(2)また犬の主人になる 

 竜元村でもシェパードもどきの犬と仲良くなった。犬には本能的に主人を求める傾向があるのだろう。中国では都会でこそ犬のペットがはやっているが、その犬はほとんどが小型犬である。大型犬が飼われることはあまりなく、しかも野犬は人糞を食うので不潔なイメージがあり、人に恐れられ、忌み嫌われることになるのだ。

 
一日ペットのシェパードもどき犬。また厨房のあたりにいる猫はつねにわが道を行くタイプ。

 ベッドに腰掛けていると、犬はその濡れた鼻をわが股倉に押し付け、また手の甲をベロベロなめて甘えてきた。読書をしたりノートをつけたりしているときは、ベッドの下で寝そべっていた。散歩をするときはずっとついてきた。食事のときは(宿泊先の主人の家の厨房で食べた)足元にやってきておこぼれをねだった。もともと私は猫派なのだけれど(たんに犬を飼ったことがないからなのだが)情けをかけてくれる人が少ないせいか、中国では犬と仲良くなることが多かった。

 しかし二日目の朝、ジャガイモくらいしかなかったので犬に食べ物を与えないでいたところ、犬はついてこなくなった。しょせんは通りすがりの旅人と思ったのかもしれない。どちらにせよその日は上流に向けて出発しなければならなかったので、犬の気持ちを取り戻そうとはしなかった。人間に対するのと同様、犬とのつきあいも感情の機微がわからなくては一筋縄にはいかない。

 
岩の上に寝そべる白猫と黒猫。また仲がいいが喧嘩ばかりしている子豚と子犬。

 犬のこととなると、ニューサイエンスの旗手、ルパート・シェルドレイクを思い出す。『あなたの帰りがわかる犬』というロングセラー本のなかで、主人の帰りがわかって吠え出す犬(いつもより早めに帰宅しても察知してそわそわしはじめる)など、犬に関する不思議な能力を描いている。シェルドレイクは下手をすると似非サイエンスと言われかねない大胆な「形態形成場仮説」(morphic resonance)を打ち出した科学者として知られる。この仮説は形の場というものを想定し、たとえ直接的に接することがなくても形はほかの形の影響を受ける(形の共鳴) というものだ。正統派アカデミズムからは認められていないが、このまま消えていくのは惜しいアイデアである。

「形態形成場仮説」は犬の不思議な能力とはあまり関係ないのでここではこれ以上触れないが、この仮説のさまざまな例のように、われわれは犬の特殊能力についても十分わかっているとは言い難いのだ。

 犬はわれわれの知らない能力を持っているだけでなく、何か隠し事をしているかもしれない。たとえば犬、とくに野犬が人糞を好みとしていることをご存じだろうか。飼い犬が人糞を食べないのは、もし食べればご主人様に嫌われるということを知っているからだ。もし人糞を食わざるをえない状況に追い込まれたら、そうすることによってサバイバルすることができるだろう。