山が神である郷 第16章 ネベスキ=ヴォイコヴィツ 宮本神酒男訳 

 

神託僧と魔物 

 チベットの守護神は数えきれないほど多く、それらの名をすべて言える僧侶はいない。もっとも人里から離れたところにも聖なる守護者がいるが、隣接する村の住人でさえその名を正確に言うことができない。

 しかし無数のチューキョン(Chokyong)、すなわちチベット人がチベットの仏教と寺院、聖なる土地の保護者と呼ぶ「宗教の守護者」(護法神)のなかには、特別に力を持ち、それゆえ広く崇拝される神格がある。それはたとえばペルデン・ラモであり、すでに述べた富の神ナムトセであり、死の神シンジェであり、65の異なる形で現れるシンジェの妻にして妹のゴムポであり、甲冑をまとった戦神チャムシンであり、死体をかじり、人食い熊に乗る彼の妻、「赤い顔の者」ドンマルマである。

 これらの神格すべてがチベット人によって、この世界を去って守護神になった者として描かれる。彼らは地上の生活とは違う次元にいて、チベット人の生活に干渉してくる。しかしそれ以上に頻繁に干渉してくるのは、下位の神々である「地の守護神」のグループで、数的にははるかに多い。チベット人は多くの神を地の守護神に範疇に入れてしまうが、それらは天界のすみかを去り、霊媒的な才能に恵まれた男や女を通じてこの世界にやってくるのだ。彼らはこうした神託僧の口を通じて未来の予言を行う準備を整える。

 地の守護神の多くは、パドマサンバヴァによって降伏させられ、新しい役割を果たすようけしかけられた古いボン教信仰の魔物たちである。

またほかの「強力な雷電」などの神は、非業の死を遂げた人の精霊である。彼らは邪悪な魔物に変成し、のちにラマによって調伏させられ、守護神のヒエラルキーに組み込まれる。

1912年、ダライラマにたいする陰謀が露見し、チベット軍によって破壊されたタンギェリン寺の財神がこのカテゴリーに属している。寺院が攻撃を受けているときに、出納係の僧はほかの僧侶とともに命を落とした。彼はただ殺されたのではなく、兵士たちによって生きたまま皮をはがされるという非業の死だった。

 もうひとつ、死者が守護神に変じた例がある。それは「大いなる秘書(ドゥンイク)」と呼ばれる守護神だ。この名が冠せられるのは、かつて貴族の秘書として雇われたことがある若者の霊だからである。彼は働いているうちに貴族の妻と恋愛関係に陥ってしまった。夫がふたりの仲に気づくまでそれほどの時間はかからなかった。貴族は秘書を殺そうと考えた。ギャンツェでは毎年行われる祭りがあった。祭りでは貴族の召使たちが参加する競馬大会が開かれたが、これはこの秘書を処罰するのに絶好の機会だった。彼は100頭の馬を持っていたが、もっとも手に負えない荒々しい馬を秘書にあてがった。しかし秘書はこの馬を手なずけることができた。それどころか競馬大会で優勝したのである。

 しかし彼は称賛を受けるかわりにあらたなレースを命じられた。またも彼は優勝した。するとまたあらたなレースに参加することを命じられた。今度は、彼は馬から落ち、首の骨を折ってしまった。怒り狂った彼の霊はすぐに主人に復讐した。霊はまず主人の100頭の馬のうち1頭をのぞくすべてを殺した。なぜ1頭だけ殺さなかったか、霊は説明した。霊は神託僧に憑依し、最初につぎのように話した。

「わたしは主人の馬99頭を殺したが、1頭はわが愛する人のために殺さなかった」

 多くの守護神の場合、魔的な力を正しい道に導くのは極度に困難だとチベット人たちは断言する。彼らが立てた誓いの効果と多くの神々に課せられた束縛のみが、仏教の敵と同様、僧侶や慈悲深い信者たちに押し寄せる破壊的な暴力から守ることができた。

 つぎに挙げる伝説は、半ば足を引きずる悪魔によって起こされた災難のひとつである。チャムドの寺院に住むひとりのラマのもとに、ある夜、守護神シャンパ「鼻蓮」(Nose-Lotus)があらわれた。そのときデモ・リンポチェという名の教派の実力者が宰相として国の政府を乗っ取ろうとしていた。ある理由から「鼻蓮」は、リンポチェが政治的な力を持つ前に殺すことにした。そして彼はチャムドのラマに実行させることに決めた。

 彼の指示というのはこうである。チャムドのラマはラサに行き、リンポチェが宰相の座に就く前日にそのテントに侵入する。そして中心の柱を壊して大テントを倒壊させる。テントが倒れるのと同時に、呪術を用いて「生命力」を奪い、宰相(リンポチェ)を斬る。

 「鼻蓮」はラマに、指令を実行して成功したあかつきにはたっぷりと謝礼をはずむと約束した。富に目がくらんだラマは急いでラサへ行き、計略通りにリンポチェを殺害した。だれにも悟られずに彼はその場から脱出することができた。そしてチャムドに戻った翌朝、部屋に二つの銀の延べ棒と金塊が報酬として置かれているのを見つけた。

 賢い寺の住職は、ラマがなぜラサに行ったのか、財源がどこにあるのか理解した。住職は殺人者を追い払うことはせず、できるだけ早く犯罪によって得た金や銀を手放すよう促した。でなければ災いがラマにもたらされるだろう。

 しかしラマは住職の忠告に耳を貸さなかった。その結果、一年後、悪魔のような「鼻蓮」はラマを殺し、宝を取り戻した。

 このような悲劇が二度と起こらないよう、「鼻蓮」は有名な高僧によって、深い信仰者のためにのみそのパワーが使われるように誓いを立てさせられた。万全を期すために、その手足に枷(かせ)が置かれた。

 一年に一度、チベット暦の5月の15日、チベットのすべての守護神がサムイェー寺の屋根に集まり、宴を開いて人々の魂の運命を決めるサイコロ・ゲームに興ずるといわれる。その日の朝、雪の国のすべての神託僧はいっせいにトランス状態に入るという。

すると群衆は神々が憑依したこれらの神託僧を見ようと寺院になだれこんできて、儀礼用の白いスカーフを敬意のしるしとして彼らに渡すのである。

 神託僧の祭りである今日という日は仏教の祝日である。しかし官吏が明かしてくれたのだが、秘教的伝統によれば、この祝祭は雪の国チベットの初期の歴史において、仏教によって、こっぴどい敗北を喫した憂鬱な記憶を封じ込めているのだ。

 836年、ランダルマという名の王子が仏教徒を優遇していた彼の兄弟、国王レルパチェンを殺害した。しかしランダルマが国王に就いたまさに最初の年に、チベットはさまざまな災難に見舞われてしまった。

 国王は、古いボン教の神々にせよ、仏教の神々にせよ、2世紀にわたってつづいている両宗教の争いに怒りがおさまらず、王がどちらかの宗教を選ぶことを要求しているのだと信じた。

 ランダルマはそれゆえ第5の月の15日、すべてのボン教の呪術師と仏教の僧侶に、彼らの神々を呼び、国王が従うべき道をしるしによって示すよう命じた。

 おなじ日、チベットでもっとも古い仏教寺院であるサムイェー寺に雷が落ちた。ランダルマはそれが強烈なパワーのしるしであると考えた。彼はボン教の信仰に傾き、仏教の僧侶を徹底的に弾圧するよう命じた。それがチベット仏教を滅亡の淵へと追いやることになったのである。

 弾圧は842年、ランダルマ王がボン教呪術師に扮した仏教僧によって暗殺されるまでつづいた。

レプチャ族のボンティンやモンのように、チベット人の霊媒も神々によってその役割を果たすために選ばれると信じられている。選ばれた者たちが激しい痙攣状態に陥ると、新しい霊媒に神が降りたことをたしかめるため、僧侶か専門の俗人が呼ばれる。

 チベット人に言わせると、結果として、問われるまでもなく神聖なる者が彼に新しい名を与えるという。しかしときには、とくに守護神の地位に達していない悪しき霊が憑依した場合、無理にでも答えを絞り出させねばならない。尋問者は悪魔が答える気になるまで、つまり結び目がほどけるまで、自分の手足の指を糸で結びつけておく。

 もし霊媒が今後、神託僧としてやっていきたいと宣言するなら、彼は寺院に送られて数年間のトレーニングを受けることになる。もしそうでない場合、僧侶は儀式をおこなって神聖なるものを説得し、ほかの霊媒を探させることになる。

 もし新しい神託僧が最上の高位の地の神々のひとりに選ばれたと主張するなら、チベット政府の権威は、彼に厳格なテストを受けさせ、話していることが真実であると確信させなければならない。

 ラサから来たあるチベット人は私にそのようなテストの一例を教えてくれた。

 チベット政府は、格別なパワーを持った守護神に憑依されたと主張する新しい霊媒に手紙を送った。それには「羊の年に生まれたものがひどく調子が悪いのです。われわれはどうしたらいいのでしょうか。的確な答えをお願いします」と書かれていた。

 この惑わせるような問いにたいし、神託僧は謎めいたものはなにもない明快な答えを出した。

「もしつくろえるなら、つくろいなさい。つくろえないなら、それを捨てて新しいものを買いなさい」

 霊媒の答えが絶対的に正しいことがわかった。というのも、官吏が「羊年に生まれたもの」と書いたものの、それは人間のことではなく、オフィスで使われている羊皮の「ふいご」のことだった。それはひどくすりきれてしまい、穴だらけになり、ほとんど使用不能になっていたのだ。

 雪の国チベットに数いる予言者のなかでも、もっとも祝されるべき存在は、国家の予言者という地位にあるネチュン・チュージェ、「ネチュン寺の宗教大師」である。ネチュンの住居は、チベットでもっとも神秘的な宗教の中心地であるデプン寺からそれほど遠くない。

 トランスに入っている間、ネチュン・チュージェに降りる魔物は、すべての地の守護神の長である3つの頭6本の腕を持つペハルである。仏教以前のチベットに神託僧がいて、彼らのパワーにたいする信仰は深く根差していたので、チベット仏教はそれらを統合せざるをえず、その体系を仏教の宗教システムに組み入れるしかなかった。ペハルももともとは非仏教の魔物であり、偉大なるパドマサンバヴァに調伏され、サムイェー寺の宝の守護神となった。

 何世紀にもわたってペハルは、サムイェー寺の中の彼のために建てられた寺廟に住んでいた。しかしダライラマ5世の時代、彼は外に出てさまよい歩いた。一時的に彼はツェルグンタンの寺院に滞在したことがあった。そこではこの寺の学識ある僧侶であるラマ・シャンとの暴力的な論争に巻き込まれたことがあった。

 ラマ・シャンは新しい祠堂を建てようとしていたが、ペハルと論争になったため、絵師にこの守護神の絵を描かないように命じた。ないがしろにされていると感じ、怒ったペハルは復讐することに決めた。彼は若者に変身し、絵師の助手となり、なくてはならない存在となった。

 絵がほとんど完成しようというとき、絵師は助手にどれだけの給料を払おうかとたずねた。若者の答えは奇妙で、壁画に火のついた線香を持った猿を描いてほしいというものだった。絵師は喜んでこのつつましやかな願いを聞き入れた。

 壁画が完成したとき、ペハルは猿の絵に入り込み、線香の火をつけて祠堂全体を焼き払った。この悪しき行為に憤激した賢いラマ・シャンは、これを最後に聖なるものの敵とならないことを願った。

 彼は「糸の交差(mdos)」を作り、呪文を唱えてペハルをこの呪術的な罠に追い込んだ。彼はこの「糸の交差」を箱に入れ、それを近くのキチュ川の水に投げ込んだ。この川はラサを貫き、デプンの近くを流れている。

 守護神が閉じ込められた箱は下流に流されていった。それがデプン寺に近づいたとき、たまたま寺院を訪ねていたダライラマ5世に見つけられた。5世の超常能力によって中に閉じ込められているのがペハルにほかならないことがわかった。

 それゆえ5世は僧侶に命じて川から箱を拾い上げ、デプン寺に運ばせた。5世はペハルがデプン寺を守ってくれると願ったのである。僧侶は命じられたとおりにした。しかし箱を持って寺のほうへ急げば急ぐほど、重くなっているのに気がついた。好奇心を抑えることができず、僧侶は箱を置き、恐る恐るふたをあけた。

 即座にペハルは白い鳩に変身し、彼を閉じ込めていた独房から逃げ出し、近くの木の枝の合間に消えた。

 恐れおののいた僧侶は急いでダライラマ5世のもとへ駆け込み、起きたばかりのことを包み隠さず話した。教派の長はなんのためらいもなかった。ペハル自身が住む場所を選んだのだから、あとは鳩がとどまった木のまわりに祠堂を建てるだけのことだった。結果的にこのあと何世紀にもわたってそれは大きな寺院へと発展していった。

 中央チベットに行った何人かのヨーロッパ人やアメリカ人がネチュン寺を訪ねる機会があった。しかしこの驚くべき寺に関して十分な調査はまだなされていない。〔訳注:本文が書かれたのは50年代半ばである〕 

 幸運なことに、私はカリンポンでツェドゥン、すなわちチベット政府僧官のロブサン・プンツォク氏と知り合いになった。氏は前の国家神託僧ギャルツェン・タルチンの息子だった。ネチュン寺の霊媒は未婚であることが義務づけられているが、ギャルツェン・タルチンは例外だった。彼は役職を解かれたあと、俗人に戻り、のちに結婚をした。

ロブサン・プンツォクはネチュン寺の歴史と呪術師について、父親からたくさんのことを聞かされていた。チベットの本から知ったことに加え、私は彼からたくさんの情報を得ることができた。

 3つの門がネチュン寺の前庭に通じていた。中央の門はいつも閉じられていたが。その前には守護神である「強力な雷電(ドルジェ・ダクデン)」が立っていた。伝説によると、ペハルはすぐにこの世界を去った守護神の地位に押し上げられた。そして「強力な雷電」は「地の守護神」の長として後釜に坐った。

 ネチュン寺のなかの、黄金の屋根が目立つ三階建てのメインの寺堂は、さまざまな興味深いものを蔵していた。たとえば堂のひとつでは、訪問者は鳩の姿をしたペハルがとどまった木が示される。そしてほかの部屋では、国家神託僧が予言的な神託をおこなった豊かに装飾が施された玉座があった。

 玉座の後ろには小さな祭壇があり、そこには古いパドマサンバヴァの像が立っていた。この人物はもっとも大きな呪術力を有していたとみなされている。パドマサンバヴァによって魔物から転じたペハルは、古代の誓いを守り、雪の国チベットの黄帽派の教えを守っているとされる。

 ごく最近までネチュン寺の玉座に登った神託僧は、チベットの運命に介入してきた。彼らは国内の、あるいは対外的な政治に関するすべての重要な問いかけにたいして助言を与えてきた。そして彼らの言葉が特に重要性を帯びるのは、あたらしいダライラマを探すときだった。チベット人に言わせれば、ペハル自身は受容器である神託僧という霊媒の口から発せられるものだった。彼らの言葉ひとつひとつが政府によって保証されていた。

 しばしば間違った予言を発したとして、ネチュン・チュージェが活動停止処分を科せられることがあった。それは20世紀はじめの英国・チベットの関係の悪化に大いに関係のある神託僧の宿命である。この霊媒の迎合的な助言はあきらかに間違っていて、結果的に国を戦争に導き、1904年の徹底的な敗北へとつながっていったのである。

 もしネチュン・チュージェの助言が必要とされた場合、少数の高官と高僧のみがラサからネチュンへと向かった。

 しかし一年に一度、新年の祭礼に参加するため、国家神託僧は厳粛な行列とともにラサへ出向いた。二つの行列によって彼は運ばれ、ラサの通りを進んだが、その間ずっと彼はトランス状態にあった。

 あたらしい国家神託僧は神聖なる方法で選ばれた。ネチュン・チュージェが死去するとすぐペハル神は、ネチュン寺あるいはデプン寺近くの僧に憑依した。しかしほかの神託僧とおなじく、このケースでもペハルに関連したものを使ってテストしなければならなかった。規則としては、ダライラマ5世自身がものを置いてテストする必要があった。

 ネチュン・チュージェの座の候補者は、チベット人がよく言うように、トランス状態で「18人の力を合わせても曲げられない」強い剣のようにならないといけない。そしてあたらしい神託僧は過去、現在、未来に関する3つのむつかしい質問にこたえなければならない。それに加えて彼はすべての純粋なペハルの霊媒に起こるしるしを示さなければならない。神託僧がトランスに入ったとき、彼の舌は後ろに大きく曲がるので、その先はしっかりと口蓋に押し付けられる。口から流れ出る唾は血といっしょになり、僧侶の剃髪した頭の上に雷のような跡があらわれる。パドマサンバヴァはそれによってかつてペハルを調伏したのである。

 ネチュン・チュージェはチベット政府にとってもっとも重要な予言者的なアドバイザーであるが、ラサやその近辺に数人の神託僧がいて、政府高官は彼らにもお伺いをたてることがある。国家神託僧の答えがあいまいな場合、あるいは特別重要な事柄にたいし代表的な複数の守護神の意見をききたいとき、伺いを立てられる。

 とくに頻繁に伺いを立てられたのはサムイェー寺の予言的な神託僧だった。この予言者は、守護神ツィウ・マルポ、すなわち「赤いツィウ」の神意を伝える者と言い立てられていた。これは魅力的な魔物であり、多くのラマが書いた本にもよく登場する。赤いツィウは赤い髻(もとどり)を持ち、体は炎の光輪に包まれている。彼の目からは星が飛び出し、口からは血が雨のごとく流れ落ちている。彼は氷河の氷のように鋭い歯をきしらせる。

 彼は赤い絹の衣を着ている。そして宝石の腰ひもを腰に巻いている。頭は赤い絹のターバンが巻かれている。豹皮の弓入れ、虎皮の矢筒が両脇に下がっている。背中にはサイの皮の盾を背負っている。

 彼はつぎからつぎへと敵の心臓に槍を刺しながら、同時に赤い投げ縄を投げて敵を捕らえている。彼が乗る駿馬には輝く色の鞍、銀の鐙(あぶみ)、銅の鐙(あぶみ)、黄金の頭飾り、銅の手綱が使われている。

 サムイェー寺では赤いツィウの神託僧が広い建物を占めていた。その建物には、赤茶色の皮の仮面が寺院のもっとも高価な骨董として保存されていた。この寺院建造の頃からあったとされる有名な古代の仮面は特別な棚のなかにふだんは隠されていた。チベットの高位の僧が訪ねてくるなど、特殊な場合をのぞいて、それが公開されることはめったになかった。

 川の仮面は憤怒があらわれた三つ目の悪魔の顔を代表していた。チベット人が言うには、この仮面は血の凝結からできていて、ときおり目を覚ますともいう。目が動き始め、小さな血のしずくがにじみでてくる。

赤いツィウの予言的神託僧によって絞められた建物のなかに、窓のない完全に秘密の部屋がある。扉は鍵がかけられ、鍵は封印される。チベットの民間伝承によると、ここは赤いツィウの住居である。

 人は死ぬと、その魂は這って小さな穴からこの部屋に入る。そして赤いツィウの助手によってまな板の上に置かれ、粉々になるまでめった切りにされる。それゆえ神託僧の家はいつも血のにおいがする。そして夜じゅう、斧によって切られる音と痛めつけられる魂のうめき声に悩まされることになる。

 毎年一回、古いまな板はラマによって新しいものに替えられる。サムイェーの僧侶が真顔で話してくれたのだが、部屋があいていると、古いまな板はだれかに使われたようで、かならず無数の十字のカットが入っているという。

 ラサの主寺の上層階でも、部屋が閉じられていても、魂は粉々になるまでめった切りにされるという。

 チベット人に赤いザサという名で(訳注:ザサは総監という意味の役職)知られるやはりサムイェーに住む護法神は、もっとも高い位に鎮座する。伝説によれば、赤いザサはかつて高位の官職についていた貴族の霊だという。彼が存命中、赤いツィウはひどい痛みを伴う病気で彼を苦しめた。

怒り狂ったザサは部屋にツィウ・マルポの巻軸画(タンカ)を掛けた。新たに激痛に襲われるたびに、彼は矢を雨あられのごとく放ってタンカを穴だらけにした。

 死期が近づいているのを感じ取ったザサは7人の従者に武器を持ち、馬に乗るよう命じた。ザサが死んだとき、7人の従者と7頭の馬も同時に死んだ。しかしこの霊たちは赤いツィウに復讐するため、サムイェー寺に向かって空中を駆けた。

 彼らは逃げようとするサムイェー寺の守護神を叩き切り、彼のために作られた建物を占拠した。僧侶たちは寺院の敷地の中でおこなわれている魔物の戦いを急いで終わらせようとした。

 彼らはザッサの霊がサムイェー寺の守護神になるようとりはからった。そして彼のために特別な祠堂を建てた。そのために彼は赤いツィウの家を放棄した。

 ときおりチベット政府に神託を依頼されたのが、ラサから東へ二日行ったところにあるラモ寺の神託僧だった。彼は宝石で飾ったスカーフと雷でできた投げ輪を持った白い守護神、ツァンポ・ラモの口寄せだった。

 ラサの近くのガドン寺の予言者的な神託僧も、天気を統御する霊媒だった。気象学上の災難に際し、政府や宗教の権威から呼ばれることがあった。彼に憑依する神格は「木製の鳥とともにある者」という名を有するペハルの従者である。

ペハルのもうひとりの仲間である「身体の王」は、ラサのカルマシャル寺に住む予言者である。この予言者はセラ大寺院と関係があり、一年に一度、チベット暦の六月末日、セラの間近の未来のできごとを予言するために、僧侶たちに呼ばれるのである。

 このセラへの旅には奇妙な習慣がある。途中、神託僧のお供をするのはプロの「遺体処理人」なのである。神託僧がラサに帰るときには、彼が予言したものと関連したさまざまなものを持って隊列を作って行進する。彼の予言は文字で記され、祠堂の扉に貼られて公にされる。

 ラサの西のルブク・チュシュという町には驚くべき神託僧が住んでいる。彼は狂犬病の恐れのある患者をトランス状態で治療するという。治療儀式を実際に見たチベット人たちによれば、「病気の巣を発見するために」鏡を動かして患者の身体を探り、治療をはじめたという。

この検査を終えると、彼はカラフルな布切れで飾った長い投げ矢を手に取る。そして矢の先を患部に押し当て、刃の先の鋭利でないほうを国に入れ、「病気と苦痛を吸い出す」。彼は思い切り吸い込み、少し後に、用意した器に血と膿(うみ)を吐き出す。

 最終的に彼は患者の身体から正確に犬の形をした肉のかたまりを吸い出す。これこそ病気を起こしていた原因なのである。原因を除去した神託僧は、器を唇まで持ってきたかと思うと、中身(血や膿)をぐいと飲み込む。

 女性の霊媒はそれほど多くはない。よく知られた女性の神託僧はセラ寺の近くに住んでいる。彼女のおもな役職はダプドプ、すなわちセラ寺の僧兵への助言である。

もっとも奇妙な職務は、中央チベットのルントという町で実行されている一種の聖なる金融ブローカーだろう。神託僧に憑依する神格はあきらかに喜んで貧しき人々に少額のお金を貸しているのだ。

 もしだれかがお金を借りたい場合、神託僧はトランスに入り、恍惚のなかで口から銀のコインを吐き出す。このようなお金はいずれ返さなければならない。債務者は債務を果たす必要があるので、神託僧を探し出し、銀貨を渡してローンの返済をしなければならないのだ。銀貨はすりおろしたサフランでよく洗わなければならない。

 そして守護神が呼ばれると、神託僧はトランス状態に入り、つぎからつぎへと銀貨を飲み込むのである。