ミケロの旅日記 独竜江ふたたび

2011年7月11日 怒江(サルウィン川)上流 貢山

 15年ぶりの貢山は、記憶のなかの貢山とまったく違う町だった。町の入り口の怒江に架かる鉄橋はずいぶん小さくなった(と思われた)が、町自体は商店やレストランが軒を並べ、活気が感じられた。大理風味を看板に掲げた食堂が目に付いた。大小の超級市場、つまりスーパーマーケットがいくつもあるのが時代を感じさせた。15年前はひなびた食堂で麺を頼んだことだけ覚えている。つゆに蝿が浮かんでいたので食べる気がうせたことを思い出した。

 

 
貢山の農貿市場も様変わりした。野菜は豊富で品質も向上した。売る人々には少数民族っぽさが感じられるが。(リス族だろう)

 どうしても思い出せないのが、はじめて顔面刺青女性と会った場所だ。刺青の女性のほとんどは独竜江の中流から上流流域に分布しているが、彼女の嫁いだ先が貢山県だったのだ。たしか夫は公務員で、官舎のような平屋のアパートが住まいだった。玄関で彼女を呼んでもなかなか姿を現さず、ようやく出てきた彼女が若く、顔の刺青もいま描いたかのように鮮やかだった。正直なところ、見た瞬間、部屋の中でペイントしたのではないかと思った。年齢は39ということだったが、まだ30そこそこのように見えた。

15年前にはじめて会った刺青の女性。刺青が瑞々しい。

 現在彼女は昆明か北京に住んでいるらしい。いわば独竜族の広告塔のような役目を果たしているという。50代なかばは刺青女性のなかでも最若年で、しかも年齢より若く見え見栄えがいいので、独竜江の観光ポスターには彼女が起用されている。彼女のことを思い出すと、独竜江で出会った刺青のおばあちゃんたちに無性に会いたくなった。いったいどれだけのおばあちゃんが存命しているだろうか。

 町外れの舗装道を散歩していると、怒江の土手に孤高として立つ一軒の古い家があった。

「ここに蠱(こ)をもつ女性が住んでいるのよ」とNさんは顔をしかめながら言う。

「蠱だって? ということは叔父さんを殺したという呪術師とおなじような人ということ?」

「まあそういうことね。こちらはリス族の呪術師だけど。たぶん50代だと思うわ」

リス族の呪術師が住んでいた一軒家。

 私の頭の中には昆明からさほど遠くない山の中のリス族の話を思い出していた。そこには千古竜という蛾のような形をした蠱を養う人々がいるという。千古竜といっても竜の一種ではなく、チェンクルといったリス語の発音に(正確な発音はわからない)漢字をあてたものだろう。この蛾のバケモノのような千古竜は夜のあいだに飛んでいって子供を食うという。もちろん実際は食べられるのではなく、幼児は発熱したりして死んでしまうのだ。蠱は日本の憑きもののようなもので、蠱を養う人々は犬神家のように恐れられ、嫌われることが多い。

「この家を訪ねることはできないかな」私は興味をもったら調べずにはいられないたちである。

「やめといたほうがいいと思うわ。呪いをかけられるかもしれないのよ」

 後日貢山にもどってきたときに判明するのだが、この蠱を養う女性は一年ほど前に亡くなっていたという。会うことができないとわかると、いっそう会いたくてたまらなくなった。これからミャンマー側に入って会おうとしている男の呪術師も蠱を養っているのだろうか。もっとも、そもそもミャンマーに入れるかどうか確証がなかったのではあるが。