中国)を出発しムデン(チベット)へ向かった。彼らは障害となる山々を破壊しながらひたすら南へ進んだ。彼らの一部はサンマンであり、一部は人間だった。サンマンのなかにはカンチェンジュンガなどの高峰の頂に安住の地を得た者があった。ユマはよりいい場所を探しながら旅をつづけ、そのあいだも文明を広めていった。ユマは八つの川が交わる所に着き、祓いきよめの儀式をおこなった。ユマは南方の平原を歩き回り、そこで何人かの姉妹を造って自然や生物の世話を担当させた。最後に七つの川の交わる所に行き着いた。

 

 このように神話のなかに民族の移動経路があらわれるのはきわめて興味深い。中国西南のナシ族、イ族、ハニ族をはじめ多くのチベット・ビルマ語族が送魂路(指路経、開路経などと呼ばれる)を持っていることが思い浮かぶだろう。

 これが民族の移動経路だとすると、リンブーは中国(シニュク)から来たということになる。しかしその場合の中国(シニュク)とはどこを指すのだろうか。中原ではなく、中国西南、あるいはチベット・ビルマ語族のふるさとともいえる青海や甘粛のあたりを指すのかもしれない。

 ムデン(チベット)もまたラサを指すとはかぎらない。ムデンがムの国だとすると、モソ(モはムとおそらく同じで天の意)の地、すなわち四川西南部を指すのかもしれない。中国には、敦煌文書に出てくるムの国がチベット東南部に所在すると考える学者がすくなからずいるのである。

 ユマはひとが病気になったり、苦悩したり、困難に直面したときなどに呼ばれる。収穫の前には作物を、豚を殺す前には豚肉を捧げなければならない。供え物を欠かさなければ、ユマは人々を守ってくれる。

 ユマはペダンマ、サンバ、イェマなどを通じて託宣をのべる。その教えは生活のすみずみにわたる倫理規定や規律のような性格をもっている。


「ユマの戒律」は以下のごとく。

 人は生きるものすべてにたいしやさしくなければならない。仲間を愛さなければならない。助けてくれる人に感謝しなければならない。他人を嫉妬してはならない。神(マン)を父として母として崇めよ。清らかな心で行動せよ。盗み、略奪、唆し、口論、喧嘩、殺人、嘘つき、中傷、陰口などをしてはならない。傲慢、強欲、放蕩であってはならない。孤児や貧者、寡婦を世話せよ。近親相姦をしてはならない。罪深い行為をしてはならない。

 叡智、あるいは知識を持たなければならない。善なる心でなされたことは実を結び、枯れることはない。いっぽう愚かさは災いと破滅をもたらすだろう。人は単純で誠実な生活を送らなければならない。そうすれば幸福と繁栄が約束される。だがあしき人々の上には苦悩と困難、死と病とが降りかかるだろう。彼らは訴えられ、富と財産は潰えてしまうかもしれない。知識と叡智のみが人類を改善し、自然環境を整え、人々を啓蒙することができる。それらを得る努力を怠れば傲慢、欺瞞、利己主義が生まれ、金、力、名声、健康を失うことになるだろう。

 ユマの戒律は、微に入り細を穿ったモラルの戒律である。ユマはその語源がチベット語のユム(yum 母)と関連し、母性を感じさせる女神だが、一方で、ああしろ、こうしろと口うるさい面も持ち合わせている。信仰者には善男善女であることを求めているのである。


ナハンマ(Nahangma)戦いの女神

  ユマ信仰がリンブー社会を席捲する以前から信仰されていた戦神。

一年に二度、乾季のはじめ(11月頃)と雨季のはじめ(3月頃)に一家の主人(トゥミア・ハン)はナハンマに祈りと犠牲(ニワトリ)を捧げる儀式をおこなう。するとナハンマはかれらに魂の活力(ムックマ・サム)を授けるのだという。この儀式のとき、あわせてマンゲンナ(妹の意。活力の女神)を祀る儀式もおこなわれる。

  ナハンマの起源を語るムンドゥンはとても長いが、まとめるとつぎのようになる。

   高い地に住むストチュル・スハンペバ()と低い地に住むテトララ・ラハドンナ()は、同族であることを知らずに結婚してしまう。あるときラハドンナに叩かれ、恨みに思った雌の飼い犬が、天界に近親結婚[1]のことを告げ口すると、神々はふたりを離縁させる裁決を下した。かれらの17人の子供は金銀でできた篩(ふるい)にかけて分けることになった。8人の子供は篩を通ったので、母(ラハドンナ)とともに残ってサワ・イェタン(リンブー)になった。ほかの八人は通らなかったので、父(スハンペバ)とともに北方(天)へむかった。残るひとりは途中で引っかかってしまい、双方から引っ張ったため、裂かれてしまった。この子供[2]、サメトゥム・ヤプメトゥムは偉大なるシレ(後述。力の精霊)となり、のちシャーマンの守護霊となった。そのからだの一部は地上に落下し、ソガ(変死者の霊)、スグット(出産時に死んだ女の霊)を宿す樹木になった。8人と裂かれた子供は父とともに天へ上ったが、かれらはサンバになったという。

  さて創造神ポロクミ・ヤンバミは地上の日照りを気にしながらも、石投げ遊びに興じていた。投げた石(パクルムpaklum)が水甕に当たり、水しぶきが雲になると、雨が生じ、大地が濡れると植物や穀物が育ちはじめた。もう一度石を投げると、それは四つに割れた。東の破片は力の神々のパクルムに、西の破片は異常死の悪霊のパクルムに、南の破片は呪われた霊のパクルムになった。北の破片はソドゥン・レプムハンが拾い、ふたたび投げるとサワ・イェタンに落ちた。それからこの地に病気と災害が起こるようになった。かれらはタゲラ・ニンワプマ女神に相談し、女神が紹介したイェッチャンバというペダンマによって、パクルムが神であり、きちんと供養すれば[3]、太陽と月の力の源泉のシンボルであり、粗末に扱えば、病気と嫉妬と怒りの前兆となることがわかった。そこでかれらが丁寧に祀ると、それはトゥミャン・パクルム、ナハンマ・サム、チョトルン(力、栄誉、発展のシンボル)になった。 

話の筋のつながりがみえにくいが、前半部はサンバの由来を語っている。篩に引っかかった子供はどうやら天の性質と地上の性質を兼ね備えているので、天地を往来する精霊になったらしい。だからシャーマンたるサンバもこの精霊を使って天地の橋渡し役ができるのだ。

後半部は創世神話(投石神話)にまで遡り、ナハンマの起源を語る。地上で日照りがつづいているのは、近親結婚による天罰なのかどうかはわからない。世界の多くの神話では、兄妹の近親相姦によって大洪水が発生するが、旱魃というのはあまり聞かない。(射日神話はリンブーにもある。6ページ)

  この四つに割れた石はわざわいの石である。そのなかからナハンマは生まれたのだから、本来は厳しく、激しい存在なのだ。それを味方につければ、ナハンマは人間にとって心強い、ありがたい神となるだろう。

 

テバ・サンマン(Theba sammang)力の神

  テバは祖父、あるいは始祖を意味し、テバ・サンマンは力、エネルギー、活力の神とされる。リンブーのネムバン氏族の守護神である。ムンドゥンによると、テバは北方のパルン・マルン・テムベから、いくつもの川を渡り、森深い山を越え、ラビンジョン・ナムビンジョンを通って、ナムブン・ヤク・イドゥン・ヤクにたどりついた。そこでテバは、ネムバン氏族の先祖、チュクニバとラティバの仕掛けた罠に引っかかったふりをした。

  テバが真のすがたをあらわすと、かれらはその崇高さに圧倒され、守護神になってくれるよう願い出た。するとテバはふたりのからだに入りこんだ。そしてかれらの口を借りてしゃべりはじめ、人間たちに命じたり、鼓舞したりするようになったのである。

  テバは背が高く、力強く、偉大なる戦士にして腕のいいハンターである。

  呼ぶときには、ブタかオンドリが供物として捧げられる。

 

カッポバ・サンマン(Kappoba sammang)繁栄の神

通常カッポバ(年老いた、の意)という略称で呼ばれるシンガラン・ヌカッポバSingarang nukappobaは、健康、幸福、繁栄の神である。

カッポバは、東方の神の国から旅をはじめた。シニュク・ムデン(シナ・チベット)に着いたとき、ラムディマLamudimaという女と結婚した。ふたりにはたくさんの小さな神々が生まれた。カッポバはさらに南にむかって旅をつづけ、ミヌ・テルジャン・テムベにたどりついた。そこで会ったセケレンバ・ケンケレンバは、カッポバにダンスを競いあおうと提案した。カッポバは羚羊ダンス、象ダンス、鹿ダンス、鳥ダンスなどを披露し、競争に勝った。セケレンバ・ケンケレンバは何も差し出すものがなかったので、仕方なく妹のタッペソ・ナウェンマを献上した。このふたりからもさまざまな神(蛇王も含む)が生まれた。

  それからカッポバはミヌ・クバク・テムベに行き、女と結婚した。ふたりからは十字路や岩、丘などの小さな神々が生まれた。またミヌ・シリン・チョプマでも結婚した。ふたりからはアヤソ・ドク・ハンマやサシク・ヤンダン・サマなどの神々が生まれた。ライク・カンブ・パンベでも結婚した。ふたりからはさまざまな小さな神々が生まれた。

  それからカッポバはサメンジャ・パンベ(肉を食べない土地)に行き、パワフルな神として崇められた。ネパール盆地ではビムセン神Bhimsen(財神)として崇拝された。しばらくして、カッポバは八つの川の交わる所に行って祓い浄め、またリンブーの地に戻ってきた。

  カッポバは、狩りに出かけようとしていたカルレレ・カンダンワに出会った。ふたりは意気投合し、カンダンワはカッポバにいつか遠慮なく我が家を訪ねてくるよう誘ったのである。しかしカッポバがじっさいに訪ねてきたとき、だれもかれがだれかわからず、もてなしもろくにしなかった。それでカッポバはカンダワの家族に病気と不具と精神異常をもたらした。かれらは原因がわからなかったので、タゲラ・ニンワプマ女神のところに行き、お伺いをたてた。女神はソドゥン・レプムハンのところへ行くよう命じた。ソドゥン・レプムハンはプンジリ・プンガッポ・ペダンマ(つまりプリーストであるペダンマ)を紹介した。ペダンマはわざわいがカッポバによって引き起こされたことを理解した。そしてはじめて祭壇が造られ、カッポバの魂は鎮撫された。それ以来、カッポバはかれらの守護神になったのである。

 

アクワナマ・サンマン(Akwanama sammang)童子の家神

  アクワナマは家神のなかでもっとも重要な神である。家の主柱に棲む。この神は家と家族を、虫や動物、落雷、地滑りから守るといわれる。

  アクワナマはもともとパジョイバ・テントゥムヤンバとルプリ・アダンハンマのあいだに生まれた子供だった。その祖父ソドゥン・レプムハンはかっとなって、庭で、玄関で、戸で、囲炉裏で、孫を殴り殺した。罪のない子供をあやめてしまったことを悔い、ソドゥン・レプムハンは子供を祀って家の守護霊とし、主柱に住まうようにした。

  アクワナマは元来亀の意味である。亀神は自然災害から人類を守ると信じられている。トンシン儀式のときにはサンバ、イェバの守護神ティブッコ・ティアンナマになるという。

  オアマOamaとも呼ばれる。オアマは主柱、炉にいる女の家神、かまど神。彼女がいなくなると、その家にはよからぬことが起こるという。ザシキワラシのようである。

 

ムデンバ・サンマン(Mudemba sammang)チベット人の神

  ムデンバとはチベット人のことにほかならない。ムデンバ・サンマンの出自は、人類の起源地マンジリ・マンゴンジャmangjiri mangonjyaであり、原初の女神サッタディン・パンゲン・ハンマの兄弟である。

  ムンドゥンによると、シニュク・ムデン(シナ・チベット)にいるころ、カンデン・ハンやヨンチェン・ハンなどに呼ばれ、のちススワ・リリム・ヤクトゥンハン(リンブー)に呼ばれることになった。レクワ・ハン村にいるころ、だれもムデンバの世話をしなかったので、かれはさまざまな災害をもたらした。かれらはタゲラ・ニンワフマに伺いをたてると、ソドゥン・レプムハンのところへ行くようすすめられ、さらにペダンマ・サプリンゲク・ワリンを紹介された。ペダンマは祭壇をつくってムデンバ・サンマンを慰撫し、それ以来リンブーの守護神となったのである。

 

サバ・サンマン(Saba sammang)猿神

  森の精霊。ムンドゥンによると、サバ(猿の意。イェチュチャワともいう)はソドゥン・レプムハンの息子である。生まれたとき、サバは神の姿でも、ひと、動物の姿でもなかったので、ソドゥン・レプムハンは雲のなかに捨てた。それでもサバが泣き喚くので、こんどは崖から投げ捨てた。ところが崖の下には水も食べ物もないのか、なお泣きやまないので、さすがにソドゥン・レプムハンはあわれに思ってサバをたずね、食べ物がふんだんにあるサワ・イェタンに行くとよかろうと助言した。

  ある日サバはサワ・イェタンを歩いていると、狩りに行こうとしていたヘンビャという青年に会った。友情のしるしにものを交換し、ヘンビャはサバに収穫のころ家に遊びにこないかと誘った。そして約束通り収穫期にやってきたのだが、ヘンビャはサバを覚えていなかった。そのためサバは数日間田んぼのなかをさまようはめになった。あるときサバは空腹を感じたので、ヘンビャの家に侵入し、大きな甕に貯えられていた発酵したシコクビエを食べた。ヘンビャの家族は畑仕事からもどってきて、雑穀がなくなっていることに気がついた。それで罠をしかけて犯人を捕まえることにしたのである。サバはまんまとひっかかってしまい、家族や応援にかけつけていた近所のひとびとに袋叩きにされた。かれらはサバを川に投げ込んだ。サバのからだは流されて、七つの川が交わる所の川辺に打ち上げられた。その腐りかけた、腐臭のするからだを見つけたブタ顔神(パクムラ)ら川の合流神たちは、サバを生き返らせて、なにが起こったのかたずねた。サバの話を聞いて、神々はもてなしをきちんとしなかったヘンビャがまちがっていたと結論を下し、サバを送り返し、サバが受けたのとおなじほどの苦しみをかれらに与えることにした。

  ヘンビャは突然原因不明の痛みをからだに感じたので、年老いたペダンマにたずねた。ペダンマはサバによって引き起こされたことを知り、果物と穀物を捧げて慰撫した。このとき以来、サバはサンマンになったのだった。

  サバは中風、関節痛、痙攣などを起こすと信じられている。

  三種類のサバがいるという。白いサバはおとなしいので、トウモロコシの芯を捧げれば十分だ。赤いサバはやや気性が荒いので、シコクビエ酒(トンバ)と骨を捧げるといい。黒いサバはもっともおそろしいので、高山にいる牛の頭を捧げなければならない。(現在は牛頭の供犠は容易ではないので、通例約束だけをしておいて、病死や事故死の牛が出たとき、その骨を捧げる)

  家のなかで何かの儀式をおこなうとき、道ふさぎ(ラム・サクマ)をしなければならない。サバが呪術を施すことがあるからだ。またユマの機嫌がわるいと、サバをよこすと信じられている。

 

メプラマ(Mephurama)まつろわぬ女神

  メプラマはもっともなだめるのがむつかしい女神といわれる。ムンドゥンによると、かつて、父親が求婚者にたいして提示する条件が厳しすぎたため、結婚できないアワラ・チャンキ・ハンマという名の美しい乙女がいた。絶望のあまり、乙女は西方の死者の国ケマ・ヤンサンに行った。8つの門を通り、乙女は死者の国の王ダム・ハンに会い、事の次第を打ち明けた。それを聞いた王は怒り狂い、父親や共犯者たちにむかって悪霊を放ったのだ。サワ・イェタン(リンブーの地)では日に7、8人も斃れるようになった。

  ひとびとはペダンマたちに、蔓延する悪疫をどうしたら防ぎ止めることができるかたずねたが、だれもこたえることができなかった。ようやくスダキュ・ケダキュ・ペダンマが原因を突き止めることができた。かれは老人のペダンマに経帷子を着せ、白いターバンを巻いて死人を装わせ、死者の国ケマ・ヤンサンに遣った。

  老ペダンマが8つの門を通って王の部屋にはいると、王ダム・ハンの隣りに乙女アワラ・チャンキ・ハンマが坐っていた。老ペダンマがダム・ハンに子牛を捧げ、悪霊を放たないように祈ると、ダム・ハンは満足し、アワラ・チャンキ・ハンマ(いまやメプラマとよばれる)にむかって永遠の平穏を保証し、なだめたのである。

  こうして老ペダンマは使命をまっとうした。しかし、とリンブーのひとびとは考える、ひとは死者の国ケマ・ヤンサンに行くことはできるが、帰ってくるのはむつかしいと。だからこそ老いたペダンマを選ぶのだと。今日では、メプラマをなだめるのにペダンマはケマ・ヤンサンの正門の前までしか行かず、そこで動物の頭部か血を捧げるだけである。

 

チャコバ・サンマン(Chakhoba sammang)水の女神

  ムンドゥンでは商人の兄弟、クゲトナンバとクタナンバの悲劇からはじまる。かれらは鉄製の小型ナイフと火打ち石をもって西のほうに行き、帽子や装飾品を仕入れてくると、今度は南にむかい、それらと子牛を交換した。それからまたチベットに行き、子牛をバッグなどの生活用品に換えた。

  兄弟はチベットにむかう途中、七つの湖に着き、湖畔で食事をつくった。そのとき汚水を湖に捨ててしまい、汚してしまったのである。湖の女神は怒り狂い、嵐、豪雨、雹をもたらした。そこで兄弟は女神に祈り、チベットからもどってくるときになにかを捧げようと誓った。

  チベットでの取引がうまくいき、裕福になったかれらに貪欲なこころが生じた。そして女神の湖に行って捧げものをするのがおっくうになり、かれらは別のルートを取ることになる。しかしその行く手に豪雨が降り、けっきょくはもとのルートに押しもどされ、湖に沈んでしまったのだった。

  兄弟の魂はソガ(異常死者の魂)となり、村にさまよい出るようになった。そのため村人たちは老ペダンマに相談した。ペダンマは白の雄鶏や去勢していない牡ヤギを供犠として捧げてチャコバ女神をなだめた。

  チャコバはひとのからだを冷やしたり、胃を膨張させたり、吐かせたりする。これは溺れたときの状態と似た症状なのだ。

*私が村(ハンデワ村)で聞いた話では、チュクバは男である。チュクは湖を意味するので、男の湖の精霊ということになる。チュクバは眼病をもたらし、気分を悪くさせ、足に痙攣を起こして歩けなくさせたりする。

 

アロクマ(Arokma)湖にひきずりこむ美女の精霊

   アロクマはケデンバ氏族のスナマルというオンシ(シャーマンの一種)によって呼び出されるようになった湖(アロクマ)の女の精霊。儀式のさいイェバやイェマがアロクマのことを軽んじると、トランス状態にはいれなくなる(つまりシャーマンとしての役割がはたせなくなる)という。

  シッキムに飛んだとき、アロクマはラマたちに捕まり、川に投げ捨てられてしまった。しかし低地で川を脱出し、さまざまな精霊を家臣にして山にもどり、サンピ・リンピ湖を住み処とした。

  しかしだれも世話をしなかったので、からだの寒気、熱、痛みのほか、胃の膨張、食中毒、めまい、頭痛などをもたらした。オンシのスナマルは占いによってアロクマの本性を知り、黒いニワトリを供犠として捧げてアロクマの荒ぶる心をなだめた。

*村で聞いた話では、アロクマは若く美しい女である。アロクマはひとを湖にひきずりこむだけでなく、崖からつきおとすこともあるという。

 

パヤンルンマ(Payamlungma)古参の精霊

  パヤンルンマはシニュク・ムデン(シナ・チベット)からススワ・リリム・ヤクトゥン・パンベまでひとびと、とくにレプチャと行動をともにしてきたもっとも古い女の精霊。だれも世話をしなくなると、心臓疾患、精神異常、不妊などをひきおこす。ムリャハンというペダンマがはじめてパヤンルマをなだめた。パヤンルンマの左右には、ニミルンマとシギルンバという従者をしたがえているという。

*村では、パヤンルンと聞く。男。外見はさまざまに変わる。ケンバ信仰(次項)、つまり子宮、ユマ信仰と深く関わる。出産時には、ノスリやワイルド・キャット(それらは血を奪う)からの危害を防ぐため、パヤンルンが呼ばれる。血と関連する精霊なので、心臓疾患はもちろん、鼻血もパヤンルンのせいにする。怒ると、ひとをトランス状態に至らせる。

 

ケンバ(Kemba)大女

  母から娘に受け継がれる子宮の精霊。出産のときにとくに呼ばれる。またこの精霊が憑くと、トランス状態に陥り、痛みがひどく、狂気に至らせるかもしれない。また魂が森へ飛んでしまうかもしれない。ケンバの息子はケボという。ケボも似た性質をもっているが、難産のときにはケンバよりもケボが呼ばれることが多い。

 

シンラバ(Singlaba)癩病神

  創成期の人類(カムボンバ・ルンボンバkhambongba lungbongba)に崇拝された古い神。らい病をひきおこし、なだめるのはたやすくない。魚、肉、(バナナの葉に滴らした)人間の血、ニンニク、生姜、八種のくだものなどを捧げる。七人の従者をしたがえている。

 

ドゥンドゥンゲ(Dungdunge)巨魁神

  ドゥンドゥンゲは、力の強い、巨大な姿をした保護神であり、恩恵神であるとともに、破壊神でもある。山から山を歩きまわり、悪い人間をみつけては殺すいっぽうで、汚れていないよい人間をみつければ、友人になろうとする。

  ドゥンドゥンゲをなだめる儀式では、煎ったシコクビエか米で作った像を祭壇に飾り、去勢していないオスヤギの活きた心臓、肥った雄鶏、赤と白の布切れ、さまざまな武器などを捧げる。ドゥンドゥンゲを喜ばせば力と成功がもたらされ、怒らせれば心の病、意識不明、おし、不具、不妊などがもたらされるという。

 

アギンマ(Agongma)妊婦の守護神

  人間の魂はしばしば外部をさまよい、そのときけがをしたり、なくなったりすると、からだは活力を失ってしまう。ムンドゥンによると、妊婦の魂はユミクマ、あるいはセゲプ・スルンマの湖に滞在するという。アゴンマ(女神)はさまよう魂を守り、テトララ・ラジョカンに命じて魂を妊婦のところに返してやる。もしアゴンマをきちんと祀らないと、スグット(お産のときの妊婦の死)をもたらすと信じられている。

 

ミセクパ(Misekpa)狩猟神

  ほかの精霊(サンマン)は駆除される場合が多いが、ミセクパ(あるいはプン・サンマン)は呼び出され、ハンターとともに猟にでかけ、獲物を追う。ハンターの守護神なのである。

  ハンターは獲物をしとめたあと、血のしたたりと肉の数片をミセクパに捧げなければならない。それから動物の右脚の肉を仲間内で分配する。

  ムンドゥンによると、ミセクパはラヒ・ナムヒという植物から生まれたことになっている。かれは祖先神であり、森と丘と山の神でもあるという。チャソク・ティソク(収穫祭)やヨクワ(農耕開始前の雨神、豊饒神などへの祈祷)、タペン(家族の安寧をもとめた自然神への祈祷)などのときにも、ミセクパは祀られる。ミセクには閃光を意味し、火、稲妻、雨の神とも考えられている。祀るときには、供犠としてたまごかニワトリが捧げられる。

  祭壇をつくってミセクパを最初に祀ったのは、タンガンバ・ペンハンバというペダンマだったという。そのとき以来、ハンターはミセクパを呼び出してから森へはいるようになった。しかし現在では心臓発作や他の病気、事故を防ぐため、祈ることが多いようだ。かれにはヒルリ・ヤクソサバという従者がいたが、あるとき崖から突き落として殺してしまった。ペダンマはそういう行為を二度とさせないよう、言い聞かせなければならない。

 

シリン・シカリ(Siring sikhari)ハンターを迷わせる精霊

  ミセクパがハンターの守護神であるなら、シリン・シカリはハンターの命を奪う悪い精霊である。少年の姿をしているが、鳥や鹿に偽装してハンターに近づく。獲物を追って森の奥へ奥へとはいっていき、ハンターはもどれなくなってしまう。前述のアロクマ(湖の精霊)やタクサン・シカリ(山の精霊)はシリンの仲間であり、協力してハンターを迷わせることもあるという。森でハンターが行方不明になった場合、シリン・シカリにあざむかれたのだとひとびとは考える。

 

タクサンバ(Taksangba)高山の神

  タクサンバはパワフルな高山の神であり、ハンターの守護神でもある。神のなかの神といわれるように、その地位は高く、リンブー社会において広く崇拝されている。かれの祭壇はいつも雪が降る高山の頂にあるという。ひとびとは力を授かろうと、あるいは成功を願ってタクサンバを呼ぶ。

*タクサン・シカリ(山の精霊)はもっぱらひとに危害を加える悪い精霊。

 

カンジャマ(Khanjama)南の低地の精霊

  カンジャマ(あるいはセンガマ)は南の低地の精霊とよばれる。この女の精霊は実りに呪いをもたらすという。しかしいっぽうで力と活力の源泉ともみなされる。大地の女主人とも目される。ないがしろにして祀らないと、眼、鼻、のどや、さまざまな器官の疾患、めまいや精神疾患をひきおこす。かつてパトラハンというペダンマが、この低地から丘陵地帯にやってきた精霊こそが、きちんと祀らないひとびとに病気をもたらしていることに気づいた。それ以来カンジャンマの祭壇がつくられ、祀られるようになった。しかしこの精霊に魂が奪われると、とり返すのは至難のわざであると多くのシャーマンは考える。

  儀式のさいには、黒いニワトリとブタ、タマゴが供犠として捧げられる。

 

タンブンナ(Tambhungna)森の精霊

  タンブンナは大地や自然の女主人、そして森の女神とみなされ、自然現象を意のままに操ると考えられている。その住み処は森、樹木、崖、洞窟、やぶなどだ。

ムンドゥンによると、タンブンナはスンサ・カルダ・テンベに落ちた太陽の血の滴から生まれたのだという。かつて彼女が丘を歩いていると、クイ・クダプ族(自然神の一族)の首領マクチソ・クラン・ケンバがやってくるのが見えた。そこで彼女は鹿に変身し、森のなかに走り込んだ。マクチソ・クラン・ケンバはあとを追いながら、矢を放った。すると鹿は美しい乙女に変身した。かれは倒れているのが鹿だとおもって近づくと、それが美しい少女の死体だったのでひどくおどろいた。かれは遺体をなんとか蘇らせたいと考え、ファクタンルンマ山にもっていったが、蘇生しなかった。つぎに7つ、あるいは8つの川が交わる所に行ってコカ・マン(パクムラマ神)に蘇生させるよう頼むと、今度は蘇った。コカ・マンはこのふたりを結婚させようと考えたが、マクチソ・クラン・ケンバは少女のことを妹のようにおもっていたので、申し出を断った。そこでコカ・マンはふたりを数日間、せまい部屋に閉じ込めた。その結果、チェップワマなどが生まれた。

  タンブンナはいろいろな場所を訪れたが、だれも彼女のことを知らなかった。それで彼女は丘の斜面の洞窟に住んで、サワ・イェタンの子孫たちにわざわいをもたらすようになった。サンダンワ・カランワというペダンマが、彼女が大地の女主人、昼間の女主人、農業と幸運の女主人、守護霊であり、8、9種の姿かたちをしたかわいい女であることを認めた。

  タンブンナは、ふだんはぼんやりした影のような姿をしているが、籠を背負った姿もしばしば目撃されている。もし見てしまったら、見たひとはかならず病気になるという。

  もしきちんとタンブンナを祀らないと、めまい、むかつき、嘔吐などをもたらすという。儀式のさい、浄水を撒きながら、たまご、炒った米粒を捧げる。彼女はまた魚、蜂蜜の巣、穀物やくだものの女主人として呼ばれる。

  一説には、タンブンナはさまよう魂を捉え、カンジャマ(上述、南の低地の精霊)に渡すのだという。ひとたびカンジャマの手にわたると絶望的なので、そうなるまえに取り返さなければならない。

  タンブンナはタンプンマとも呼ばれる。ムクトゥバというリンブーの男がペダンマになろうとしていたころ、たびたびタンプンマがあらわれたという話をサガンが紹介している。

 

  ムクトゥバは近くの村からもどる途中、突然おおきな竹が倒れかかってきて道をふさいだ。その下をくぐると、また二本の竹が倒れてきた。さらにつぎつぎと……。その翌朝、現場に行くと、なにも起こったような形跡はなかった。これはタンプンマのしわざにちがいないとムクトゥバは考えた。

  16歳になったとき、ムクトゥバははじめてシッキムに行った。そのときは七人で、イモを運搬していた。道が山から流れる小川を横切るところで、かれらは休憩をとった。しばらくすると、籠を背負い、鎌をもった老女がやってきて腰をおろした。と、突然小川の横で老女が消えた。どこに行ってしまったんだ、と不思議がると、ほかの六人はそんな老女は見ていない、と言った。それはタンプンマだったのだ。

 

  シャーマンになろうとしている少年の前にしきりにタンプンマ(タンブンナ)があらわれるのは、タンプンマが少年を認知しはじめたからにほかならない。多くのシャーマンの守護神であるユマが光を象徴しているとするなら、森の精霊タンプンマは闇を象徴しているといえるだろう。シャーマンはいずれ闇と対決していかねばならないのである。

*村で聞いた話では、タンブンナに魅入られると、狂ったように笑い、踊りだすという。これは、森のなかの毒キノコによる被害を反映しているのかもしれない。

 

センマ(Sengma)蛇の精霊

  センマは低地及び蛇の精霊である。その棲み処は泉や流砂といわれる。また呪いの精霊ともいわれ、呪術をおこなうときにはセンマをよびだす。きちんと祀らないと、眼病、手足や生殖器官の腫れ、あるいはらい病をひきおこす。センマはセン・サンボ・ヨというサンバによって正体があきらかになった。センマを祀るときには、犠牲はおこなわない。祭壇は7つのちいさな柱と7つの小さな燭台で作られ、花を飾った水鉢が置かれる。祭壇の表面には乾燥した土がばらまかれる。翌朝早く、ペダンマはその上についた`足跡`を見て、占いをする。この儀式はだれかがセンマによって病気になったとみなされたときにおこなわれる。センマは祀られて満足すると、力、運、幸福をもたらすという。

 

チャルンマ(Charungma)力を授ける精霊

  チャルンマは、ペダップ地方の力を授ける精霊。低い季節(冬のはじめ)と高い季節(夏のはじめ)に祀られる。また子宮崇拝儀式のときにも招喚される。センチェンゴというサンバによってはじめて正体があきらかにされ、鎮められた。なおざりにされると、胃、心臓、肝臓に痛みをもたらす。

 

*チャネマとファクシンダンマ(Chanema Phaksingdangma)8人の女の精霊

  ペダップ地方にはチャルンマを含めて、チャネマやファクシンダンマなど8人の女の精霊がいる。彼女たちは精神異常やさまざまな病気をもたらす。

 

ピッチャンマ(Pichchamma)世にも美しい精霊

  ハララ・ピッチャンマはユマやタンブンナのようにあまねく存在する精霊だ。ダンス、知識、技術、富の女神とみなされる。数多くの女の精霊のなかで、もっとも美しいといわれる。なぜか彼女は塩を好まない。

  ムンドゥンによれば、ピッチャンマはペヒム地方のペダンマによって正体があきらかになった。彼女はナハンマ女神とともに祀られることが多い。セトロボンという花やしょうが、ひょうたん、穀粒などを捧げて供養する。

 

ナンゲプマ(Nangepma)長寿神

  ナンゲプマは長寿を授ける女神。子宮崇拝儀式のとき、オンドリが捧げられ、ヤンフマやケワ・フクマとともに祀られる。

 

ルンマイェッパ(Lummayeppa)祖先神

  ミワコラ川流域で崇拝される祖先神。ケンバ氏族のオンシ(シャーマンの一種)によって比較的近年認識された神格。28の従者がいる。かつては子牛が捧げられたが、その後成牛にかわり、いまではニワトリが用いられる。

 

テンチャマ(Tenchama)低地の女の精霊

テンチャマは低地の神であり、大地の女主人で、自然をコントロールする能力があると信じられている。彼女には生の米、タマゴ、トンバ(雑穀の発酵酒)、オンドリが捧げられる。きちんと祀らないと、胃や関節の痛み、めまい、頭痛をひきおこす。

 

パクムラマ(Phakmurama)ブタ顔女神

  パクムラマはイノシシの顔をした女神。また懲罰の神ともみなされる。奇形児や病気をもたらす。去勢していないブタが供物として捧げられる。

 

トゥンダンマ(Thungdangba)鍛冶神

  トゥンダンマは神々の鍛冶師、職人である。ハンマーやペンチなど鉄の道具をいつも手にもっている。祀らないと、この神によって頭痛、けが、膿、腫物、痒み、火傷などがひきおこされる。仕事中のちょっとしたけがも、この神のせいだとされる。かつてワリンゲというペダンマによってその正体があきらかになった。くだもの、生の米、穀粒、花などが捧げられる。

 

パヨハンバ(Payohangba)遠地の神

  ムンドゥンによると、パヨハンバは湖に落ちた石から生まれたという。遠地の神といわれるが、現在ではどこにでもいる。川、湖、海の主ともみなされている。妻の名はティメンドゥンという。何人かの家来がいて、かれらはそれぞれの川、湖、海を代表している。パヨハンバは線香だけを受け取り、酒は飲まない。しかし一部の家来は動物やふくろうが献じられると、喜んで受け取るという。きちんと祀られないと、かれは頭痛、けが、膿、はしか、出血、コレラなどをもたらす。

 

ヤンプマ(Yangphuma)不吉を呼ぶ神

  ヤンプマは不吉な行為やできごとを呼ぶ女神である。もしメンドリがときの声をあげたり、柔らかいタマゴを産んだり、ひよこの脚が曲っていたり、植物の実や茎やツタが奇妙な形をしていたりすると、リンブーはなにかよくないことが起こる前触れだと考える。そんなとき、ヤンプマが祀られるのだ。この女神は喜ぶと、健康、富、繁栄をひとびとに賦与するという。

 

ケワプクマ(Khewaphukma)母子を守る神

  ケワプクマはサッポク・チョメン儀式のとき、ヤンプマとともに祀られる神である。発酵した穀粒、ニワトリなどが捧げられる。母子の無事と長寿を祈るとき、ケワプクマが祀られる。

 

マクチソ・マクランガ(Makchiso maklangha)女児の精霊

マチクソ・マクランガはクイ・クダプと呼ばれる自然神グループ(ハンターの守護神)の首領とされるが、村で聞くかぎりにおいては女児である。川辺や村のはずれに出没する。心臓や手、身体に害を与えるという。

 

スナレ・マン(Sunare mang)少年の精霊

  村のなかや湖畔に現われる少年の精霊。身体中が痒くなり、嘔吐、下痢などはこの精霊によるという。


<シレSire

  シレはサンマンの一種というより、サンマンと同格の精霊群である。サンマンよりも残酷な性格をしているが、味方につければより力となるので、ペダンマ、サンバ、イェバ(イェマ)の守護霊となる。とくにサンバ、イェバ(イェマ)との関係が深いマンマン・シレはシレのなかでも、別格の存在だ。

  ほかに鷲のシレ、猫のシレ、蜂のシレ、熊のシレ、犬のシレ、ヒマラヤ牛のシレ、バッファローのシレ、象のシレ、鳥のシレ、毒虫のシレ、唖のシレなど、さまざまなシレがいる。

  一部のシレはきわめて危険で、それらにねらわれると、ペダンマやサンバ、イェバなどが介入しないかぎり、二十四時間以内に命が奪われてしまうほどだ。

  代表的なのがケバ(虎の精霊)。異界からやってくるその呪力によって、ひとは肝臓や心臓をむさぼり食われてしまう。血痕でケバにやられたことがわかるという。イェバだけが対処することができる。ケバがイェバに憑依し、イェバはそのまま異界に連れていく、という荒療法なのである。虎はイェバの守護霊のひとつ。(リス族の千古竜・白虎精と似ている)

  各氏族につくシレもいる。ムイヤン・シレ(ノスリの精霊)はポム氏族、リンキム氏族…などに、ミヤン・シレ(山猫の精霊)はネヨン氏族、トプラ氏族…などというふうに。(これらのシレは後述)

  マンマン・シレはイェバ(イェマ)の守護霊である。ムンドゥンによると、タゲラ・ニンワプマ神の命令で八日間、サワ・イェタンの地のイェバのもとにいて、ソガ、スグット(悪霊)を駆逐する役目をおおせつかった。しかしイェバに唖のシレがついてしまい、イェバはマンマン・シレのことをすっかり忘れてしまった。

  さてマンマン・シレはおなかがすいたので、猫のすがたになって村に侵入し、ニワトリを殺した。それにはサワ・イェタンも怒り、イェバにマンマン・シレを追い出すよう命じた。で、イェバは彼女をタゲラ・ニンワプマ神のもとに送り返そうとした。しかしタゲラ・ニンワプマ神は、約束を破っていること(期限の八日間を過ぎている)、吸血鬼は入れることができない(マンマン・シレの口と爪にべっとり血がついている)という理由から、ふたり(マンマン・シレとイェバ)の受け入れを拒んだ。しかしまた村にも戻れないので、タゲラ・ニンワプマ神はあわれに思い、ソドゥン・レプムハンのところへ行くようすすめた。ソドゥン・レプムハンはマンマン・シレが踊れる場所を確保し、またイェバやサンバがいつでも呼び出せるようにした。トンシン儀式のとき、庭の中央に立てられた樹に結われた竹籠はマンマン・シレの棲む場所である(トンシン儀式についてはこのページ参照)。竹籠のなか、上面には、米、お金、酒、ブタの頭などが捧げられる。

シレは、多くは動物の霊力によって表される精霊のこと。サンマンとおなじくなおざりにしていると、害をもたらす。中国の漢族やチベット・ビルマ語族にいまなお残る憑き物の習俗と共通する面がある。憑くのは蛇、鼠、猿、猫などやはり動物で表されることが多く、禍をもたらせば蠱(こ)とみなされる。逆に味方にすれば強い武器になる。

あるいはシレは、動物守護霊にちかい性質をもっているともいえる。M・エリアーデはつぎのように説明する。

 

  大多数の親しみのある、守護霊は動物の形態をとる。シベリアやアルタイでは、熊、オオカミ、雄鹿、野うさぎ、あらゆる鳥(とくに鵞鳥、鷲、ふくろう、カラスなど)、巨大な芋虫、また幻影、森の精霊、地の精霊、火床の精霊などとしてあらわれるのだ。

 

  シレは動物守護霊ほどには慈しみがない。動物守護霊と憑き物の中間に位置すると考えるべきだろう。

 

 

トンシン儀式

  トンシンtongsing儀式は、超自然的な力(神、精霊)をなだめて災難や困難を忌避し、個人、家族、社会から悪い霊を駆逐して幸福、安寧、団結、繁栄を得るためにおこなわれる。

  できれば年に一度、すくなくとも三年に一度はおこなわれるべきである。それもかなわないならば、八、九年に一度というのが許される最大のインターバルだという。

  もし年に一度なら一晩、三年に一度なら三晩四日、八、九年に一度なら一週間から九日間かけておこなわれる。しかし近年、トンシン儀式はめったにおこなわれなくなり、おこなわれても一晩だけとなった。そのためムンドゥンも消滅の危機に瀕している。リンブーには、実際にあまり使用されないキラト文字kirat script(近代になって創られたものであり、宗教性はない)があるが、伝承やその記録のために使われることもなく、口承が唯一の有効な手段なのだ。ところが若いシャーマンがじっさいに目にし、耳にし、習得する機会が減っているのである。

  セセ・サンサン・トンシンとよばれる一般的なトンシン儀式(死者のためのトンシンはイゲチュッチェン・トンシンとよばれる)は、一晩だけの儀式であればサンバひとりで十分だといわれる。三晩の儀式なら、二晩はイェバ(イェマ)が取り持ち、最後の浄めの儀礼だけまたサンバが担当する。

トンシンの祭場中央のオブジェは、イェバとサンバとでは微妙に異なる。イェバは二本のポール(イェゲシンとよぶ)をたてる。その間に七つの階段の象徴が作られる。サンバは一本のポール(ケシンとよぶ。切り出した樹幹)をたて、その間に八つの階段の象徴が作られる。この階段付きのポールは、世界の中心にあり、階段を上がって天に到達できるという、まさに宇宙樹[1](アクシス・ムンディ)なのである。

  ポールの途中に大きな竹籠が結び付けられる。(*村では竹籠が結び付けられるのはイェバのポールのみと聞いた) そのなかにはサプシン樹の枝、鎌、小刀がいれられ、布ですっぽりと覆い隠す。竹籠の下には横長の太鼓(ケ、あるいはチャブルンとよぶ)が置かれる。階段(の象徴)の上辺に祭壇が設置され、その上にバナナの葉が敷かれ、ロキシー(蒸留酒)などの供え物が置かれる。ポールには随意に、削り花状の短いスティック(ムクトゥブン)が飾られる。ポールの下には竹籠に土が埋め込まれ、植木鉢のように見えるトンシン(男用と女用のふたつ)が置かれる。トンシンの上面の土にはヤグランシン、ムクシンという生きているひとの魂を象徴する削り花スティックと、サミュクナという死者の魂を休ませる削り花スティックが挿される。トンシンの胴回りにはタテにケマ・トンシンという死者の魂を象徴する削り花スティックを挿す。各トンシンに鎌とククリ(山刀)が置かれる。削り花にかぶせるように、羽根と首飾りがかけられる。

  儀式はまず、ポールのかたわらで、サンバやイェバが過去の大ペダンマ、大サンバ、大イェバ・イェマたちの助けを借りながら、守護霊であるマンマン・シレ・ケドゥンマ・シバキャミ・ポクワマを呼ぶことからはじまる。かれらは太鼓や真鍮プレートを叩きながら、しだいにトランスがかっていき、生け贄としてのブタ、トンバ酒、コインを捧げるサンボク・ペンマ儀式をおこなう。

  それから天地創造のムンドゥンを歌いはじめる。さまざまな神の名があげられ、主役級のタゲラ・ニンワフ、そして創造神ポロクミ・ヤンバミが登場する。以下はこの神が人間を創造する一節である。

 

  創造神は海を見て物足りないと思い、水棲生物をつくった。また陸を見て物足りなく思い、山、森、植物、鳥、動物をつくった。しかしそれでも物足りないので、人間をつくった。創造神は美しく、不死の人間をつくろうとしたが成功しなかった。そして最後に、ヒマラヤ竹を焼いた灰と、鳥の糞で汚れた土、そして水をあわせたものに「活気」を吹き込んで、人間を完成した。創造神が声をかけると、人間はそれにこたえた。人間ひとりではさびしいので、創造神は女をつくった。そうして世界にたのしいこと、刺激的なことがあふれるようになったが、いっぽうで死と病、恥辱、苦悩などが発生した。

 

異常死者の悪霊を祓う儀式 idhuk sogha pakma

  初日の夜、イェバによって「異常死者の悪霊を祓い落とす儀式」(イドゥク・ソガ・パクマ)と「不吉な樹を探して破壊する儀式」(ケドゥク・ナムドゥク・シンマ・アプマ・ソンマ)というもっとも重要な儀式がおこなわれる。

  ムクトゥブンの削り花スティックを斑模様の糸で結び、さらにそれは戸、そして庇から水の滴り落ちるところへ延ばされる。その糸にはさまざまな食べ物やサプシンの葉で作った休憩所を整えて、ソガ(異常死者の悪霊)をおびき寄せる。イェバは、異常死者の悪霊の起源と、悪霊によって引き起こされた禍の克服の仕方に関するムンドゥンを歌い、呪文(ララドレク、ララドレク、ムムドレク、ムムドレク、ララヴィ、ララヴィ……)を悪霊に投げかける。

  そうして悪霊がおびき寄せられて、食べ物に食らいついたころをみはからって、イェバはサプシンの葉めがけて弓をひく。それは豆、クルミ、珪石のはいった壊れた陶器のなかに、どさりと落ちるだろう。悪霊は隠れようとするので、イェバは上からめくらめっぽうに叩く。イェバはトランスがかって、真鍮プレートを激しく鳴らす。そして悪霊を追い払いながら、家の周囲をまわり、道の交わる所、さらに西の方向へ歩いて、そこで叫び声をあげる。家族や見物人もそのあとについていって、同様に叫んだり、石つぶてや砂、豆、クルミなどを投げつける。そのとき、雉と山うずらの役を担ったふたりが道の交わる所で待ち構え、ソガが通過するのを許可する(と演ずる)。

  イェバと助手は庭の中央にポールを建て、クロス状のムクトゥブンを結わいつける。地面にトウモロコシ粉と砂で線を引く。ポールの下に平たい石、その上に燃えさしが置かれ、杜松の枝をいぶして香をたく。バナナの葉が敷かれ、竹片のはいったトンバ酒の器、ムクトゥブン、豆、クルミ、壊れた陶製の壷などが供えられる。そして、タマゴと二羽(オスとメス)のニワトリが供物として捧げられる。

  儀式のなかで歌われるソガの起源に関するムンドゥンには、いくつかのヴァリアントがある。

 

穀物が実るころ、サオンゲ・オンゲハンバが畑で見張りをしていると、いろんな種類の鳥や動物がやってきて作物を食い荒らした。かれは追いかけたが、鳥も動物も安全な隠れ家に逃げ込んでしまう。そのときに見た鳥の巣や動物のねぐらは美しく、またうまいぐあいに設計されていた。かれは触発されて、じぶんもこんな家を建てられないだろうかと考え、タゲラ・ニンワプマ女神のもとにうかがった。女神は鳥に聞いてみたらいいでしょうと助言したが、かれが鳥たちにたずねると、鳥たちは冷淡に知らないとこたえる。女神は、それでは名前を変えてもう一度たずねるといいでしょうと助言する。かれがロクパ・テンバ・ハンパ・テンバと名前を変えて鳥や動物にちかづくと、かれらは今度は惜しみなく建て方を教えてくれた。はじめ柱に適した樹がなかなかみつからなかったが、やっとソディン・シンマ樹がいいということがわかった。家を建てるのに、かれは妹のカップラ・メルロンハンマに手伝ってもらった。妹はとてもかわいい娘で、その美しい黒髪を束ね、花と櫛を挿していた。かれは妹とともに、家の柱にするための樹を森から切り出してきた。地面に穴を掘り、ふたりで柱の両側を支えながらたてようとしたとき、妹の櫛が穴のなかに落ちてしまった。妹が櫛を拾おうとしてかがんだそのとき、支えきれなくなった柱が倒れて、妹を無惨にもつぶしてしまったのである[2]。その魂はソガ(異常死者の悪霊)になった。かれはそのあと家を建てたが、ソガのために家は白蟻やほかの虫の被害を受けた。そこでかれはソドゥン・レプムハンに助言をもとめた。その助言にしたがって、円筒形の太鼓ケをもったロデンハンとプンデンハンを招いた。かれらのケ・ダンス儀式で、白蟻や虫、かびなどを駆除しようというのである。かれらがケを鳴らし、踊ると、その力で白蟻や虫はばたばたと地面に落ちた。そしてすぐにテンラナ・ラクレク鳥を呼ぶと、鳥はそれらの虫を全部ついばんだのだ。

妹のソガは、「束ねた髪に櫛を挿したかわいい乙女」として知られるようになったという。

 

  かつてヤクペソ・ヒルリソという男が険しい岩場に行って蜂蜜をあつめていたが、落っこちて死んでしまった。かれはソガになった。あるひとは樹や崖から落ちて、あるいは川や池や湖で溺れて、土砂崩れに巻き込まれて、野獣に襲われて、命を落とし、ソガになった。こうしてさまざまなタイプのソガが発生し、サワ・イェタンの後裔たち(リンブー)はソガに悩まされるようになったのである。

かれらはサジュウェット・ムダンウェットというサンバをタゲラ・ニンワプマ女神のところへ派遣し、解決策をたずねさせた。女神はサンバに、ソドゥン・レプムハンに会いに行き、イェバをみつけるといいでしょうと助言した。ソドゥン・レプムハンは、チルリマ・ペスンマとネンジリ・ネンメトゥクというふたりのイェバを紹介した。イェバたちは家のなかで、柱のまわりで、戸のまえで、踊りながらソガを探した。食べ物や太鼓のリズム、しゃれた言い回し、呪文などを駆使して、「束ねた紙に駆使を挿したかわいい乙女」と「タンバリバ・ワンドゥン・ケンバ」(おそらく岩場で落下して死んだ男の悪霊)のソガをよびだした。イェバたちはソガを叩き殺そうとする。ソガたちは逃げようとするが、八つの道の交わるところで、タマゴの海を作り、そのなかに壊れた陶器の山をたてクルミやサプシンの葉などで覆い、それに火打ち石で火を着け、そうして(ソガたちを)ブロックする。

 

シゲラ・イェットゥッカの息子ムイヤンは羽根の生えていないハヤブサだった。 ハンターのサプジヨンバ・プジチョンバは、かれのために食用植物の茎から羽根を作り、その羽根はほんものの羽根になった。かれは大きくなると山をはなれ、サワ・イェタンの地に降りると、ピプミラ川とポンゴワ川沿いの峡谷にある、蔦におおわれた巨大なサベンシン・パラムシン樹(篩に引っかかって、からだが引き裂かれた子供の手足が化した樹。九ページ参照)の頂に巣を作った。ムイヤンは近隣の原住民やライク・カムブ・ハンの子供たちをさらってきては巣にたくわえ、腹がへったら食った。ムイヤンはハンターたちをも襲うようになった。かれらはついにムイヤンを捕らえて殺そうと決意した。

ところで村のカムブハン七兄弟には、美しい妹サッポリ・ハンマ・ペンパリハンマがいた。彼女は七兄弟に大事にされたので、義理の姉は彼女にたいして嫉妬を抱いた。そして七兄弟がいないときに、水浴びをしようと言って妹を川に連れ出し、岸辺で後ろから押した。妹は濁流に流されたが、幸い小島に打ち上げられた。しかし岸にもどることができないので、漁師にむかって助けを求めた。漁師は網を投げて助けようとしたが、彼女はそれをうまく捉えることができなかった。べつの漁師がやってきて、釣竿で助けようとしたが、うまくいかなかった。彼女が途方に暮れていると、ムイヤンが飛んできて、上空を旋回しはじめた。彼女はかれの子供の世話をしてあげるからと言って、ムイヤンに助けを求めた。ムイヤンは彼女を巣に連れていった。彼女はかれの子供の世話をはじめたが、ムイヤンが毎日八、九人のカムボンバ・ルンボンバ(原住民)の子供を食べていることを知った。彼女はじぶんもいつか殺されてしまうのではないかと、そら恐ろしくなった。ある日、樹の下を兄弟たちが通るのを見て、声を振り絞って助けを求めた。かれらは樹の根元に網を張り、そのうえに彼女はとびおり、ようやくムイヤンの手から逃れることができたのである。

  さてライク・カムブ・ハンらは罠を仕掛け、ムイヤンを捕らえることに成功した。かれらは袋叩きにしたあと、ムイヤンを川に投げ捨てた。ムイヤンの死体は流され、チャクラ・マクラの岸辺近くで漂っているのを、漁師のチュクジハンマとヤンディハンマがみつけ、網を投げて掬いあげた。かれらは死体の脚が金のごとく、羽根が銀のごとく輝いているのを見ておどろいた。かれらは脚からフルートを作り、他の部分からもさまざまなものを作り、それらを使うことによってパワーとエネルギーと富を得た。家に持ち帰った骨さえもが輝いていた。しかししばらくして、かれらはぶるぶると震えはじめ、病気になった。かれははさまざまなひとに診てもらったが、ペンワナ・ソインナというイェバが、それはムイヤン・シレ(シャーマンの力の源泉となるハヤブサ−鷲の精霊)によってひきおこされたものだと断じた。家のすみの床下に蔵された骨は、ミヤン・シレ(ワイルド・キャットの守護霊)になった。けっきょくムイヤンの羽根や他の部分は、シャーマンの道具や飾りになった。(この漁師たちがシャーマンになったということらしい。かれらの出身地パワリのイェバ、イェマは、パワフルで深いトランス状態になることで知られている)。

  サトラカン・タランガンというペダンマがはじめて、黒いニワトリを捧げて、ムイヤン・シレをなだめたという。そうしてムイヤンにたいする恐怖感が薄れてきたので、ひとびとはパラムシン樹をきって、根も掘り起こした。しかしムイヤン・シレはサワ・イェタンの地をさまよいはじめ、事故や自然災害、さまざまな困難をもたらした。スジュウェット・ムダンウェットというサンバがサワ・イェタンのために祈りを捧げると、ソドゥン・レプムハンはテレレ・テンチャンムクとテレレ・テンジイェップというイェバを遣って、ソガ(異常死者の霊)、スグット(出産時に死んだ女の霊)、サシク・ヤンダン(死産児の霊)などの悪霊を祓わせた。また呪いの悪霊(サケラ・パンバンジャンマ)、鳥殺しの亡霊(プセセ・プネンジョンバ)、悪しき狩人霊(サケセッパ・サネンジョンバ)などもあらわれた。これら霊の妬み、羨望、悪しき行為にたいして、イェバ(イェマ)は白い水晶を施し、退散させねばならない。チルリマ・ペスンマというイェマはそれらを駆逐するため、いくつもの動物や猛禽に変身しなければならなかった。悪霊がバッタになるとイェマは鷹に、悪霊が鹿になるとイェマは虎に、悪霊が魚になるとイェマはワニに……と、とめどもなく追いかけっこはつづくのだ。最後には追いつめて、イェマは悪霊を駆逐することができる。

 

  ソガとサシク・ヤンダンの神話を歌いながら、イェバと助手はパラムシン樹を切り倒し、この不吉な樹を細切れにするソガシン・カクマ儀式をおこなう。じっさいはムクトゥブンの削り花スティックをパラムシン樹に見立て、それを細かく切って、火床のなかに放り込むのである。

  それからキジョ・アプマ儀式がおこなわれる。それはソガを象徴するものと食べ物が吊るされた糸を撃つ、というシンボリックな儀式だ。イェバは呪文を唱えて、ソガを家から森や山のほうへ追い払う。それは川を渡り、ごつごつした岩山のナイフのような道を抜け、八つの道の交わる所にいたるだろう。そしてイェバと助手は悪霊をダムハンに引き渡す。イェバと助手は道をブロックし、来た道を飛んで引き返す。途中の橋は破壊する。かれらはクラン・ケンバ神に祈りながら、道をブロックしていく。また丘の神、山の神にも祈り、雉や山うずらの助けも借りて、悪霊を煙にまく。またかれらは八つの川が交わる所の女神と三つの川が交わる所の女神に祈り、悪霊の道をブロックする。こうして道ふさぎの儀式は終了する。

 

  ソガは逃げて地平線(すなわち地と空の交わる所)に達すると、コウモリになって飛び回る。そしてイェバに殺さないでくれ、殺したらおまえたちの仕事もなくなるではないかと嘆願する。イェバはそのとおりだと考え、ソガを殺さないで、道をブロックするだけにとどめる。依頼主にたいしてはバッタを見せて、これがソガだと言うのである。

 

  パワコラ川流域(タプレジュン地方)では、ナヘン(嫉妬、羨望)の霊をなだめる儀式(四六ページ参照)をおこなってから、ソガ駆逐の儀式、不吉な樹を倒す儀式、守護霊をニワトリかブタでなだめる儀式をおこなう。

  翌日、宇宙神話のムンドゥンが歌われ、庭に二層になった祭壇が作られる。庭の隅には糸(ロープ)が張られ、生きているトカゲやイモリ、川蟹、ミミズなどが吊り下げられる。下層の祭壇にスハンフェバとラハドンナの土像(九ページ参照)が供えられる。そのまわりに杵のミニチュア、二枚の丸い粉碾き石板、計量つぼなどを置く。上層には花と葉で飾られた水瓶が置かれ、そのまわりに剣、盾、銃、鋤、鎌、大鎌、弓矢などが供えられる。小スティックが四つのニッカー豆、壊れた陶製の壷の下部の四部分、四つの小石板、四つのバナナ樹皮片に貫かれ、それらは糸に結ばれ、祭壇の前に吊るされる。川蟹やイモリ、ミミズなども吊るされる。これらはすべての問題や困難とともに、翌日の儀式のときに川に流される。

  夜には、火霊の駆逐(ミサム・セプマ)儀式や占い(ヤゲク・レンマ)、近親相姦(ルンドゥン・カイ)儀式[3](三〇ページ参照)がおこなわれる。

 

呪いを避ける儀式 manghup mangde

  呪いを避ける儀式(マングプ・マンデmanghup mangde)はトンシン儀式のなかでおこなわれることが多い。そこで語られるムンドゥンは偉大なる狩人、サワ・ユクプン・ケンバと関連している。

 

  ムジナ・ケヨンナマは地上に最初にあらわれた女である。彼女は大きくなって自意識が芽生えてくると、服が必要になり、女神タゲラ・ニンワプマにたずねた。女神は彼女に機織りの仕方、編みかたを教え、服を着せた。彼女はうまく着ることができた。年頃になると、胸もヴァギナもお尻も発達してきて、彼女は強い欲情を感じるようになった。彼女はあらゆる方向に夫を探しに行ったが、みつけることはできなかった。それで意気消沈して樹の枝に腰掛けていると、一陣の風が吹いてきて、ヴァギナに当たった。すると彼女は妊娠し、十ヶ月後、風のこども、ススウェンバを産んだ。しかし彼女はこどもの育てかたを知らなかったので、女神のところに行き、こどもが日に日にやせ細っていく窮状をうったえた。女神は彼女に、わたしの足元に寝なさいと言い、そのとおりにすると、夢をみた。夢のなかで、彼女はこどもの育てかたと、ヤンダン・ポンマ儀式(新生児の命名儀礼と浄化儀礼)のやりかたを教わった。

  ススウェンバは三才になると、服をねだった。マジナ・ケヨンナマは息子に衣類を与えたが、そのなかには帽子(タッコク)の含まれていた。かれは狩猟のしかたを徐々に身につけていった。最初にバッタを殺した。それから弓矢を覚え、ある日鳥を殺した。かれは母親に、これは食べてもいいのかどうかたずねた。母は「この肉は食べれるけれど、おまえは大きな間違いをしでかしました。この鳥はつがいのうちの一羽なのですよ。おまえがなにも考えずにしたことによって、残された鳥はやもめになったのですよ」とこたえた。

  ススウェンバはハンターとしての腕に磨きをかけていった。かれはさまざまな動物を仕込んで、狩猟を手伝わせた。その動物というのは、オオカミ、ジャッカル、熊、虎、犬などである。母は遠くへ行かないように言い聞かせてきたが、かれは森の奥のほうへはいるようになった。また名前をハンターらしく、サワ・ユクプン・ケンバと改めた。ある日、かれは犬とともに鹿を追っているうち、ピヤム・ルンマという機織りをしている美しい女に会った。かれらは惹かれあい、すぐに関係をもった。まもなくスッチュル・スハンペバというこどもが生まれた。彼女が妊娠している間、かれは召使いと関係をもち、召使いはサムダン・ケワというこどもを産んだ。かれはまた森にはいって鹿を追いかけているとき、ムックム・ルンマという魅力的な女に会い、すぐに夫婦になった。彼女はテトララ・ラハドンマという女児を産んだ。彼女が妊娠している間、かれはまたも召使いと関係をもち、その召使いからリンダン・ケワというこどもが生まれた。

  ある日サワ・ユクプン・ケンバは猟に出かけようとして、妻たちに旅のあいだ要する食料を用意してくれるよう頼んだ。けれども妻たちは牽制しあい、だれも準備できなかった。嫉妬心(ティンディン・ナヘン)が邪魔したのである。妻たちは、かれが留守のあいだだれがわれわれを守るのか、かれにたずねた。かれはふたりの妻は下僕たちが守り、息子スッチュル・スヘンフェバは弟サムダン・ケワが、娘テトララ・ラハドンマは弟リンダン・ケワが守るといい、とこたえ、猟に出かけた。鹿を追ううち、かれは草のたくさん生えている山の頂上に到り、そこで飢えて死んだ。犬ら動物たちは何日も主人を待ったが、そのうちかれの死体は腐ってきた。腐った屍体からはさまざまな植物が生えてきた。胸とあごは平らな石(チェルルン・コクルン――死んだ近親相姦夫婦の霊のシンボル)になった。そこからは、サシク・ヤンダン(死産児の霊)、ナソ・タパン(呪いと呪術)やさまざまな悪霊が生まれた。動物のうち、犬はムジナ・ケヨンナマの家に帰り、主人(ムジナの息子)の死を告げた。ムジナは激しい怒りを覚え、ピヤン・ルンマと下僕のところへ行き、かれらをなじった。彼女はかれらに、近親相姦で破滅するように、死産や精神異常に苦しむようにと呪いをかけた。またムックム・ルンマと下僕のところへ行き、かれらに、近親相姦で破滅するように、落雷によって早死にするように、悪霊や病気に悩まされるようにと呪いをかけた。こうして彼女は義理の娘たちに呪いをかけ、悪霊が世に現れることになったのである。もどる途中、彼女は洞窟のなかで死んだ。ところがだれも彼女のことを構わなかったので、彼女はキジョラ・ルプリハンマという名で知られるスグット(分娩死の霊)になった。

 

  リンブーの呪術には大きく分けて二種類あるという。それは公衆の前でおこなう呪術(証言者を前にして、理由を述べ、堂々とおこなう)と秘密の呪術(だれがおこなうかも、やりかたもわからない)である。現在では呪術はほとんどおこなわれなくなった。

 

近親相姦の禍を祓う儀式 lungdung kai phekma

二日目の夜、ルンドゥン・カイlungdung kai(近親相姦)のムンドゥンの前に、イプナナ・サレンタンマ女神のムンドゥンがうたわれる。

 

彼女は夫不在の間、性的欲望と母性本能のはけ口を探していた。彼女はひそかに胸で虫(ヤクラプサ)を養った。日に日にやせ細っていくのを見て、兄のパクセラ・ティゲンジョンバはその原因を探った。ある日かれは妹のベッドに、醜い、ぞっとするような虫を発見し、それを薮に投げ捨てた。その血はあらゆる方向に広がっていった。鳥や獣たちは、虫の死骸を見ただけで性的興奮を覚えた。好色な感覚はあらゆる生き物に伝染していった

 

  ついでルンドゥン・カイとサンドク・アプレク・ポンマSangdok aplek pongmaのムンドゥンがうたわれる。

 

  サムダン・ケワ(前ページ)は義兄スッチュル・スハンペバに仕えていた。しかしスッチュル・スハンペバはかれのことを妬ましく思い、手荒く扱った。動揺したかれは、獲物をもとめ、森のなかをさまよった。リンダン・ケワもまた義姉テトララ・ラハドンマの扱いにとまどいながら、同じ森のなかで獲物をさがした。かれらは森のなかで出会い、お互いの狩猟の技量を認め合い、また自己紹介をするとふたりが兄弟であることがわかった。かれらはそれぞれひどい扱いを受けてきたことを知り、義兄と義姉を結婚させようとたくらんだ。かれらは蘭の葉からバッグを、ヒマラヤ竹から櫛と口琴を作った。そして義兄には美しい女からの贈り物だと言って、バッグを渡し、義姉にはハンサムな男からの贈り物だと言って、櫛を渡した。ふたりは引き合わされると、ひとめで惹かれるようになり、すぐに関係を結んだ。義兄と義姉をはめたかれらは計略がばれるのをおそれ、サムダン・ケワは山うずらになって雪山の頂に逃げ、リンデン・ケワは雉になって低い丘の森に逃げ込んだ。

  (以下、既出のナハンマ儀式のムンドゥンと一部重複)スハンペバとラハドンマは朝から晩までみだらな行為に耽った。そして十七人のこどもが生まれた。かれらは一匹の雌犬を飼った。雌犬はかれらの糞を食い、かれらのために奉仕した。あるときラハドンマは雌犬にたいして怒り、戸の前で箒で打擲した。雌犬は逃げて、戸の前の屋根のある庭に身を置いた。しかしラハドンマは近づいて、スカートで雌犬を叩いた。雌犬は庭のなかを逃げようとしたが、ラハドンマは追いかけて、今度は足で蹴飛ばした。ひどい仕打ちを受けた雌犬は、不平を言うため、太陽と月と星のところへむかった。宵の明星があらわれたので、雌犬は近親相姦の主人のことについて文句を言った。が、宵の明星は月に相談するようにと言った。月に近づくと、月は星々に相談するようにと言った。星々に近づくと、星々は暁の明星に相談するようにと言った。暁の明星に近づくと、暁の明星は太陽に相談するようにと言った。太陽は天界の神々を集め、メッセンジャーを地上に送ることを決定した。メッセンジャー、すなわち鳥や虫たちは地上に降りると、ふたりがベッド上で愛撫しあっているのを見た。かれらはただちにこのことを報告した。

  天界の神々はふたりを別れさせることに決定した。近親相姦は嫉妬、羨望、悲劇、困難、不調和、堕落、魔、荒廃などをもたらすとみなされたからだ。かれらは籐、オーク樹、アカシア樹、サル樹、カスター樹などを使って別れさせることができたが、と同時に、ふたりは近親とは知らずに交わったことも判明した。それでスハンペバは八人の子とともにムリンラ・カリンラ・テンベ地方へ流され、ラハドンマは八人の子とともに、サンガラク・ヌガラク・テンベ地方(のちのサワ・イェタン)へ流されるだけという、温情ある処罰とした。

  こどもを選り分けるのに、かれらは篩を使った。篩を通過したこどもは母とともに、通過しなかったこどもは父とともに生きていくことになったのである。母とともに行動したこどもたちは、サワ・イェタン(リンブー)になった。父とともに行動したこどもたちは、サンバになった。篩の途中にかかったこどもは両側から引っ張られたため、手足がちぎれてしまった。それらは地上に落下し、悪霊の棲む樹になった。またその魂はサンバやイェバの守護霊になった。

  一部のサンバによると、スハンペバはソドゥン・レプムハンになり、ラハドンマはムジリ・ムボクワナと呼ばれるようになったという。

 

火のムンドゥンmisam mundhun

  かつてサワ・イェタン(の家族)は火を知らなかった。生のものを食べていたので、病気が多かった。かれらの母ティルリルン・タンデトルンマはピットルン・カンドクルンマに行けば、火をみつけることができるでしょうと言った。子供のなかで末の息子、セッチェレ・セネハンだけがそこへむかった。そこでは黒い牛と白い牛が朝から晩までずっと闘っていた。かれは牛糞の上で発する閃光を見た。そして白い結晶化した珪石と白い輝く石の上に発する閃光を見た。かれはこの閃光を家に持ち帰り、食べ物を調理した。調理したご飯を食べ、かれらは幸福感を覚えた。かれは火を草屋根のかたわらに置いたが、風が吹くと火が燃え移った。そのため六軒の家が焼け、八人が焼け死んだ。そのなかには水煙管を吸う者、酒を飲む者、足を大きく広げて囲炉裏の前で暖を取っていた物も含まれていた。カムボンバ・ルンボンバ(原住民)は災害を起こしたサワ・イェタンを捜しだす決定をした。八人の兄弟(イェタン)は窮地に追い込まれ、母にどうしたらいいかたずねた。母はかれらの父にきくようすすめた。そうして末の息子(セネハン)が派遣された。

  セネハンは父の居場所を知らなかったので、母にいっしょに来てくれるよう頼んだ。かれらはいっしょにムリンラ・カリンラ・テンベに行ったが、父スハンペバ(すなわちソドゥン・レプムハン)の家に近づくと、母ティルリン・タンデトルンマ(すなわちラハドンマ)は身を隠した。話の仔細を聞いて、スハンペバはサンバにしてペダンマのムゴプルン・ケゴプルンを派遣することにした。かれは火を除き、消し、火傷を治す知識とパワーをもっていたのだ。

  サンバは、樹の洞や岩から集めた水、八つの泉から運ばれた水、沼地の緑色の薄い層、魚の血、ブタ、樹木の枝葉、蔦などによって、火を除くことができた。

  だが、サンバが火を消すと、サワ・イェタンに火がなくなってしまった。それでかれらは住民代表を派遣し、別のサンバ(スケトリン・タンケトリン)を連れてきた。サンバはさまざまな樹木(スクパシン、サンマンシン、メンチンシン、ルンルンバシン……[4])のなかに火を探したが、ついにイセワシン(漆樹)のなかに閃光を発見した。こうしてサワ・イェタンの人々は調理した食べ物を食べるようになった。

  ところがかれらは守護神に食べ物を捧げるということを怠ったため、病気が蔓延した。そこであらたに招かれたプンギリ・プンガッポというペダンマが収穫祭をおこない、事態はかなりよくなった。しかしそれでも近親相姦、嫉妬、呪い、病気、罪の悪霊が絶えず、サジュウェット・マダンウェットというパワーのあるサンバによって、ようやく収束に至った。

 

魔、悪霊、亡霊の起源のムンドゥンsangdok aplek pokma

  ソドゥン・レプムハンは息子とサンバを見送りに少し丘を下りたところで、林に隠れている前妻を見つけた。かれには新しい妻がいて、別れた妻とは会わないという堅い約束をしていたにもかかわらず、いざ見てしまうと抑え切れなかった。かれらは悦楽にひたり、近親相姦のタブーをふたたび犯してしまった。かれらはさまざまな場所で交わり、その結果、昆虫、蟹、かたつむり、カエル、トカゲなどさまざまな生物が誕生した。西の平原で交わると、呪いを施す残酷な精霊(サケラ・パンペンディマ)が生まれ、東の土地で交わると、病気を起こす精霊(チャンベコマ・チャンダン・マティンマ)が生まれ、南の低地や北の高原で交わると、重い病気や不幸を引き起こす精霊(サケラ・パンペンディマとサケラ・ベベインマ)が生まれた。かれらはさらに交尾を繰り返し、苦悩や困難、失敗、不幸、死、荒廃などを引き起こすさまざまな精霊や亡魂がもたらされた。また呪いと悪意の精霊、タッペソ・ラレソ・ハンバがあらわれ、近親相姦、病気、犯罪などが発生した。

 

  サンバやイェバは、先祖の犯した罪による呪いを祓うため、生殖器の礼賛をしたあと、滔々と犬、ヤギ、ヒツジ、ヒマラヤ牛、馬、象、カエル、アヒルなどの交尾の様子を描く。

  ムンドゥンによると、もっともやっかいな呪いの精霊はサケラ・パンペンディマである。そこでサワ・イェタンのひとびとは、サワ・ユクプン・ヤンバに助けを求めた。サワ・ユクプン・ヤンバはその男根で樹を投げ飛ばしたり、枝を切ったり、雲を散らしたりすることができ、いつも男根を肩に背負って歩いていた。サンバとイェバはこの男神の力を借りてサケラ・パンペンディンマを鎮め、近親相姦や悪霊を避けるのである。かれらは原初の神ヤ・テトレレ・テンチイェッパYa tetlere tenchiyeppaをたたえ、チェッルン・コクルンChellung khoklung(近親相姦の象徴)を破壊する儀式をおこなう。この儀式によって、悪霊、魔、亡魂などを祓うことができると考えられている。

 

占いの儀式yeghek lengma

  イェバは真鍮プレートを激しく叩きながら、トランス状態にはいり、はげしく身体を震わせる。このときにイェバに憑く精霊は、ケバ・シレ(唖の守護霊)である。イェバは好き放題に家にはいったり、食ったり、不吉なものを壊したり、死者の衣服や持ち物を持ち出したりする。かれはこのとき喋らないので、身振り手振りで精霊のことばを伝えるが、リンブーの人々にはだいたいの意味がわかるという。

このときイェバは依頼者のために占いをする。つまり、これから身にふりかかるかもしれないできごと、事故、病気、死、いさかいなどのことを、ケバ・シレが(イェバを通じて)教えるのだ。イェバは依頼者の家だけでなく、トンシン儀式に参加しているひとの家にまで出向いて、この占い儀式をおこなうことがある。

 

花を蓄えるムンドゥンphung summa mundhum

  イェバ(イェマ)はまず、フンサリ(水を湛えた花瓶)に挿されたさまざまな種類の花を列挙する。この花々は乙女を象徴している。花は蓮花、ダリア、ひまわり、ジャスミン、チューリップ、クローカスなど。

  この花のムンドゥンは、結婚式の際にもうたわれる。

 

  プンバッコ・プンランガバPhungbakko phunglangabaとサンバッコ・サンランガバSambakko sanglangabaは、さまざまな場所で花の植物を育てようとしたがうまくいかず、アルナ・バルナという高地の湿地でようやく成功した。

植物はぐんぐんと成長して大樹となり、四方の地を覆わんばかりに枝を伸ばした。その樹から美しい花が咲きほころぶと、鳥たちが集まってきた。樹のもとにはひとりの美しい乙女がいて、歌をうたいながら花を摘み、髪にその花を挿すと、いっそう魅力的だった。そこへ低地からやってきた美丈夫があらわれる。かれらはたちまち恋に落ちた。やがてふたりの間に、プンバッコマ・プンファエプマ、プンバッコマ・プンギャリマ、プンバッコマ・プンシカマ、プンバッコマ・プンディナマという美しい娘たち(妖精)が生まれた。北方から来たシニュク・ムデン・ハンはかれらを嫁がせようとしたが、彼女たちは花の間に隠れてしまってうまくいかない。かれは大地も空も望むままに動かし、雷を呼ぶこともできると吹聴したが、じっさいはそんな力はなかった。ライク・カムブ・ハンも彼女たちを嫁がせようとしたが、成功しない。かれはプンバッコ・プンランガバに命じて樹を切らせた。

樹が斧で切られる間、ハトやセルロクワ鳥、セミなどの鳥や虫が飛び出てきた。それらは憂鬱、悲哀、感傷の鳥や虫たちである。また斧を数度振り下ろすと、カップルの歌手、マンジリ・マンガンジャバとマンジリ・マンガンジャマが出てきたが、ナヘン(嫉妬と羨望)のために生き長らえることはできなかった。ついでチッリマ・ペスンマが呼びだされ、歌手ケワ・プンバ・マンデンハンバが倒された幹から出てきた。かれらは〈生命花〉の歌手になった。一本の枝が水に落ち、漁師がそれを拾った。枝はさまざまな楽器になった。倒木からは歌手にして庭師のイェプリン・ケンバとトリン・ケンバも出てきた。樹が倒れるとき、枝が最初の夫婦(フンバッコマ・フンケミャンマとアバソ・パタラハンバ)とフンバッコ・フンランガバ、サンバッコ・サンランガバに当たった。かれらは病気を患うようになった。しかしケワプンバ、イェプリン・ケンバ、トリン・ケンバが〈生命花〉の歌をうたうと、健康を取り戻した

 

  サンバ、イェバ(イェマ)はこのムンドゥンにつづいて、セクムリ花(セロリ)の歌をうたいはじめる。セクムリ花は人間を象徴していて、この歌をうたうと、リフレッシュし、元気になると考えられているのだ。

 

神々の起源のムンドゥンlahi namhi kubokuma mundhum

  天地創造と神々の誕生の神話は、三日目の朝、うたわれる。

 

はじめ、世界にはなにもなかった。真空だけがあった。真空と孤独があった。そして真空のなかに、なにか動くもの、力のようなものが生じた。それがアッティヤ・ムスンネ・マン、ムウンガ・カウンガ・マン、アラッピ・ジャッラッピ・マン、ウパンゲク・プパンゲク・マン、アチュニ・アレカ・マン、カンブタク・イジャンボ・マンであり、サワラ・イェトゥンゲク・マン(八つの形と名をもつ神)だった。かれらは網を広げはじめた。それから、アディンルン・パパルン・マン(白いたまごのすがたをした神)ムロクルン・ケロクルン・マン(天と地獄の創造神)イジャンブ・イダカ・マン(網を広げる神)があらわれた。かれらは縛られていたので、汗をかいた。それは湖になった。ティクスンバ・マン、ニスンバ・マン、スムスンバ・マンが同時にあらわれた。サワラ・イェトゥンゲクマがおのれの胸から乳を絞り、湖を満たすと、それは海になった。ムジリ・ムボクワマ(創造の女主人。サワラ・イェトゥンゲクマの別名)がからだを震わせると、白と黒の斑の牛(パジヤン・ピット・マクチヤン・ピット)があらわれた。牛が鼻を鳴らし、鼻水を飛ばすと、それは虹になった。サワラ・イェタンゲクマの髪が海に落ちた。それは、蛇やさまざまの魚になった。

  手足のあるふたりの神――フクトラケク・マンとラントラケク・マンが海のなかにあらわれ、種を撒きはじめた。そこで植物は成長しはじめた。すべての神々がそこの集まり、宇宙の創造について考えた。かれらは樹を切り、その枝をさまざまな方向に投げた。かれらは一本の枝からかき混ぜ棒を作り、それで海をかき混ぜた。空気と雲と霧があらわれた。かき混ぜているとき、棒が巨大な魚に当たった。それによって地震が起こった。かれらがさらにかき混ぜると、水滴から星、月、太陽があらわれた。またチュンジハンバ・イェッチャハンバ、ラオティマ・プンパハンマ、タゲラ・ニンワフマと家臣などの神々があらわれた。さらにかき混ぜると、大地、空、空気、水の主があらわれた。

  神々はかき混ぜるのに疲れ、腹が減り喉が渇いたので、飲み食いをしていたら、一番若い神タクディゲク・ヤンディゲク・マン・ネンタックム・イメタン・マンのことを忘れてしまった。かれは死と破壊の神なのである。神をも死に至らしめるほど、パワーをもっているのだ。かれは無視されたことに腹をたて、洪水と浸食をもたらした。死や死者の国に関係する神々も、そのとき多数あらわれた。

  白と黒の斑の牛のすがたをした神は、海の水を飲み、おのれの身体を舐めた。そのとき毛が唾液とともに抜け落ち、海の表面でミミズとなって台を形成した。ミミズは土を作ろうとしたが、いまだ土はできなかった。いっぽう白いたまごのすがたをしたアディンルン・パパルンマンは、創造神ポロクミ・ヤンバミになった。ポロクミ・ヤンバミは台上に花の植物を育てた。それは大きな樹に成長した。その枝は四方に拡がり、東方の枝に咲いた花は紳士淑女の花となり、北方の枝に咲いた花は若い男女の花となり、南方の枝に咲いた花は呪いと禍の花となり、西方の枝に咲いた花は悪霊の花となった。樹はまた大きな果実をつけた。すると樹にとまるように鳥が造られた。鳥が果実をついばむと、それは海に落ちてつぶれ、飛び散ったものが島になった。さまざまな鉱物が島に誕生した。ポロクミ・ヤンバミはさまざまな色の土を付け加えた。また草を大地に縛り付けた。ナワラ・スムバンム(三神のあらわれ)ネンタックム・イメタン・マン(洪水を起こす神)ヤクチュンマ・マン(怒りをあらわにする神)ヤハクマ・マン(宥めるのが難しい神)などがポロクミ・ヤンバミを手伝って、地、川、湖、山、樹、森などを造った。

  あるとき、八つの太陽が輝きはじめた。カムジリ・カムボンバ-ルンジリ・ルンボンバ(原住民)の子孫たちのうち、ある者は、ヤギの糞玉が重すぎて運べなくなった。ある者は、竹の葉の陰に隠れることができた(それほど竹が成長した)。ある者は、薪として羊歯を切らねばならなかった。ある者は、(低木樹の)胡椒を採るのに、棒を投げた。かれらは熱に耐え切れなくなった。

  かれらはまず年長の鳥たち、コワとシヤに、どうしたら太陽を殺すことができるかたずねた。しかし鳥たちは、いつも雲のなかにいるので太陽の殺しかたは知らない、と答えた。かれらは他の鳥や動物にたずねたが、答えはおなじだった。つぎにラプメユン・ラポドゥク鳥(羽も翼もない鳥)にたずねると、羽翼をくれたら太陽を殺してあげようと言った。イワ・ハラ地方ではネズミに会った。ネズミは報酬をくれたら太陽に通ずる穴を掘ってあげようと言った。人間が穀物を育てるようになる頃、ネズミは報酬を得るようになる。かれらは竹の子を食べる虫にも近づいた。虫は竹に穴をあけ、太陽にむかって動くことができると答えた。最後に裸のやまあらしのところに行った。かれらはやまあらしにさまざまな鳥や動物、植物の羽や針を着せた。その針は輝く矢となり、また毒をもつようになった。

さて虫やネズミたちは、やまあらしのために竹に穴をあけた。やまあらしは穴を通って太陽の道に近づき、待ち伏せした。太陽チュクチ・ナムバChukchi nambaがあらわれたとき、やまあらしは針を放ち、その心臓を射た。太陽は激痛のあまり叫び声を発し、空にこだました。それは、トクテレ・トゥンタンワ・サンマンToktele thungthangwa sammang(鍛冶師と職人の神)になった。一本の矢は、太陽の眼に当たった。眼はケジクソ・ケランガ・プン地方に落ち、閃光(稲光)と雨の神、ミセク・サンマンMisek sammang(またの名を傷ついた眼の神)になった。やまあらしはまた、太陽シキレ・ナムバSikire nambaを射た。流れ出た血はムダックム・セワ・チョン地方に落ち、ハンターの神タクサンバ・サンマンTaksangba sammangになった。太陽カムドン・ナムバKhamdong nambaから流れ出た血はムジリ・ムロン・タジリ・タロン地方に落ち、ライ(族)に信仰されるテトレレ・テンセガマ・マクジリ・マクランガマ神になった。同様に、太陽ワサ・ナムバWasa nambaの血からは森の神カプトク・ヨバン・ダンマKaptpk yoban dangmaが、太陽ユクリン・ナムバYukling nambaの血からは、空を飛ぶ神ピポリマ・ヤンコンジョマPiporima yangkhonjomaが、七番目の太陽チュンギ・ナムバChungi nambaの血からは生命の花の神ネッティ・フンワ・サンマンNetti phungwa sammangが生じた。このほか太陽の血から、らい病の神シンラ・マンワ・サンマンSingla mangwa sammangなどが生まれた。

また血を浴びて、サベンシンマ樹はソガ(異常死の魂)の樹となり、しゃくなげはナヘン(嫉妬)の樹となり、タカプシン樹、エチェシン樹などはミクワシン(悲しみ)の樹となった。

  太陽の死体や器官は、地上の生物に影響を与える神々である惑星(Lahi namhi太陽と月の糞)になった。それらは、喜びと悲しみ、快楽と苦痛、幸福と不幸、希望と恐怖、成功と挫折などの源泉となるのである。

  さてやまあらしが地上に戻ると、カムボンバ・ルンボンバの後裔たちは拍手喝采で迎え、将来人間の畑でかれが自由に穀物を食べることができる特権を与えた。しかし、最後(八番め)の太陽は身を隠し、やまあらしも見つけることができなかったので、地上は闇に覆われていた。星だけが道を照らした。夜光樹と夜光虫だけがみずから光ることができた。けれどもほかの生物はいかなる解決策をももたなかったので、太陽を慰撫するため代表団を送った。だが、鳥も虫も成功しなかった。唯一太陽の身体にもぐりこむことができたのが、シラミだった。シラミは太陽をくすぐり、抑え切れなくなった太陽は笑い出した。その瞬間、光が射しはじめ、夜が明けたのである。

 

この儀式が終わるとき、サンバとイェバは、祭壇を含むすべてのものを西の方向にある川岸にもっていき、さまざまな種類の種といっしょに川に投げ入れる。この儀礼をマンフップ・アデンマと呼ぶ。川には去勢していないオスのヤギか、ニワトリ、ハトなどが捧げられる。マンフップ・ペレンバという儀礼では、ブタ、十羽のニワトリ、六個のタマゴが捧げられる。ミセクパ(閃光と雨の神)やアラクマ(水神)も祀られる。

 

花を選り分けるムンドゥンphung semma mundhum

 川にむかう前に、サンバやイェバは人間のためになる花を選り分ける儀式プン・センマをおこなう。

 

  コディナ・レッペナ・プンは飲み水の花、ジミヨ・ラミヨ・プンは星の花、ラドク・ナムドク・プン(向日葵)は太陽の花、クヌリ・リラムは祭壇の花、ミクティッケ・プンは神々の花、マロティ・プンとマハンマ・プン(ダリア)は神と人間の生活の花、シンジャンゴ・ウェトジャンゴは山の尾根の花、オンダンは虎の花、サンゴピ・リンゴピは急斜面の花、ヤクチリ・ヤッカワ・プンは森の樹の花、サンドン・プンは洪水と崖崩れを防ぐ大地の花、カオディ・セルレンワは近親相姦の花、セクムリ・プン(セロリ)は若い男女の花……。

 

  サンバやイェバはセロリの花を選り分けながら、神秘の花園イェプリン・ケンバ・トリン・ケンバを呼び起こす。雑草を取り除き、セロリの花を整えながら、歌手マンデン・ハンバ、ケワ・プンバ、カンボリンマ・ケワスマ(蜂の化身)を呼び出し、サルゲクナ・プ鳥の害から花を守らせる。またテンチイェップ・イェバを呼び出し、病気、事故、災害をもたらす花々を投げ捨てる。花々といっしょに悪霊や禍をもたらす精霊も駆逐し、それらの道を塞ぐ。

  サンバやイェバはセクムリ(セロリ)に祈りを捧げ、いつまでも繰り返し芽吹き、花咲くことを、すなわち(依頼主の)幸福と繁栄を願う。

 

イレレ・イドゥクナマのムンドゥンIrere idhuknamaren mundhum

  ソドゥン・レプムハンとラオティマ・フンファハンマの間に生まれたパジョイバ・テントゥムヤンバとイレレ・イドゥクナマは、最初から近親相姦の間柄だった。かれらからはラゲレクパとナムゲレクパが生まれている。

  パジョイバ・テントゥムヤンバとイレレ・イドゥクナマがおとなになったとき、これ以上夫婦生活を送るべきではないと悟り、イドゥクナマは兄に妻を娶るようすすめた。テントゥムヤンバは北に行き、美しい女を探して連れてきたが、妹の嫉妬が邪魔をして女は帰ってしまった。かれはあらゆる方向から女を連れてきたが、妹の嫉妬のためにみな帰ってしまった。ようやくヨスゲン・チャンゲンハンのところへ行き、その娘ルプリ・アダンハンマを連れてかえると、今度はうまくいった。これが最初の親戚外の婚姻だといわれる。結婚の儀式は厳粛におこなわれ、神々、天霊、大地、守護神、紳士淑女の見守るなかで誓願がたてられた。

  二、三ヶ月後、アダンハンマは子供(ラポティ・ラフンヤンバ-ナムポティ・ナムフンヤンバ)を産んだ。アダンハンマと夫テントゥムヤンバは、いつも畑で農作業をし、イドゥクナマが赤ん坊の世話をした。畑仕事をしているとき、アダンハンマの胸から乳がこぼれ、彼女は子供のことを思い出した。それで家にもどると、赤ん坊の泣き声が聞こえ、アダンハンマが子供をののしっているところだった。「あんたはどこのだれだかわからないてて親とあばずれ女からうまれた子さ」「あんたは夜っぴて泣いてばかり」「ろくな家柄の子じゃないよ」「あんたの父は枕の上で肉を切るような奴さ」などと言いながら、足で揺りかごを蹴飛ばしていたのである。アダンハンマはその夜ベッドのなかで夫にそのことを告げた。

  テントゥムヤンバは子供の扱いが悪いと妹をなじり、刀をふりかざしてあやうく殺してしまうところだった。が、イドゥクナマは兄が妹を殺すべきではないと、とどめた。しかし彼女はもっといい手があるとほのめかしたのだ。その案にしたがってテントゥムヤンバはさまざまな花を集めた。そのなかにはソマ・フン(病気をもたらす花)も含まれていた。花々を八つの束にまとめて家にもってかえると、イドゥクナマは花の美しさに魅入られ、これをプレゼントしてほしいと兄に言った。兄は花束を妹の胸に投げた。そのときから彼女は胸に痛みをかんじるようになり、あらゆるフェダンマに診てもらった。だがフェダンマたちは臆病で、テントゥムヤンバから買収されていたので、だれもほんとうのことを言わなかった。彼女の胸は腐りはじめた。

  ポクティンバ(フクロウの意)というパワーをもったイェバがいた。このイェバは、病気の原因と彼女の死ぬ時期とを彼女に教えた。テントゥムヤンバは秘密を暴かれたことを知って、このイェバの首を刀で切り落とした。しかしこのイェバはパワーをもっていたので、首を繋げることができた。

  手当ての方法がなかったので、イドゥクナマは死んだ。死後、彼女はテトララ・ラピヤンマと呼ばれるようになった。

イドゥクナマの息子たち、ラゲレクとナムゲレクは母親の遺体をバナナの葉に包み、竹の担架に載せ、やや離れたところに埋めようとした。しかしカムボンバ・ルンボンバ(大地の最初の末裔)は土地に埋めることを認めなかった。つぎにかれらは遺体を川に運んだ。だが水中の生物たちがそれを許さなかった。そして森にはいり、遺体を吊るそうと考えた。だが鳥たちが反対した。最後にかれらは遺体を山にもっていき、岩の裂け目に安置した。かれらはそうして家にもどり、畑仕事をした。奇妙なことは、毎日仕事が完了しないのに、翌朝畑に出ると、仕事が完了していたことだった。いぶかしく思っていると、郭公が、母親が毎晩やってきては未完了の仕事を終えていくのだと教えた。かれらは夜畑に行き、母親と会うことができた。母親が言うには、祖先の地へ行く道がわからないので、こうして地上をさまよっているのだという。彼女は息子たちに、祖父ソドゥン・レプムハンに会って、死者の魂がこの世を離れるにはどうしたらいいのかたずねてほしいと頼んだ。

  同じ頃ソドゥン・レプムハンは、クマンバチ、スズメバチ、青バエから娘(イドゥクナマ)の死のことを聞かされた。かれは息子テントゥムヤンバの地に降り、息子とその妻アダンハンマを殺した。息子は稲妻になり、義娘は沼地の精霊になった。ソドゥン・レプムハンはさらに孫のラプンヤンバ・ナムプンヤンバも殺した。かれは炉で孫を叩きのめし、主柱の下で踏みつけた。孫はどうしてこんなことになるんだと叫んで訴え、そのときソドゥン・レプムハンは孫が無実であることを知った。かれは孫の魂を鎮めて主柱の神サバクルンマ・アクワナマとし、人々にいつも食べ物(ニワトリ、ブタ、香料)を捧げるようにと言った。かれは息子、義娘、孫を殺害したあと、急に冷めてきた。子孫がみな死んでしまったと思うと、悲しくなり、涙が頬を伝った。このときから水によって涙を除く儀式ミクワ・サンマがはじまった。

 

  家に戻るとき、玄関でヒワ・ドゥクマ(ソガの涙を除く)儀式がおこなわれる。水瓶、刀、コイン、黒のニワトリが準備される。サンバやイェバが葉や植物の束で水瓶の水を掬って、ひとびとにふりかける。これは顔の涙を除くことをあらわしている。また(儀式の)依頼主の額に、ニワトリの足から垂れた血を塗る。そして依頼主から悪霊を駆逐する動作をする。こうしてソガは除かれ、浄められるのである。

 

ヤグランシン竪てのムンドゥンyagrangsing phongma mundhum

  三日目の夜、あらたにポール(ケシン)が竪てられ、その上部に祭壇が設置される。ポールには大きな竹籠と長い円筒形で空洞の太鼓(ニヤラ・ハングシン)が結われる。トンシンが樹幹の足元に置かれる。(二三ページ参照)

  ミハッルン・マンホーマmihatlung manghoma(炉崇拝)儀式をおこないながら、ユマに祈願し、アクワナマ・マンホーマakwanama manghoma(主柱崇拝)儀式が終わると、ヤグランシン・ポンマのムンドゥンがよまれる。

  サンバは導入部として、創造神ムジョクルン・ケジョクルンMujoklung khejo -klungがサワ・イェタンと子孫たちを救うために、ペダンマのプンジリ・プンガッポ、サンバのサジュウェト・ムダンウェト、イェバのチッリマ・ペスンマ、ネンジリ・ネンメトゥム、ランディンマ・ソディンマを派遣した話を語る。かれらは必要な道具と知識と技術を携えて、サワ・イェタンの地にやってきたのである。

 

  まだ見ぬ世界で /尊敬する母の子宮で /宇宙の創造主(によって)/人類の宿命の神(によって)/運命の審問官(によって)/サワ・イェタンを救うため /ひとびとを救うため /若者を救うため /試練に耐え /使命を帯びてやってきた

 

サンバはポールの傍らで守護霊たちを呼び出し、太鼓あるいは真鍮のプレートを叩きながら、トランス状態に陥っていく。そのとき、パワフルな精霊たち(シレ)、すなわち象のシレ、虎のシレ、熊のシレ、くまんばちのシレ、すずめばちのシレなどを呼び出す。そしてチルリマ・ペスンマ(魂を回収し、導く精霊)にひとびとの魂を回収し、旅立ちの緒につかせるよう祈願する。その旅は渡り鳥についていくような旅である。

  旅はトンシンからはじまる。かれら(サンバ、弟子、依頼主、親戚、守護霊などの魂)はポール(ケシン)の数段の(象徴的な)階段を上り、また地面に下りる。それから家のなかにはいり、家霊アクワナマの棲む主柱へ、さらに炉へとむかう。炉の上にぶらさがる鉤、竹籠、煤だらけの梁などをめぐって、家のなかの階段を駈け上り、屋根の棟木に出る。サンバは月と星の明かりのなかで、屋根から村を眺める。そのときに何が見えたか――よい徴か悪い徴か――をサンバは語らなければならない。

  一行は屋根から庭に下りる。それから(ここから象徴的な、幻視的な旅がはじまる)かれらは羊歯や菌類に被われた道、あるいはセルロブン樹に被われた輝く道、あるいは栗樹に被われた陽の当る道、あるいはタベブン樹の白い花に被われた道、あるいはブナ、カシの森を通って、祖先の地へと向っていく[6]

かれらはセルロブン樹、ムクトブン樹、トゥッパシン樹、パンパンブン樹などを見つけると、サンバはグルたちを呼び戻す。かれらは下生えの刺の多い草に注意を払いながら進まなければならない。それから黒い果実に被われたハンガンセ樹を見つけるだろう。これらの樹には悪霊が潜んでいるかもしれないので、注意ぶかく進む。そして菊の花――死者の花――に被われた場所を見つける。かれらは魂が行方不明にならないよう、ことに注意しながら進む。さらに行くと、木蓮の白い花やつつじのカラフルな花が咲き乱れた場所に着く。また斜面を上がっていくと、霧と雲のなかに松の樹々があらわれるだろう。道の途中にさまざまな鳥や獣を見ながら、さらに高みへと登っていくと、あまたの泉が列になっているところへと到る。それらは女神タゲラ・ニンワプマ、トゥットゥ・トゥムヤハン(紳士)、ヤクラ・スハンマ(淑女)、サワラ・イェッチャム(尊敬される魂)、シパク・イェミ(シャーマン)などの泉なのである。また清水の湧き出る場所があり、蛇神や亀神の聖域となっている。

また楽器演奏者や木こり、庭師、竹細工師、牧夫、陶工、市場で家禽・ブタ・織物を売る女たちの村がある。そこではとくに陶器の破片に気をつけなければならない。なぜなら破片のなかに悪霊が潜んでいることがあるからだ。

  美しい泉の地を抜けると、沼地に出る。しかし沼地の手前には、のこぎり状の丸太が道を遮っているので、それを飛び越えなければならない。

  サンバは「火」(ムックム・セメ)を前に行かせ、ナヘン(嫉妬)や悪霊を破壊させて道を開く。かれらは急斜面を上り、つづく細い道を進んで、こどもたちの魂が楽しそうにに遊ぶ至福の地、ヘンジリ・ヘンパンヘ・チョトルンに到着する。

  さらに陰や隅を通って、若い男女が楽しく歌い、遊ぶ理想の地、シサ・メンチンナリ・タンベン・イェプマデン・チョトルンに到る。ここはかつて若い男女が集い、歌い、生命の花を作り、男は石投げをし、女は手編みを楽しんだ場所であった。

  ここに着くと、サンバはムンドゥンを終え、ハクパレの歌をうたいながら、フンワ・チャンマ(花育て)の儀式をおこなう。サンバはソドゥン・レプムハンなどの神々や花園の守護霊を呼び出し、花がより新鮮に輝くようにと祈りながら、花々の根から雑草や砂利を取り除く。フンサリ(花で飾られた水瓶)の持ち主(乙女)はフンサリを頭上に載せ、樹幹のまわりを数周まわる。この儀式は嫉妬ぶかい眼から花を守り、生活をより輝かしく、魅力的にするためにおこなわれるものである。

 

成長する花の歌phungwa changma samlo

  美しい池にアオサギがやってきて、池の中央の丘(島)にとまった。アオサギはまわりを見まわして、夜の土(糞)を捨てた。神の温情によって、そこに花の植物が育ちはじめた。その種子はまわりに拡散し、花がいっせいに咲きほこる頃、そこは世にも美しい花の丘になった。

  花の丘には女神ケユンチョ・ユンチョダがあらわれ、また花の乙女たちもあらわれた。そのなかのプンレティマは花を植え、フンビトナマは雑草と砂利を除き、プンアムラマは水撒きをした。

  花の丘に咲いたのは、人の命の花セクムリ(セロリ)、香りのよい花シンジャンゴ、紳士淑女の花コジャイ・プンなどである。また、儀礼用の花メンジャイ、ペダンマの花ナムヨバ、サンバの花サプシンやムクトゥブン、イェバの花ティアムラ・テアムラ(蘭)なども丘を飾った。

  儀礼に使われることのない悪霊の花チュワット・プン(菊?)、男は使わない花レクワセン・コピプン、女は使わない花タベ・プン、死者に捧げられる花ミクチリ・プン、虎の花オンダン・プンも花の丘に育つ。これらは選別され、西に向って投げ捨てられる花々である。

  ほかにも香りのよい花キラベ(菊?)、身体を冷やす花マハンマ(ダリア?)、姉妹の花ヤンシンゴ、兄弟の花トパラ(マリゴールド)、こぶし状の花フクジリ・フク・カクレム・フン、足跡状の花ランジリ・ランコクレク・フンや旱魃・霜の害を防ぐインナンマ・チョメナ(ジャスミン)なども咲く。

  この歌(ハクパレ・サムロ)が終わると、柱をまわる儀式がはじまる。
 

石投げ儀式 paklung lepma

  ポクルン・レプマ(石投げ)は若者の勇敢さを示す気高き競技であるが、今日では儀礼のなかにその栄光の残滓を見ることができる。

 

  ムンドゥンによると、かつて地上を冒涜の波が襲い(そのため旱魃が起こったので)創造神ポロクミ・ヤンバミは水平線にむかって石を投げ、雨をもたらそうとした。石はサコルン・コンワとラコンルン・コンワに落ち、陶製の壷に当って(なかの水がこぼれて)雨が降り、地上は旱魃を免れることができた。

  石を投げる前に、創造神はカムボンバ・ルンボンバ族(先住民)との間で、かれらが設定したラインを越えないと、どしゃ降りと屈辱がもたらされ、石が割れると、破片が悪霊となって投げ手に害をもたらす、という取り決めがなされた。反対に成功すれば、繁栄がもたらされるのである。

  カムボンバ・ルンボンバのサクペラ・ティゲンジョンバがラインを設定し、創造神ポロクミ・ヤンバミは毎度それを越すことができたので、陶製の壷は割れて水をもたらし、その結果地上は青々としているのである。

 

  ポクルン・レプマが儀礼のなかでおこなわれるとき、サンバの指示にしたがって若者が石投げの動作をする。

 

死者のトンシンを分ける儀式 khema tongsing semma

「若者の花」を捧げたあと、旅はつづいて川の手前にたどりつく。

川に橋(シンサ・タオ)を架けるため、精霊アチュムブン・アロティ・マンとシンサラ・タオディン・マンが呼び出される。この橋は現象世界(現世)と異次元世界(彼岸)との境目とみなされる。橋の建設にあたっては、川の神「憂鬱な暗い顔をした足長神」マクチソ・クラン・ケンバ Makchiso kulang kembaの許可が必要とされる。

  サンバは悪霊や悪巧み、嫉妬ぶかい他人の罠などを畏れ、火(ムクム・セメ)を先に遣って道をあける。道は剣の刃のように細い。ときには牛の蹄の跡のような窪みであったり、水の涸れた峡谷のようであったりする。一行は三つの道が交わる所(スムラムド)に着く。すなわちかれらの道がサシク・ヤンダン(死産児の霊)の道とナソ・タッパン(悪魔、魔女)の道とそこで交わるのだが、一行は来た道をまっすぐ進まなければならない。

  かれらはさらに上り、八つの道が交わる所(イェトラムド)に到着する。そこではサムソガ(異常死者の魂)の道やスグット(出産時に死んだ女の魂)の道が交わる。死者の国ケマ・ヨンソン・パンベへ通ずる道も交わる。この道はチャンジプブン樹(樫)やメディブン樹に被われている。

  サンバは道の交差の神ププルバ・タゲセンバPhupuruba tagesembaを呼び出し、生者のトンシンと死者のトンシンを分ける儀式をおこなう。サンバは、生者のトンシンをあらわすスティックと、死者のトンシンをあらわすスティックの間を結ぶ糸を断ち切る。さらにケマ・トンシン(死者のトンシンのスティック)を土ごと抜き、それを刀でずたずたにして、西方に投げ捨てる。またムクシン(生者のトンシン)を清水で浄め、依頼主と親戚を浄化する儀式をおこなう。浄化は、特別の樹の枝によって、八つの方向の八つの水源から取った水を参加者に振り撒いておこなわれる。枝は西の方向に投げ捨てられる。

  つづいて、死者の国ケマ・ヨンソン・パンベに通じる道の途上の橋を壊す儀式がおこなわれる。橋がなくなれば死者の魂はもう地上に戻ってくることはできなくなると信じられているのだ。

  一行はふたたび道を進んでいく。左側には、ペダンマ、サンバ、イェバ(イェマ)の起源地へ通じる道がある。サンバとアシスタントはそこに行って、ひととき休む。それからブタの頭部を樹幹上部に設置した祭壇上に捧げ、祈祷してグルを呼び出す。サンバは新穀を刈り入れ、分量をはかり、脱穀し、選り分け、それを神々に捧げる。そして四人の若い男と五人の若い女が参加して、米搗きのドラマが演じられたあと、かれらは樹幹のまわりを数度まわる。

  一行は道の交差する所にもどり、フル装備で祖先の地へ通ずる道を進みはじめる。そのあとかれらは平和と円満の地、太陽と月の地、完遂と充足の地、魅惑的な風景の聖地へと至る。この場所こそが旅の目指した所であり、紳士淑女の地(つまりひとがあるべき姿である地)なのである。

  ネックレスで飾られたトンシンと、刀で飾られたトンシンを揺らす儀式もおこなわれる。

 

湖を守るための囲いを作る儀式 warak thengma

  ソドゥン湖はひとの命を象徴する湖である。この湖は水がなみなみと満たされていなければならないので、サンバは四方の大海、四つの川、泉や井戸の水を汲んで湖に注ぐ。すると湖は水に満ち、大地は青々と茂り、花は咲き乱れるだろう。だがそれだけでは十分ではないので、魚や水中生物を入れる。また魚の棲み処として岩を置き、魚の遊び場とするためざらざらした、あるいはなめらかな砂や、白と黒の石を加える。

  いまや湖は完璧な存在である。そのため嫉妬と羨望(ティンディン・ナヘン)が危害を与えようとするかもしれない。だからサンバは湖の周囲に囲いを作って悪しき霊を防がなければならない。

  最後にサンバは女神ムアクルンマ・アクワンナマ・ケセワナ・ワファラナを呼び、湖を守る役目を負わせる。

 

ムンドゥンのクライマックスの儀式 samjik mundhum chotlung kepma

  さてついに旅の一行(サンバ、助手、守護霊、人びとの魂)は目的地についた。サンバは創造女神ムジョクルンマ・ケジョクルンマ、守護霊(祖霊)ソドゥン・レプムハン、力の神カンボリン・ナハンマ、踊りと技術の女神ハララ・ピチャンマ、全知全能の女神タゲラ・ニンワプマ、用心深い女神ティワコマ・ティアンハンマなどを呼んでこの場所を守らせ、猿神カクチュム・サバなどを入れさせないようにした。

  儀式が終わると、サンバはすべての魂を集合させ、もと来た道をケシン(サンバのポール)へ向けてたどっていく。サムダン・ケワ(雉)やリンダン・ケワ(山うずら)には道を撹乱して悪霊の目をくらませ、マクチソ・クラン・ケンバ(川の神)には悪霊の足を引っ張ってもらう。

 

魂を回収し、手渡す儀式sam phungma lingma

  サンバは魂を回収する儀式をおこない、庭のあらゆるところ、とくにポールのまわりから、あるいは籠、鈴、貝殻、羽根、そして水を張った真鍮プレートに入れられたトゥッパ樹の葉(ないしサプシン樹の葉)、やまあらしの針、インコの羽根から魂を回収する。通常魂は身体に付着しているが、ときおり外界をさまよう場合がある。さまよう魂は傷つきやすいので、魂の回収は慎重におこなわなければならない。サンバは真鍮プレートの葉、やまあらしの針、羽根にふくまれる水滴(魂の象徴)を参加者の身体に振りかける。これで魂が手渡されたとみなされるのである。

 

死の道をふさぐ儀式 silam sakma

  死の道をふさぐ(シラム・サクマ)儀式をおこなうとき、サンバは起源のムンドゥンをうたう。

  サワ・イェタンの人々は、病気や死が発生するようになったとき、女神タゲラ・ニンワプマに助けをもとめた。女神は病気を治し、死をなくすため、サンバのシゴンダ・テゴンダを派遣した。しかしこのサンバはサワ・イェタンのチンリン・ハラ・テンベに落下し、災難と突然死をもたらした。そこで女神はサンバのタップラ・テヨンゲを派遣した。このサンバはシラム・サクマという特殊な装置を用いて死の道をふさぐ儀式をおこなった。

  シラム・サクマとは、まず、二本の削り花スティック(両端を削ったもの)を交差して十字形にし、糸を網状に(ダイアモンド状に)張り巡らしたものである。シラム・サクマを悪霊は通り抜けることができない。いわば悪霊用の鳥もちのようなものなのだ。

  この儀式のとき、ブタが捧げられる。つぎに一ルピーコインが空中に投げられ、期待された面が出れば、死の道は塞がれたとみなされる。期待された面が出るまで何度でもコインは投げられるので、いつかはその面が出ることになる。一種の占いだが、吉が出るまで繰り返す縁起担ぎである。

  サンバはムンドゥンをうたいながら、すべての参加者にシラム・サクマを授ける。かれらはそれを持ち帰り、炉の上や戸に置くと、死は家のなかにはいってくることができない



嫉妬と羨望の霊を防ぐ儀式nahen sakma

  最後の日、シラム・サクマ儀式のあとに、嫉妬と羨望の霊を除く儀式(ナヘン・サクマ)がおこなわれる。ナヘンはもっとも怖れられている悪霊である。不成功や病気の多くは、ナヘンによって起こされたとみなされる。この儀式によって、無病息災のみならず、長寿、豊作、子孫繁栄などが達成できると考えられているのだ。

  ナヘンの道をふさぐために、シディンバ(とうごま)、ティンレク(きいちご)、マンロッパ(?)、バナナなどの枝を、道の交わるところ、あるいはトンシン儀式開催の家の道が大通りにぶつかるところに、一列に植える。そしてそこに削り花スティックやサプシンの枝、ユクミバ(葦)を水平に、あるいは垂直に組み合わせ、植える。竹箕の上にバナナの葉とフンサリ(花束の挿された水瓶)が置かれ、タマゴが載せられる。またナヘン(嫉妬と羨望)の源泉と信じられる家中の物も箕に入れる。サンバやイェバは助手とともにブタ、あるいはニワトリを犠牲に捧げる儀式をおこない、その血をバナナの葉の上に撒く。かれらは雄叫びをあげて、魂を鼓舞し、神々に祈りを捧げる。

  トンシンの世話をし、悪霊を駆逐する神は女神ティバッコ・ティアンナマであり、この女神は家神アクワナマとなって家を守護するとも信じられている[9]。かれらはこの女神にトンバ(雑穀酒)、ロキシー(蒸留酒)、米、穀物、ニワトリの頭部、羽、右腿を捧げる。また、水、シコクビエ、麹、肉のはいった竹筒(ペハン)が神々に捧げられる。女神はこれらの植物を三年、あるいは八ないし九年、守ってくれると信じられている。サンバやイェバたちは、女神のために長い踊りを捧げる。

  このあとかれらはさまざまな神を呼び出す。女神タゲラ・ニンワフマ、祖神ソドゥン・レプムハン、山神の娘ティリルン・タンデトルンマ、守護霊サンメトゥム・イェプメトゥム、ムイヤ・シレ、舞踊神プンビッチョ・タンランマ、技術神ハララ・ピッチャンマ、自然神レクワソ・チャムヨク・ダンマなどに祈りを捧げ、とくに依頼主のために祈る。

最後にポールを引き抜く儀式をおこなう。抜かれたポールは東の方向のどこかきれいな場所に投げ捨てる。サンバやイェバは庭と家を、ヤクの尾か箒で水を撒いて清める。サンバやイェバは盆の上に置かれた若干のお金を謝礼としてもらい、フンサリ(水瓶)や米、食べ物などをもって家路につく。こうしてトンシン儀式は収束する。

 

「参考文献」

Chaitanya Subba “The Culture & Religion of Limbus”

Philippe Sagant “The Dozing Shaman” また‘Becoming a Limbu Priest’ (“Spirit Possession in the Nepal Himalayas”)

Rex Jones ‘Limbu Spirit Possession and Shamanism’ Ibid.

Shirley kurz Jones ‘Limbu Spirit Possession’ Ibid.

Stan Royal Mumford “Himalayan Dialogue”

トニー・ハーゲン『ネパール』(町田靖治・訳)白水社