忘れ去られるには惜しい稀な才能、ペギー・ベーコン 

宮本神酒男 

  40代半ばのペギー・ベーコン 

 巷(ちまた)には猫の絵や写真、映像があふれかえっている。猫が主役の映画、ドラマ、テレビ番組、雑誌、本、写真集など枚挙にいとまがない。さまざまな分野の猫の専門家もあまた活躍している。もっとも手ごろなブログのテーマは「猫」といってもまちがいない。ある集計によれば「猫」はテーマ別の15位にランクインしている。YouTubeでも「猫」動画はつねにトップ人気を誇っている。まさに「猫も杓子も」といった世相である。猫ブームは日本にとどまらず、世界的な現象である。(→ 猫文学叢書

だからといって、猫に関するすべてのことに光が当たっているかといえば、そうでもない。世界中で、数知れない画家やイラストレーターが猫の絵を描いてきたが、古いものの大半は忘れ去られてしまっている。米国でかつて猫のイラストが高い評価を得て、人気を博した鬼才ペギー・ベーコンも、埋もれかかっているひとりかもしれない。もちろん「猫のイラストレーター」と呼ばれること自体、彼女が納得しそうにないが。

   若き日のペギー・ベーコン 

ペギー・ベーコン(18951987)は、1920年代のニューヨークのモダンアート・シーンに頭角を現すと、版画家、画家として、早くも確固とした地位を確立していった。「より若きアーティスト」シリーズの3人目のアーティストに選ばれたのは、ペギーが27歳のときのことである。13枚のドライポイント(版画の技法)による版画作品を載せた『ペギー・ベーコン』(序文・ウィリアム・マレル 1922年)が出版されたことは、彼女がアメリカを代表する新進気鋭のアーティストとみなされていたことを意味した。

 「より若きアーティスト」シリーズのアーティストに選ばれる 

ちなみにこのシリーズの1冊目は『アーネスト・フィーネ』であり、2冊目は『アレクサンダー・ブルック』、4冊目が『ヤスオ・クニヨシ(国吉康雄)』だった。ペギーを含む4人ともアート・スチューデンツ・リーグで学んでいたことがあり、とくにアーネストをのぞく3人はおなじサークルに属していた。アレクサンダー・ブルックはのちにペギーの夫となるアーティストである。国吉もまたおなじサークルのアーティスト、キャサリン・シュミットと結婚している。国吉がペギー、アレクサンダーと近しかったのはまちがいなく、ペギーの描いた絵にもしばしば登場している。

  
国吉のスタジオで撮られた写真。前列左はペギーと結婚するアレクサンダー・ブルック。後列左から2番目がペギー。右端は国吉と結婚するキャサリン・シュミット。右は「アーデント・ボウラーズ」(1932)。中央で上を向いているのが国吉。下中央で右を向いているのがペギー  

 画家としてのペギーの名声を高めたのは、おもにパステルで描いた風刺画(カリカチュア)だろう。風刺画といってもビゴーやグランヴィルのような体制批判的なテーマは少なく、著名人物や友人の特徴をデフォルメすることによって強調し、ユーモラスに描いた作品が主である。「美術史家ロイド・グリッチの肖像画」(1934年)のように、顔の輪郭をゆがめて描きながらも、対象にたいする描き手の愛情が感じられるのだ。いっぽうで「女パトロン」(ドライポイント、1927年)は、愚昧な鑑定家の中年女性を皮肉たっぷりに描いている。注目すべきは彼女が腰かける椅子の隣でエサを食べている風采のぱっとしない飼い猫である。器量もよくなく、頑迷な、カネにしか興味なさそうな中年女が飼うのは、可愛げなく、いつもおびえていて、エサがあれば「肘」を出してガツガツ食らう猫である。愛猫は、主人の鏡なのだ。こういう観察眼の鋭さ、深さ、ユーモア感覚がペギーの真骨頂といえるだろう。ペギーは何十年も猫を描くことになるのだが、人間と同様、猫をつねにつぶさに観察しつづけた。
*ペギーはカリカチュア(風刺画)についてつぎのように述べている。「カリカチュアの目的は、対象のもっとも著しい特徴を不条理な点にまで誇張し、強めることである。カリカチュアは特徴を嘲ることを主眼とするものではないが、人格を説明するものが何であれ、人物の評価はたっぷりと含まれていなければならない。また全体の描写からは、対象の際立った点についての辛辣で明晰な論評が感じ取られるはずだ」(シラキュース大学の論文より) 

  
ロイド・グリッチの肖像            女パトロン 

   
画家ジョージア・オキーフ、画家ルイス・ブーシェ、美術ディーラー・エディス・ヘルパート、美術評論家ヘンリー・マクブライト 

 はっきりとした理由がわからないが、1920年代後半から1930年代はじめにかけてあれほどたくさん描いていた風刺画を彼女はほとんど描かなくなる。そのかわりかどうかはともかく、ペギーは猫を描くことに精力を注ぐようになった。版画家の宿命ともいえるのだが、大きな油絵などとちがって短期間で完成させることのできるのがイラストである。出版点数が飛躍的に伸びるにしたがい、イラストレーターの需要は急速に高まり、ペギーは書籍のイラストを描くことに時間を費やすことになった。題材がなんであれ、機会があれば彼女は猫をイラストのなかに入れるようになった。

 1928年に描かれた「オードブル」の猫は、目が異常に大きく、まるで漫画に登場する猫のようなキャラである。いわば猫の風刺画だった。

 オードブルと題された猫の絵 

その数年後にペギーは「楽天家」(1938年、パステル)という野良猫の動きをみごとにとらえた絵を描く。じつはこれは「傑作ねこの絵本シリーズ」のひとつ『のらねこボタン』(トム・ロビンソン・文、光吉夏弥・訳、ペギー・ベイコン・絵 大日本図書 1988年)の原本(1938年刊)に挿入されたイラスト(木炭画)とほぼおなじだった。この絵本全体を通じて、われわれは猫のさまざまなポーズや動き、感情表現などを見ることができる。猫をここまで細かく、鋭く描くことができたのは、ペギーがはじめてだったのではないかと思う。

  
左は楽天家と題されたパステル画。右は絵本『のらねこボタン』の木炭画。どちらも1938年 

    
野良猫が人間の世界に入っていくさまがよく描かれている 

1963年に出版された猫の百科全書『完全猫』(ヘイス・マクナルティとエリザベス・キーファー)にはペギーのイラストが存分に用いられている。猫に関する本があふれている今、この本の重版が出る見込みはないが、ペギーの猫イラストを見るだけでも価値のある本である。

    

   

   

 こうして「イラストレーター」としての需要は高まり、ペギーは生涯において数十冊の本のイラストを描くことになる。イラストレーターとして有名になればなるほど、本来の版画家、画家としての姿がかすんでしまうのは仕方ないことだったが、もどかしい気持ちでいっぱいだったことだろう。

   

   
 ペギー・ベーコンはおびただしい数の絵本にイラストのみを寄せている。この『七匹の特別な猫たち』(1961)もリチャード・ケーニグの物語とペギーのイラストの合作である。こうした作品は歴史の中に埋没し、忘れ去られ、しだいに入手困難になりつつある。

 ペギー・ベーコン(本名マーガレット・フランシス・ベーコン)にはアーティストだけでなく、物語作家という重要な一面があった。ペギーの父チャールズ・ロズウェル・ベーコンは風景画、人物画、壁絵を描く画家であり、母エリザベス・チェイスもまた細密画の画家だったので、この家庭環境においては、絵を描くのは呼吸をするのとおなじくらい自然な行為だった。しかし1913年、ペギーが18歳のとき、ショッキングなできごとが起こる。父がニューヨークの自分のスタジオでガス自殺を遂げてしまうのである。彼女はそれについてあまり語っていないが、その後の人生の進路に大きな影響を与えたのはまちがいないだろう。

 1915年、ペギーははしかにかかり、しばらく家から出られなくなってしまった。しかしそのことから彼女の作家人生がはじまることになる。この時期に彼女は『真の哲学者とその他猫の物語』を書き、1918年から翌年にかけて、13枚のドライポイントによる版画のイラストを描いたのである。ボストンの出版社から刊行されたのは1919年だった。まだ物語の構成や文章に稚拙なところは残っているが、この自身による「文章+イラスト」の著書は、生涯において13冊にも及んだ。リストアップするとつぎのようになる。

 

1919 真の哲学者とその他猫の物語

1927 「ライオンの心を持つ子猫とその他の物語」

1928 「慈悲とネズミとその他の物語」

1929 タングル(もつれ)通りのバラード

1931 「ひどいやっかいものとその他の物語」

1933 「メイフィールドの損害」(ひどいやっかいもの続編)

1935 「猫の呼び声」

1939 「イースト・ハチェットの謎」

1952 「内面の目」

1957 「よきアメリカの魔女」

1962 「奇妙なこと」

1967 ばけ猫オパリナ

1968 「魔法のタッチ」

 『タングル通りのバラード』(絵、物語ともペギー・ベーコン)のイラストより 

 「タングル通りのバラード」表紙 

 このなかで再版が出たのは「真の哲学者とその他猫の物語」「タングル(もつれ)通りのバラード」「ばけ猫オパリナ」の3冊である。今後つぎつぎと再版が出される可能性があるが、ペギー・ベーコンの再ブーム到来とまでいくかどうかはわからない。ただ「ばけ猫オパリナ」の電子書籍版が2014年に発売されると、静かな再ブームが起こった。この物語を子どもの頃に読んだ人たちはまだ50代か60代であり、なつかしがって手に取っただけでなく、孫たちにもすすめたのである。

ばけ猫オパリナ 

 レヴューから声を集めてみよう。

「この本をずっと探してきたのですが、手に入れることができませんでした。これを見つけたときは夢を見ているのではないかと思いました。9歳のときとおなじように楽しめました。私は55歳になったばかりです」

「ほしい本リストの、あるいはクリスマス・リストのいつもトップを飾っていたのがこの本でした。サンタさんに何通の手紙を出したことか! いま私は44歳。この本を入手して喜びの涙を流しています」

「小学校高学年のときに読んで以来、この本のことが忘れられませんでした。いままた出会えてとてもうれしいです。どの年代にとってもこの本はすばらしい読み物でしょう」

「子ども向けの本として最高にすばらしいです。おとなにとってもよい読み物であることまちがいありません」

 現時点(2017年4月)で、キンドル版による再版以前のものを含む58ものレヴューが寄せられ、その97%が5つ星で、残りが4つ星と、圧倒的な支持を得ている。レヴュアーの大半が40代以上のように思われるが、ノスタルジーによる支持だけではない。文体やストーリー、ペギーのイラストも若々しく、半世紀前の懐古趣味ではなく、若い世代にも訴える新鮮な魅力を持っているのだ。9度よみがえったオパリナは、これからも何度もよみがえる潜在能力を持っているのではなかろうか。