ナシ族といえば、トンパ文字だ。
多少なりともナシ族の名を聞いたことがあって、研究者ほど知っているのでなかったなら、その人はトンパ文字に惹かれたことがあるにちがいない。たとえばアート・ディレクターの浅葉克己さんはトンパ文字の魅力を紹介してきた。
トンバとは、雲南省の麗江を中心とした地域に分布するナシ族の民間宗教の祭司のことである。彼ら自身はブンブと呼んでいるのだが、これはボン教徒、あるいはボン教祭司のことだ。トンパ教はチベットの古代宗教ボン教の影響を強く受けているのである。トンパという名自体、ボン教祖師トンパ・シェンラブ(トンパ教の祖師はトンバシェラ)から来ている。
トンパの使用する経典がトンパ経典であり、そこに描かれる一種の絵文字がトンパ文字だ。トンパ文字はエジプトのヒエログリフと違い、象形文字というわけではない。いや、象形文字や絵文字が交じり合うとともに、センテンスを表わす記号であるなど、不規則な文字体系なのだ。
つまりトンパ以外、経典の内容を正確に理解することはできない。それは記憶補助装置のようなもので、極端な話、トンパはすべて記憶しているので、トンパ経典は必要ない。しかし後代のトンパに伝えていくためには、口承よりも効率性が高いといえる。
それならトンパの語りを録音し、さらに文字に起こして出版すればいいではないか、といわれるかもしれない。ところがどっこい、トンパ経典は聖典であり、トンパ文字は「漫画みたい」といわれるけれども、あくまで神聖文字なのである。
話を冒頭にもどそう。ナシ族にとって、ナシ族は「祭天の民」だという。祭りはたくさんあるけれど、天の祭りがもっとも大切なのだ。
ナシ族の分布地域いたるところで祭天が開かれてきたが、文革のあいだにすべて失われてしまった。長い中断を経て、ようやく復活したのが白水台の祭天だった。
白水台(ナシ語でバータ)はナシ族にとってもっとも重要な聖地である。白水台の横の草むらには木(ムー)氏の石碑が残っているが、五百年前、すでにナシ族の王様は聖地として認識していたのだ。ちなみにムーは、ナシ語で天を意味する。
祭天(天祭り)は民衆が参加するフェスティバルではなく、閉ざされたサークルのなかで行われる祭礼である。密儀といってもいい。トンパ以外読めない(はずの)トンパ経典に、たとえば脚の白い黒ブタを犠牲にせよ、と書かれているので、そのように黒ブタを屠る。
犠牲の仕方とともに重要なのは、創成神話だ。人間の始祖ツォデリウと天女ツェフボンボの物語からそれははじまる。たんなる神話・伝説と考えてはいけない。聖書だって物語だらけではないか。
基本的に観光客が祭天を見に来ることはないが、門外漢が来たからといってそれを拒むことはない。秘儀を見る機会なんてそうそうはないだろう。多少でもそこで行われていることが理解できたら、こんなに楽しいこともない。
写真の右手は自然の樹木(黄栗と杜松)を利用して作られた、天・地・中間を表徴する祭壇。左手はシュ(竜)のための祭壇。こういうふうに、ひとつずつ解いていくことができる。
そしてわれわれはその後まもなく、二月八節というお祭りを体験できる。こちらは観光客も押し寄せてくる。ナシ族だけでなく、イ族やチベット族も輪になって踊る。夜にはトンパたちの踊りも見られるだろう。
日中、近隣のナシ族は村ごと、近所ごとに分かれ、白水台周辺の森の中でピクニックを楽しむ。
私も90年代はよくそのなかにまじって楽しんだ。箸がなければ、枝を取って箸のかわりとした。この日はニワトリを神に捧げる日でもあるので、血を捧げたあと、人間どもはチキンスープを満喫することになる。