ミケロの旅日記
7月19日 国境ジャングル越え

馬庫近くの峠から見た中国・ミャンマー国境の山岳。

 森林浴は一時的な流行ではなく、長いスパンの普及した健康法だろう。私はいわばジャングル浴と呼べるようなものを発見した、といいたい。(ジャングルがインド・ネパール語の森を意味するジャンガルに由来するので、森林浴もジャングル浴もおなじといえばおなじだが)

 天に向かって伸びる高木、手が届かない樹株の上に寄生する蘭、色とりどりの花々、樹幹を覆い尽くすコケ類、目前に垂れ下がるツタ、太古の時代を思わせる巨大な葉、聞いたことのない鳥の歌、毒々しいキノコや棘だらけの虫、そういったものにドキドキしてしまう。そうすると血の巡りがよくなり、体内の生命エネルギーが活性化するのだ。生命力も精神力も著しく向上する。これがジャングル浴。



 蝶がたくさんいる「茶屋」を出発し、亜熱帯の森を歩き、ときには這いつくばりながら進み、国境の標石にたどり着いた。標石には片側に中国、片側にビルマ文字でミャンマー国(ミャンマ・ピエ)と記されていた。

左足を中国、右足をミャンマーに置く。境界に来ると人はなぜか悪戯をしたくなるものだ。高校生のとき私は鳥取県と岡山県の県境で記念に立小便をした。そのとき以来、境では平常心を失し、何かをやらかしてしまう。これはもう情けない悪癖である。心理学的に説明できそうな気もするが、人間という動物の習性というべきかもしれない。今回は淑女のNさんがいるので自重したけれども。

危険なところには梯子がかけられていた。

 国境を越えたといっても、ひとつづきのジャングルのなかであり、劇的に変化するわけではなかった。しかし心なしか、何かが変わったようでもある。急斜面に梯子状の丸太や板がたてかけられることが多くなった。小さな流れには丸太が橋として架けられていた。

「ここはミャンマーなのだ」

 土を踏みしめながら、私はそう興奮気味につぶやいた。小石も、草の葉も、花も、湧水も、すべてミャンマーなのだ。ミャンマーに行きたいと願っていた私はうれしくもあったが、それは本当のミャンマー、すなわちマンダレーやバガンのミャンマーではないのではないかという思いもあった。

 意義な落とし穴が行く手にあった。まわりの熱帯雨林特有の高木に見とれながら、比較的安全な小道を軽やかに歩いていた。そのとき。

 すとーん、と私のからだは落ちた。一瞬、宙に浮遊していた。後ろにいたNさんが「きゃあっ」と叫んだのがわかった。穴ではないけれど、道の端が食い込んで、穴状になっているのに気付かなかったのだ。落とし穴にはちがいない。そのまま独竜江の川辺に落下したら、軽いケガではすまなかっただろう。

 私は両肘を地面についてなんとか落ちないようにこらえた。両足はぶらんぶらんしている。落下というより落下未遂だった。どうやったのかわからないけれど、なんとか地面の上に這い上がることができた。かけつけたNさんは泣きそうな顔をしていた。

 ミャンマー側である。こんなところで大ケガをしたり死んだりするのはまずかった。自分だけでなく、周囲の人にも迷惑がかかってしまうだろう。

 ときおり小雨が降る中、私は何度も岩の上で滑ったり、木の根でつまずいたり、泥濘にはまったりした。それでもエコ・ウォーキングを満喫すると、突然明るくなった。ジャングルを抜けたのだった。

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