老いさらばえた身体を脱ぎ棄てる 

死に際のプロティノスに学ぶ 

宮本神酒男 

 

 私は老いや死についての専門家というわけではないので、とくにそれについて調べたことはないが、ためしに書物の海に網を張ってみると、古今東西のさまざまな人の書き記したものが引っかかってくる。

たとえば最近、テュロスのポルピュリオス(234305)が編纂した新プラトン主義哲学者プロティノス(205?−270)の伝記をダウンロードしてみた。そこには死期が迫った師プロティノスの姿が詳細に描かれていた。

 年を取ったプロティノスは慢性的な消化器官の不調に苦しむようになる。現在の病名でいえば胃癌だったのかもしれない。しかし彼はいかなる治療も拒む。「このような老齢の者に治療を施しても意味がない」と考えたのである。当時の大衆は「野生の動物の肉」を特効薬として摂取したが、彼は家畜の動物の肉さえ食べようとしなかった。

 そもそも当時の医療技術はどの程度の水準だったのだろうか。医学の基礎を築いたガレノス(129?−200?)によって革新的な医療がもたらされていたのはまちがいなく、しかもプロティノスはローマ皇帝ガリエヌスの寵愛を受けていたので、望めば最先端の治療が受けられたはずだ。庶民は治療を受けることもできずに死んでいったかもしれないが、プロティノスには少なくとも延命治療を受ける選択肢があっただろう。

 病身のプロティノスは沐浴もしなくなった。沐浴をしなくても、毎日だれかが(おそらく下男が)マッサージしてくれた。いわば古代の介護である。しかし疫病がはやり、下男の命が奪われると、マッサージもやめてしまった。弟子である作者(ポルピュリオス)が同居していたときは目立たなかったが、去ったあとプロティノスは扁桃腺の潰瘍に悩まされるようになった。そのためプロティノスの力強く、朗々と響いた声はしゃがれ、弱々しくなった。また視界が狭くなり、手や足にも潰瘍が現れるようになった。こうしたことは、作者が戻ってきたときに、ずっと付き添い、最期を看取った医師でもあった弟子のエウストキオスから聞かされたという。

 エウストキオスはプロティノスの臨終についてもポルピュリオスに語っている。ベッドの傍らに来るのが遅かったエウストキオスにたいし、プロティノスは言った。

「ずいぶん待たされたぞ。わしはいま、わが内なる聖なるものを宇宙の聖なるものと合一させようと努力していたところだ」

 そのとき死の床の下から一匹の蛇が現れ、這って壁の穴に消えていった。するとプロティノスは息を引き取ったという。(この不思議な現象はアフリカヌスやプリニウスの死に際しても見られた、と作者は付記している)

 プロティノスは「魂が肉体を持つことは不幸なこと」(E・M・フォースター)と考えていた。マニ教の教祖マニ(216277?)が同様に肉体を憎悪していたように、当時のグノーシス主義の典型的な考え方である。もともと肉体は嫌悪すべきものと考えていたプロティノスにとって、潰瘍だらけの体になって苦しむいま、それを治療したいとは思わず、むしろ解放されることを願ったのである。

 もし現在、エウストキオスのような医者が末期患者の治療を放棄したとしたら、彼は不作為の殺人を犯したとみなされるだろう。一方、患者が意思表示できる状態にあるかぎり、治療を拒むことは可能かもしれない。ただ鎮痛剤も拒んで激痛に耐えるのは、現代人には容易ではない。

 プロティノスにとって肉体は魂の入れ物にすぎなかった。魂そのものは美しいものであるが、それを見る神秘的心眼は、その資格がある者だけがもつことができた。E・M・フォースターが「アレクサンドリアの波止場でヒンドゥー教徒の商人たちと言葉を交わしたことであろう」(『アレクサンドリア』)と述べているように、プロティノスの死生観にはインドのリグ・ヴェーダやウパニシャッドとの共通点が見出される。古代インドでは、蛇が殻を脱ぐように、肉体を着替えると考えられたのである。

 潰瘍だらけの肉体という殻を脱ぎ棄て、魂(プシケー)は本来の美しい姿に戻る。そう信じたからこそ、プロティノスは苦しみから解放されることを望み、いかなる治療も拒絶したのである。

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