ミャンマーの精霊信仰

 

  ミャンマー人は魂をレッピャ(蝶の魂)とよぶ。レッピャは死後も生きるが、遊離魂として幸福や災難をもたらすことがある。またふたたび肉体に入って現世を生きることもある。

  遊離魂はタセとよばれる。

  子供の遊離魂はミンザとよばれ、犬や猫の姿をとる。

  非業な死をとげた者、出産時の死者、犯罪者の遊離魂はタイェ、あるいはタべッとよばれる。

  処刑されたり、暴力によって死んだりした者の魂は、ナッ・セインと呼ばれる。彼らは殺された場所に出没する。

  これら遊離魂のひとつは、長細い舌を垂らした巨魁の妖怪である。つねに血に飢えていて、人に死をもたらすことを至上の喜びとする。夕暮れ時にこれらは獲物をもとめて、あたりをさまよっている。

  地中の宝を守っている女の精霊はオウッタザウンとよばれる。

  水のなかに棲み、人を引きずり込んで殺す精霊はマタン・インジ

  森のなかにはミン・ナッという精霊が棲んでいる。ミン・ナッに会った人には震えが走り、気が触れてしまう。

  雲のなかにはウ・パカという精霊がいて、ひとの行為を監視している。ひとに取り憑くこともある。

 樹木の頂にはアカタソ(空の精霊)、幹にはヨッガゾ、根にはプマソという精霊が棲んでいる。木の精霊は家に石を投げつけることがある。もし屋根にバラバラと飛礫が当るようなことがあったら、それは木の精霊のいたずらと考えてよい。日本なら狐・狸、あるいは天狗のしわざと考えるところだが、ミャンマーでは木の精霊なのである。

  森のなかで静寂に包まれているのに、木の葉だけがざわめいたり、震えていたりすることがある。これは木の精霊と考えられる。


  コ一・ニュン・マウンという二十代の青年は、野良仕事から帰ってきて、家に入る前、家神に捧げたココ椰子のかかった柱の下で立ちションベンをした。するとたちまち彼は意識を失って倒れた。治療した呪医(民間医)によれば、木の精霊(ヨッカソ)のたたりという。

  この青年はしばらくして、タウンピョン精霊祭の帰りがけに、またトランス状態に陥り、胃の痩撃に苦しんだ。このとき憑いたのは、酒、たばこ、賭博、花火の好きなウ一・ミン・ジョーというナッ(精霊)である。彼は地酒とにわとりを捧げて精霊を慰撫した。

  田んぼに怪異現象はつきものだ。ウ一・ウィンという農民が夜、ある場所を過ぎたとき、一匹の黒豚が彼の田んぼの穀物を食い荒らしている幻景を見た。黒豚を追いかけていくと、あと一歩で捉えそうなところで、突然それは膨張して巨大な黒い影になった。彼は恐れおののき、家に帰ると寝込んでしまい、朝が来る前に死んだ。

  このある場所がどこを指しているのか、あきらかでないが、霊的なスポットと考えられる。

  ある田んぼで農民たちが土を耕していると、鋤がなにかにコツンと当たった。それは石柱だった。人間が置いたとはとうてい考えられなかったので、神の仕業であろうということになった。ところがその傍で昼飯を食っている間に、石柱は忽然と姿を消してしまったという。

 呪術をかけられて、さまようのも田んぼだ。マウン・オウン・イーという青年はトランス状態で田んぼをさまよっているとき、首を締められるような感覚をもち、呼吸困難に陥った。悪霊祓いによる六日間に及ぶ儀式によって、ようやく呪術は解けた。

  ミャンマー南部(タライン、イラワディ・デルタ)では、収穫前に藁で編んだ女性像をこしらえ、リヤカーに女性の着物の一部やもち米などを載せ、田畑のあいだを練り歩くという、祭礼を行なう。これらは土地の守護霊ブマディや穀物の守護霊ナジを慰撫するためである。

 町が建てられるとき、四方の壁の門柱の下に、人が活きたまま埋められた。いわゆる人柱だ。これらは霊となり、悪意をもって町に入ろうとする者に害をもたらす。

 戒を破った僧や尼は死んだのち、悪魔になると信じられている。



タウンビョン兄弟

 いまから千年ほど前、ミャンマー南部タトン国の海岸に、イスラム教徒(インド人)の幼い兄弟、アブラハムとイブラヒム(ビルマ名はビャッウイとビャッタ)が漂着した。見つけた僧正が兄弟を預かり、寺で育てた。

 ある日のこと、僧正は丘のふもとでゾージーの死骸を見つけた。

 ゾージーとは、いわば仙人のようなもの。仙人と同様、ゾージーは秘術によって、超人的な肉体と永遠の若さを会得した者とされる。

 ゾージーをめざす者は、まず“賢者の石”ともいうべきダッロン(水銀などの金属を混交して作った錬金術的産物)を服用する。これによって空を飛ぶことができ、水中や地中を進むことができるようになる。怪我もしないし、疲れや病気も知らない。

 つぎの七日間、彼は地中に埋められて半仮死の状態ですごす。あるいは三日間焼かれるともいう。この試練をすぎたとき、彼はゾージーになっているのである。

 ゾージーのからだは、黄金の輝きを発し、なんともいえぬ芳しい香りを漂わすばかりか、それを食べた者は超人的なパワーを得ることができた。

 丘のふもとで僧正が見つけた死骸は、呪術師の呪いや悪霊によって完成をはばまれたゾージーだったのだ。

 世にもまれなるゾージーを見つけた僧正は、寺の者たちに近づかぬよう厳重に命じ、さっそくタトン国王に知らせるべく宮殿に向った。しかしビャッウィ、ビャッタ兄弟は薇郁たる香りに抗しきれず、ゾージーを食べてしまったのだ。パワーを得た兄ビャッウィは寺をひっくり返し、弟ビャッタは巨岩を運んで門前に置いた。

 このことを知って怒ったタトン国王は兵を差し向けたが、兄弟を捕らえることはできなかった。兄弟は都の外に逃れた。

 兄弟は匪賊となって、村から村とへ渡り歩き、家に忍び込んでは物を盗むという生活を続けた。しかし兄ビャッウィはそんな生活に飽き足りず、弟ビャッタの諌めを振り切って、都の外壁を越えてなかに入り、知事の屋敷に侵入した。そのとき、知事のひとり娘オザと運命的な出会いをしたのである。

  ビャッウィは毎晩のように忍び込んでは、オザと情を結んだ。しかし気づいた召使いの報告によって、父である知事の知る所となった。知事は呪術師に相談した。呪術師は進言した、出産時に死んだ女のスカートを寝室の窓にかけるとよろしい、と。

 まわりを兵に囲まれていることに気づいたビャッウィだが、不敵な笑みを浮かべながら、寝室の窓から飛び降りた。そこからぴょんと、壁を越えて逃げるはずが、窓の下にぶざまに落下。御用となった。スカートの下をくぐったため、パワーが失われたのだった。ビャッウィは国王のもとに連れて行かれ、死刑を宣告された。

 ビャッウィの遺体は切り刻まれ、宮殿の玉座の部屋の地下に内臓といっしょに埋められた。絞り取られた血は、都の壁に撒き散らされた。しかしそのとき、にわとり一羽が坐れるほどの面積の壁に、血がかかっていなかった。

 数日後、パガンの軍隊がタトンに攻めてきた。パガン軍の大将チャンシッタは弟ビャッタを味方にしていた。ビャッタが突撃すると、兄ビャッウィの亡霊が阻んだ。ビャッタが懇願すると、壁の血がかかっていないところからなかに侵入できると、兄は教えた。ビャッタと大将チャンシッタは宮殿に突入し、ビャッウィの埋められた内臓を掘り起こし、海に捨てた。こうしてパガンはタトンを征服した。

 パガン国王アノーヤターはビャッタを「花摘み官」に抜擢した。毎朝ポゥパー山で花を摘み、アノーヤター王に届けるのが仕事である。

 ポゥパー山には花食べ魔女(肉は食べない。いわば草食性の妖怪)がいた。ビャッタは彼女を見た瞬間、恋に落ちた。ふたりは結婚し、ふたりの息子(シュウェピンジ・シュウェピンゲ、すなわちタウンビョン兄弟)が生まれた。しかし恋に夢中になるあまり、何度か朝の式典に遅刻し、その罪を問われてビャッタは焼き殺された。花食べ魔女は悲しみのあまり、悶死し、ボゥパー・メドーとよばれるナッ(精霊)になった。

 パガン国王アノーヤターは兄弟を徴集して、中国遠征に参加させた。中国は聖なるブッダの歯をもっていたのだ。兄弟は、宝を守る中国の精霊(ナッ)を呪術によって駆逐し、ブッダの歯を手中に収めることができた。中国からの帰路、それを載せた白象が止まったところに、アノーヤター王はパゴダを建てることにした。(現在のタウンビョン村)

 人民はそれぞれブロックをひとつずつ持って、建築に参加するよう命じられた。しかし兄弟は、博打に興じ、参加しなかった。そのため兄弟は処刑され、ナッ(痛霊)のタウンビョン・ミンニ・ナウンになった。タウンビョン村のパゴダに今でもブロックがふたつ欠けているのはそのためだ。

 パガン国王アノーヤターが川を好で下っているとき、突然浸水しはじめた。あわせて水面を棒で叩いていると、タウンビョン兄弟が現われ、「われわれの生きる場所を遮らなければおまえは長くないだろう」と言った。それでタウンビョン村に桐を建て、兄弟を祀った。また毎年タウンビョン兄弟のために祭りを開催するようになった。

ミン・マハギリ

 昔、タガウン国にウ・ティンデという信望の厚い、たいそうな力持ちの鍛冶屋がいた。タガウン国王は彼の力を恐れ、のちの禍いとならぬよう、芽を摘もうと考えた。しかしウ・ティンデは森に隠れてしまい、描らえることができなかった。そこで国王は計略をめぐらせた。ウ・ティンデの姉を王妃として宮廷に迎えたのである。国王は王妃に、ウ・ティンデを要職につけたいのでぜひ宮廷に呼んでほしい、と頼んだ。ところが、宮廷にやってくるや、ウ・ティンデは捕らえられ、金剛樹の下で焼き殺された。それを見た王妃(=姉)はその炎のなかに飛び込み、ともに焼け死んだのだった。彼らのからだは焼けてしまったが、頭部だけはきれいな状態で残ったという。
*日本の首塚信仰にみられるような、頭部が霊力を持つという信仰があるようだ。

 彼らはナッ(精霊)となって、金剛樹に棲んだ。金剛樹の下に来るあらゆる人間、家畜はナッの餌食となった。そこで国王は命じて樹を根こそぎにし、イラワディ川(エーヤワディー川)に投げ捨てさせた。それは下流のパガン国の岸に打ち上げられると、やはり樹に近づくあらゆものを殺した。ある夜、パガン国王の枕元にふたりのナッが現れ、それまでのいきさつを話した。そこでパガン国王は樹からふたつの頭部を取り出し、ポゥパー山の祠に祀り、供養したという。

  ウ・ティンデはミン・マハギリ、姉はシュエイ・ミェッナと呼ばれるナッとなった。なおウ・ティンデの妻は、海蛇の娘シュエ・ナべ。ミン・マハギリは、エンサウン・ナッとよばれる家神でもある。ミャンマーのあらゆる家の南側に掲げられるココ椰子は、ミン・マハギリに捧げられた供え物である。その果汁は焚刑にあったウ・ティンデの熱をさますと考えられている。

コ一・スウェの場合

 三十代の男性、コ一・スウェに起ったできごと。

 夕暮れ時、家路を急いでいたコ一・スウェは、霊が出没することで有名な丘にさしかかった。

 そこで彼は明るい緑色のブラウスを着た美しい女を見た。彼は魅入られたように女に近づくと、恋人同士のように、腰に手を回し、愛撫しながら唇、胸にキスをし、そうしてからだじゅうを触りまくった。しかし、性的関係にまではいたらなかった。抱きしめながら、彼は鳥肌が立つのを感じた。それで女が人間でないことを悟った。

 行為に及ぼうとしたとき、突然女は消えた。と思うと、丘の頂近くにふたたび現れ、手招きして彼についてくるよう促した。女はみずからを丘の守護霊であると名乗ったが、コ一・スウェは彼女がオウッタザウン(悪霊)であることを知っていたので、惹かれながらも恐怖を感じ、振り切って家に戻った。このことはだれにもしゃべらなかった。

 一ケ月後の夜中、コ一・スウェは突然激しい腹痛に見舞われた。オクッ夕ザウンに魂を盗まれるのかもしれない、と思った。魂が永遠に奪われるということは、死を意味した。それで彼は悪霊祓い師(アテッラン・サヤ)による儀式を要したのである。

 じつはこの一ケ月のあいだ、彼はもがき苦しんでいた。女の姿態が脳裏にこびりついて離れず、女とセックスしたいという情欲のとりこになって眠ることも、食べることもできなかった。外から見ると彼は狂人のように映っただろう。女を忘れるために彼は酒に溺れ、毎日ドンチャン騒ぎをして過ごした。飲み代のために彼はついに牛を売らねばならなかった。農民が牛を売るなんぞ、正気の沙汰とは思えなかった。悪霊祓いの儀式を受けなかったら、彼はほんとうに死んでしまっていたかもしれない。

 悪霊祓い師(アテッラン・サヤ)はほとんどの場合、僧侶である。

 悪霊祓い師は、神仏の加護をもとめ、呪文を唱えながら、小さな牛の石像をナイフで削ってその韓を水のなかに落としていった。それから供え物のココ椰子とバナナに貼り付けられていたイン(まじないの図が措かれた紙)を燃やし、その灰を水に入れた。悪霊祓い師はそれを混ぜあわせ、コ一・スウェのからだにふりそそいだ。しかしこれだけでは、悪霊(オウッ夕ザウン)は出て行かなかった。

  二本の指(人さし指と中指)がくっついていれば悪霊がいて、離れていれば去ったことを意味するという。コ一・スウェの指はしっかりとくっついたままだった。

 クウェッ、クウェッ!(離れろ、離れろ!)

 と叫びながら、悪霊祓い師は棒を指のあいだに強引にねじ入れて、悪霊を退散させようとした。

 そうするうち、コ一・スウェは憑依状態になり、のけぞって倒れ込んでしまった。悪霊祓い師も横になり、悪霊に話しかけた。

「どんな災いをもたらそうというのだ? なぜわたしの言うことに従わないのか? わたしはおまえを傷つけようというのではないぞ」

「コ一・スウェを愛してるの」

「なぜ出て行かない? 出て行かねば水の危険、火の危険、その他さまざまな禍の危険に遭うぞ」

「コ一・スウェを愛してるの」

「出て行かぬというなら、おまえを始末せねばならぬ」

「あとで出て行くわ。いまはいや。出て行くまえに話すことがあるの」

「おまえと話すことなどない」

「あたし、ひとりで行くのはいや。コ一・スウェといっしょに行きたい」

「彼を道連れにするなら、いま、おまえを殺す」

「心から愛してるの。離れられないわ」

「兄弟として愛せ。夫ではなく。おまえは悪霊。ひとではなく、畜生の部類に入るのだ。コ一・スウェは仏の教えに従うだろう」

 美女の姿をとった悪霊にとり憑かれ、次第に消耗して死にいたる、というパターンは「雨月物語」「聊斎誌異」などでおなじみだが、コ一・スウェのケースは実際にあったことである。もし悪霊祓いをしなかったら、コ一・スウェは腹痛が激化して、死にいたっていただろう。

*インドのジャリョギニという美女の悪霊は、消耗させるだけでなく、とり憑いたあと、男のペニスを裂いて血を飲み干すという。



ナッカドー(シャーマン)

精霊の花嫁

ウ一・カー(男)

 彼が18歳のとき、精霊ミン・マハギリの妹トウン・バン・ラーが夢のなかに現われ、愛を告げた。そのときは「妹として」彼の傍らで添い寝しただけだった。性的な交渉をもったのは、(精霊と)結婚した45歳になってからのことである。なぜ結婚したかといえば、彼が断り続けたために、全財産を失い、人間の妻も(精霊に)殺されてしまったからだ。

ド一・ピャー(女)

 17歳のとき、タウンビョン精霊祭に参加したあと、精霊タウンビョン兄弟の弟に好かれて(憑かれて)しまった。精霊は頻繁に、夢のなかに現われた。彼女は精霊と結婚したくなかったので、民間治療医のところに行ってその避けかたについてのアドバイスをもらい、人間の男と結婚した。子供はふたり生まれた。夫との関係に精霊が干渉することはなかった。しかしずっと精霊を拒んできたため、彼女は財産を失い、病気になった。痙攣、眩暈、嘔吐にみまわれ、固いものが食べれなくなった。ついには頭がおかしくなった。それで彼女は精霊と結婚した。37歳のときのことである。精霊と結婚したら、病は癒え、財産も取り戻したという。

ド一・キョウン(女)

 40歳のとき、タウンピョン精霊祭で踊っているうち、トランスがかり、精霊ウ一・ミン・ジョーにとり憑かれてしまった。彼女は結婚の申し出を受け容れた。なぜなら、近くに住むひとが刺青を入れて精霊を拒んだところ、罰としてらい病に罷ったということを知っていたからだ。彼女は若い頃に人間の男と結好し、子供ももうけている。人間の夫と精霊の夫とが併存している好例といえるだろう。

                                    ウ一・エイ・マウン(男)

 25歳のとき、ナッ(精霊)に愛されるようになった。しかし56歳になった今も、(精霊とは)まだ結婚していない。結婚式の費用が払えるだけの金をもっていないからだ。だから精霊はずっと彼を罰しつづけている。つねに怒っていて、木のサンダルで彼の後頭部を殴りつづけ、住所不定のセールスマン稼業を強いられているのだ。

ウ一・マウン・マウン(男)

 ナップェ(精霊祭)に参加したとき、精霊マ・ングェイ・ダウンに見初められた。25歳のときのことである。精霊の女は夢のなかに現われ、性的関係を迫った。その二ケ月前、彼は人間の女と結婚していたが、離婚するはめになった。精霊界でマ・ングェイ・ダウンの夫はウ一・ミン・ジョー(酒、タバコ、賭博、花火の好きな精霊)である。ウ一・ミン・ジョーはじぶんの女房とウ一・マウン・マウンが寝ようとすると、邪魔をした。そのため今のところ、ふたりは関係をもっていない。

コ一・マウン・コー(男)

 10歳のとき精霊マ・ングェイ・ダウンに魅入られ、病気になった。あまたのナッカドーが召集され、マ・ングェイ・ダウンを含むナッ(精霊)が鎮められた。その夜仏様にお祈りして床に就くと、夢のなかにうつくしい女が現われた。女は新婦が新郎に話しかけるような口調で、愛を語った。いま彼は24歳になるが、精霊に禁じられているため、(じぶん=精霊と結婚するまで)人間の女と結婚していない。

ド一・ティ・ラ(女)

 13歳のとき精霊マハギリ・ナッ(ウ・ティンデと姉)に憑かれて、気が触れたようになり、泣き喚くことが多くなった。民間医がマハギリ・ナッによるものだということを教えた。37歳になって、タウンビョン精霊祭で踊っているとき、精霊のタウンビョン兄弟に憑かれて、そのあとすぐ結婚した。二年後、精霊の許可を得て、人間の男と結婚した。

*ここでのマハギリ・ナッは弟と姉の精霊。性的関係はないと思われる。

ド一・エイ・キン(女)

 16歳のとき夢のなかに精霊マハギリ・ナッが現われた。56年後、今度は精霊ウー・ミン・ジョーにとり憑かれた。彼女は狂女のようになり、憑依状態になり、飲み食いもほとんどせず、村のなかをさまよい歩いた。憑かれるまえに彼女は人間の男と結婚し、赤ん坊を産んでいたが、ウ一・ミン・ジョーは夫と寝るのを禁じた。さらには夫は“ナッの奴隷”となることを強要され、ナッ(ウ一・ミン・ジョー)の命令(命令を発するのは妻)に従わなくてはならなくなった。夢のなかで精霊の夫と交わるので、人間の夫と性交渉をもたなくても彼女は平気だった。