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 第五の、そして最後の「なぜ瞑想をするのか」の特性は、わたしが「ノー・ビッグ・ディール(たいしたことない)」と呼ぶものです。わたしが今この瞬間に対し「柔軟になっている」と言うとき、そうした状態になっているのです。瞑想によってあなたは奥深い洞察を得て、おだやかで喜ばしい崇高な気持ちを抱き、自己変革の感覚を持ち、勇気をあらたにもらうのです。しかしそのあと、「ノー・ビッグ・ディール」と感じるのです。あなたは死の床で、看護婦はあなたを怒らせていますが、奇妙なことに「ノー・ビッグ・ディール」の境地にあるのです。

 ノー・ビッグ・ディール。これはわが師チューギャム・トゥルンパ・リンポチェの主要ティーチングのひとつです。わたしはかつて自分の考えを持って彼のところを訪ねたことがありますが、これは圧倒的な体験となりました。わたしはとても興奮して、この自分の体験について師に話しました。しかし彼は特殊な視線を返しただけでした。なんとも説明しがたい、でもとても心が開かれた視線だったのです。慈しみがあるとか、裁かれているとか、そんな感じではありませんでした。わたしがしゃべっているときに彼はわたしの手に触れ、言ったのです。「ノー・ビッグ・ディールだ」。彼は「よくない」とも「いい」とも言いませんでした。これらのことは起こりうるのであり、あなたの人生を変革することもある、と彼は言います。でも同時に重要すぎるということもないのです。なぜならそれらは尊大さ、傲慢さ、あるいは特別という思いにつながるのです。一方であなたの前に立ちふさがる困難さに関して「ビッグ・ディール」(大ごと)で取り組めば、別の方向性が見えてきます。それはあなたに貧困や自己否定、自己の低評価をもたらすでしょう。瞑想によってこの「ノー・ビッグ・ディール」の感覚をあなたは培うことができます。シニカルなことを言っているのではなく、ユーモアと柔軟性について言っているのです。あなたはそうしたすべてを見てきました。すべてを見てきたので、あなたはそれらを愛することができるのです。

 

 

 


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