ミケロの旅日記
7月18日 ミャンマー国境へ(蛭の森、巨大な滝、そして蝶の王国へ)

熱帯雨林の樹木には底知れぬエネルギーを感じる。

蛭の森へ

 木造長屋に入っている雑貨屋で膝まである長いストッキングを買い、ズボンの上に重ねるように履き、足首のまわりに殺虫剤を噴霧した。虫よけスプレーじゃなくて殺虫剤である。肌に悪いかどうかなんて、このさいどうでもいい。今日一日、蛭をよせつけないためにはこうするしかないのだ。案内役の男性Xさん(Nさんの親戚)の勧めにしたがったのだ。

 とはいえ、想定以上の蛭の多さに辟易してしまった。深い森の中の小道をすこし上がったあと、急な下り坂を降りていく。雨がときおり降るので、どこもかしこも滑りやすい。膝の高さの草に埋め尽くされた道を歩くときは、とくに蛭の攻撃を受けることになる。案内役のXさんが突如立ち止り、草を抜いて掲げて示した。

葉の裏側に潜む大きめの蛭。人にとびかかろとしている。 

「これを見てください」

草の葉をポールに見立てるなら、旗のようにはためいているのは数匹の蛭だった。はためいているというより蠢いているといったほうがいいだろう。人間が近づいてくると、旗のようにからだを伸ばし、瞬時にとびかかろうという寸法である。蛭がとびついて血を吸っても、人は気づかない。

 100メートルごとに立ち止ってシューズを脱ぐと、足の甲に数匹の蛭が張り付いて血を吸っていた。蛭を見た瞬間、ゾクッとするのはなぜだろう。蚊や南京虫と比べると、痒みは少なく、病原菌を持っているわけでもないのに、なぜ人はこうも蛭を忌み嫌うのだろうか。

 数時間も蛭の待ち伏せに身をさらすので、合計すると百匹、二百匹の蛭に献血することになる勘定だ。これまでもいろいろなところで蛭に襲われてきたけれど、これほど大量の蛭と出会ったことはなかった。

泉鏡花の『高野聖』のなかに主人公の僧侶が山中でたくさんの蛭が生息する木にさしかかるという場面が(うろ覚えだが)あった。上から蛭が人めがけて落ちてくるのだ。たしかに「蛭の森」でも首筋に蛭が吸いついてくることがあったが、それはほんのわずかにすぎなかった。大半は足専科の蛭だった。

赤いバナナの花。食用にはならないという。

「蛭の森」を抜けると人家が現れはじめた。欽郎当(チンランタン)村だった。赤いバナナもこのあたりで見かけるようになった。廃墟のような建物があったが、これはプロテスタントの教会だった。ミャンマーに近づくにしたがいクリスチャンの比率がぐんと高まっていった。

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