ヒマラヤを越えた文字喪失伝承(4) 宮本神酒男 

 ここまではチベット・ビルマ語族の伝説を取り上げてきたが、モン・クメール語族の文字喪失伝承を示そう。雲南とミャンマー国境にまたがって分布するワ族にも類似した伝説が伝わっている。

[雲南・ワ族] 
 昔、ワ族とタイ族、漢族は兄弟だった。その頃、文字はまだなかった。ある日、山へ狩猟に行き、山積みになるほど獲物が獲れた。三男(漢族)は「この大収穫のことを記録できないかな」と兄たちに言った。過去に縄の結び目や木刻を用いたことがあったが、大火事で失われてしまったのである。家に帰って母に相談すると、九十九の山と九十九の川を越えたはるか東の海に浮かぶ島にひとりの知恵深い老人がいるという。その老人が文字というものを持っていると教えてくれた。三兄弟はさっそく文字を求めて旅に出た。
 出発のさい長男(ワ族)は文字を写すため牛皮をもっていった。二男(タイ族)は白い布をもっていった。三男(漢族)は傘に貼ってある紙をもっていった。
 三兄弟は辛苦のすえに海岸に達し、大海に浮かぶ小島に渡った。山の頂に廟があり、その門の前に知恵深い老人が立っていた。老人はそれぞれの言葉と文字を教えた。こうして文字を得て、三兄弟は帰路に就いた。途中で道が三つに分かれていたので、それぞれの道を取った。長男は途中で食料を切らし、仕方なく牛皮を焼いて食べた。せっかく写し取った文字は永遠に失われてしまったのである。また二男は途中で大雨に降られ、びっしょりと濡れてしまった。たき火で湿った布を乾かしていると、ほとんどの文字が判別しがたくなり、わずかな文字だけが残った。これがタイ文字である。三男は道を間違えたが、行き着いた村に定住した。そこで自ら教師となり、漢語と漢字を教えた。

 これも自虐パターンの説話で、おろかな長男のワ族はおなかが減ったあまりに大事な文字が記された牛皮を食べてしまう。もしかすると文字(=知識)を失っても、霊的パワーを会得したと言いたいのかもしれないが、説話を読むかぎり、たんにコンプレックスの由来を説明しているように思われる。

 ワ族は首狩り民族として名を馳せ、ある程度は独立した状態を保ってきた。戦後、ビルマ側では共産主義ゲリラとして政府と戦ってきた。しかし隣りのタイ族の西双版納(シーサンパンナ)のような国を作るにはいたらず、中国の朝廷や政府と比べれば微々たる存在だったので、そうしたコンプレックスがこういう伝説にもあらわれているのだろうか。

 おなじモン・クメール語族のプーラン族にも文字喪失伝承があった。雲南のモン・クメール語族は支配民族であったタイ族の影響が強く、民族衣装や生活形態、文化までもがタイ族としばしば見分けがつかないほどだった。そのぶんコンプレックスが強く、こうした伝説にもあらわれているのだ。

[雲南・プーラン族] 
 創造神パヤサンムディは各民族に文字を教えることにした。それで漢族は馬に乗って、タイ族は象に乗って文字を習いに行った。ところがプーラン族は草履がなく、歩いていくほかなかったので、パヤサンムディのところへ行くことができなかった。それゆえ彼らは木刻と竹刻で記すほかなかった。
 また天神は各民族に知恵を分け与えることにした。知恵は各竹筒に入れられ、各自が好きなときに取っていけるようにした。ところがプーラン族はせっかちで、真っ先に竹筒を掬い上げてしまったので、知恵の上っ面だけしか得ることができなかった。いっぽう漢族とタイ族はあとになってやってきたので、たっぷりと底にたまった知恵を得ることができたのである。


⇒ つぎ